kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年08月07日

【お知らせ】なぜ私はTwitterでリプライを基本的に見ないことにしたか。

かつて、Twitterというところでは、「いきなり話しかけてくる見ず知らずの人」と「まともな会話」が成立するのが当たり前だった。そのおかげでいろんなことを知った。読むべき記事、読むべき本、言葉の使い方、私の知らないある「時代」のムード、知らない土地での旬の果物……。間違いもたくさん指摘してもらった。私はTwitterに感謝している。

だがさびしいことに、最近、どうもそうではない。「いきなり話しかけてくる見ず知らずの人」が、その分野についてのこっちの無知をいいことにプロパガンダ吹きまくりだったり(そういう人は前からいたことはいた)、一度会話をするとそれだけで「知り合い」になった気にでもなるのか急にべたべたと(知的に)甘えた態度を取りはじめ、「な、俺の言ってること、わかるだろ?」的に言ってることをころころと変えるようになったり(酒でも飲んでるのかもしれないが、おまえがツイッターしながら酒を飲むのは自由だが、私はおまえの飲み友達ではない)、あるいは昔っからネット掲示板やコメント欄に生息している荒らし、あげ足取りの類が、彼・彼女の求める言葉をこちらが文字にするまであきらめず、しつこく粘着してきたりする。なんというか、掲示板を閉じる前、ブログのコメント欄を閉じる前のようなムードだ。

というわけで、Twitterでリプライを基本的に見ないことにした。私がフォローしている人のリプライだけ表示されるように設定を変えた。



それともうひとつ連絡事項。





今回張り付かれたのは、ズバリ、陰謀論者だ。ちなみに私がネット上で一番嫌いなのはランダムなスパマー、2番目が陰謀論者(Truther含む)、3番目がパクリ屋である。そう、陰謀論者よりはまだパクリ屋のほうがましである(ただし陰謀論者でなおかつパクリ屋というのもかなり多いが)。



そもそも「事情があって言えない」ときに、見ず知らずの相手、それもプロフィールでさえ真っ白でどういう人なのかも皆目わからず、妙に昔からこっちのことを一方的に知ってるっぽくて不気味に粘着してくる相手に「事情があって言えないんです」なんて言うアホがいるか!!! 安いドラマの見すぎか、ハーレクインみたいなのの読みすぎなんじゃないか。

経緯に興味がおありのかた、こっちからどうぞ。全部記録してありますから。

こういうのが我が物顔をしてのさばるようになり、正常なコミュニケーションから得られる価値と、こういうのの対応で取られる時間と手間、精神力とが引き合わない状態になってくると、もう、《場》の終わりですね。コメント欄にブランド品の販売と称するリンクだけはっていくスパマーや、バカの1つ覚えみたいな陰謀論者ばかりが増えたら、コメント欄は終了ですよね。

※この記事は

2014年08月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:30 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼