kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年05月08日

「サルコジさん、当選おめでとう」ブレア@フランス語

さあ、みなさん、思いつく限りの4文字語を並べて歓迎しましょう。--- Tony Blair félicite Nicolas Sarkozy (en français)! (割れんばかりの拍手なり罵声なり)

http://www.youtube.com/watch?v=P6Cu9187tCY


サルコの英語より格段に流暢だけど(ブレアはフェテス校からオクスフォード大ですから)、ブレアってフランス語でもこの口調なのねってだけで、もうオナカイッパイ。私はフラ語の聞き取りはできないのだけど、これが何かすごく変に聞こえるのは、あまりに「ブレアっぽい」からだと思います。

英語版:
http://www.youtube.com/watch?v=f_tJ2Rnqqkg
英語の聞き取りの教材くらいには役立ちます。あたしゃ50秒でギヴ。もうほんっとにオナカイッパイ。「ニコラ・サルコジのことはよく知っています。尊敬する人物です」とか語っている。

そういえば昨晩たまたま見たテレビのニュースで、サルコジの人物紹介をしているフィルムで、何の集まりだかわからないが、ゴードン・ブラウン財務大臣がサルコに歩み寄って肩をぽんぽんと叩いて話しかけている様子が1秒くらい映ったように思った。瞬間的だったけど、あれは確かにブラウンに見えた。そのニュースでは「欧州に親米政権が増えている」かのようなことをいってたが(ブレア、ベルルスコーニ、アスナールのネオリベ3バカトリオが、ブレア→ブラウン、メルケル、サルコのネオリベ3バカトリオに替わっただけなのに)、ブレアの時間があと1ヶ月くらいだということにはまったく触れていなかった。

べーべーせー:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6633355.stm

ダウニング・ストリート(英国首相官邸)がYouTubeにアカウント持ってたなんて、知らなかったよ。Joined: April 17 2007だそうで。しかもembed有効にしていやがるし。
http://www.youtube.com/profile?user=DowningSt

タグ:ブレア YouTube

※この記事は

2007年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼