kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年12月19日

彼ら・彼女らにはどのような悪罵が投げつけられているか……ある英国人改宗者のツイート

先日のエントリに、かなりの反応をいただいたが、そもそも「英語圏でのイスラム教徒はどのようなヘイトスピーチにさらされているか」は日本語圏では知られていないと思うので、自分に見える範囲のことしか知らないにも関わらずでしゃばって、少し補足しておこうと思う。

ローレン・ブースさんという英国人女性の反戦活動家がいる。知ってる人は知ってるだろう。英国首相としてイラク戦争をやったトニー・ブレアの妻であるシェリー・ブレア(旧姓ブース)の異母妹である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lauren_Booth

お父さんが俳優で、ローレンさんも演劇の道に進んでいたのだが、1990年代終わりにジャーナリズムに方向を転換、やがてStop the War Coalitionのイラク戦争反対運動、イスラエルによるパレスチナ占領への反対運動で知られるようになった。キリスト教徒だったが、2010年にイスラム教に改宗している(ただし、今も「ローレン」という名前で活動している)。詳細は彼女のサイトで。

そのローレンさんが、こんなことをツイートしている。




「またもや変な人たちからフォローされました。この投稿をするまでに私に対して『豚』、『豚肉』といった言葉を投げつけたり、神や預言者を罵ったりした人は、さようならしてあります」。

英語圏での「イスラム教徒」に対するオンラインの嫌がらせには、むろん、先日のエントリで少し言及したような、「クルアーンを非難せよ」のようなものもあるだろうが、「コメント欄」や「ソーシャルネット」のような場では、多くはこのレベルである。「まともに相手にできるものではない」ような、子供じみたものだ。

See also:
「ハラールはテロの資金源」? オーストラリアと英国で報告されているステッカーについて、調べてみた。
http://matome.naver.jp/odai/2138376516867107801





Twitterのようなソーシャル・メディアでは、「イスラム教徒である」というだけでこういう意味のないメッセージにさらされることになる。名前が知られている人の場合はそれが何十件にもなる。こういうくだらない罵倒は、見るだけで消耗する。数が少なければ「スルーする」ことも難しくはないが、数が多くなると本当に削られる。英国でテレビに出てコメントしたフェミニストのアカウントに「フェミうぜぇ」的なくだらないリプライが殺到して、被害者の働きかけとメディアの注目があったことでTwitterがabuse通報ボタンをつけたのは、2013年の夏のことだ。

そのときにそのフェミニストの人にどういうリプライが送られたかは、今さっきリンクしたページに記録してあるのだが、リンクなんか入れておいたって1000人に1人くらいしかクリックしないので、抜粋しておく。













※クリアド=ペレスさんへの攻撃では何人か逮捕・起訴されてます(有罪判決も出てる)。

また、「根拠のない決め付け」としては:
http://matome.naver.jp/odai/2140984668746725501?page=2

※この記事は

2014年12月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼