11年前、2003年の前半からしばらくの間、うんざりするほど見た単語のひとつが、moralです。「合法である」かどうかの議論が(当時の状況では)出尽くしたころに「法」とは別の基準として出てきたのが「道徳、モラル」でした。


Moralは宗教的な語です。BBCを見ただけでも、"Blair puts 'moral' case for war" とか、 "Archbishops doubt morality of Iraq war" など、2003年2月の国連安保理前後に何本もの「モラル」に関する記事があります。これらを見ると、控えめに言っても、「英国ではキリスト教の見地から、大いに疑問と言われていた」ことは確認できます(が、宗教家ではない政治家のブレアが「モラル面で問題なし」と言い張っていたのです。なお、私はアメリカのことは知りません)。

イラク戦争後に明らかになった米軍内の(キリスト教でいう)「正戦 just war」論(の利用)は、こんな議論が終わってから何年もして判明したのですが、ではそれについて、「キリスト教徒」(という漠然とした集合体)は批判・非難しないのでしょうか。いや、私個人はキリスト教徒によるあれらの「正戦」論への批判を読んだし聞いたことはあります。日本語でも英語でも。反戦デモでの英国のフレンド会の方の言葉だったと思いますが、心を揺さぶられた映像も記憶しています。しかしそれは「私個人は」です。例えば、普通に毎日夜のニュースを見ているだけという人は、そういうのは聞いた覚えがないといいます。

「私個人は聞いた・読んだことがある」というのは、いわゆる「イスラム過激派のテロ」に対する「イスラム教徒」の批判でも同じことです。私は聞いたこと、読んだことがあります。でも、普通に毎日夜のニュースを見ているだけという人は、聞いた覚えがないというかもしれません。