kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年07月06日

2年前、2012年に英軍はシリア軍事介入を立案していた(Newsnight報道)

マジで今度こそ、前項の続き。

シリア内戦への英国による軍事介入計画(断念)の存在が、BBCの調査報道で明らかになった。










記事はこれだ。

Syria conflict: UK planned to train and equip 100,000 rebels
By Nick Hopkins Investigations correspondent, BBC Newsnight
3 July 2014 Last updated at 21:30
http://www.bbc.com/news/uk-28148943


冒頭に、5分半以上の映像が埋め込まれている。Newsnightの番組で流されたクリップそのままだろう。

シリア内戦は、2013年の夏に「欧米」が軍事介入の方向で動いていたが、英国の議会で否決されてその方向がつぶれたことは、まともな人ならご記憶だろう。(「反米一筋○十年」のいわば「反米バカ」は「ぜんぶアメリカがやった」と思っているので、こういうものすごく重要な基本的事実の認識をまったくしていないかもしれないが、ここでは連中には構わないことにする。「CIAが洗浄済みの情報を真に受ける帝国主義者」と呼びたきゃお呼びなさいw)

シリア内戦に関して、軍事介入であれ軍事支援であれ「反アサド側」に立っていたのは、アメリカ(バラク・オバマのlead from behind主義www)である以前にフランスであり、イギリスである。これは2011年以降情勢をまともに見ていた人なら誰でも知っている通りだ。私はフランス圏はあまりまともに見られる言語能力がないのだけれど、イギリス圏は「毎日とりあえず見るのはBBC」である。国会での審議と採決を前に、「化学兵器使用」を口実とした「軍事介入」へのムード(あれは「ムード」だった)が高められる中、BBCの「武装組織に密着、最前線からの報告」みたいな報告(ポール・ウッド記者)や、「記者が見た内戦の悲惨、病院にあふれる負傷者、政権側はナパーム様のものを使用」という報告(イアン・パネル記者)があったころのことは一部ではあるがメモってある。(なお、このときにイアン・パネル記者が訪れたアレッポ地域の病院が、閉鎖の危機に瀕しており、マイクロ・ファンディングのサイト、JustGivingで支援を求めている。病院の運営をしているのは在英シリア人が避難民支援のために立ち上げた英国のNGOで、Twitterは@hands4Syr。)



閑話休題。

BBC Newsnightがすっぱ抜いた内容は下記の通り。
http://www.bbc.com/news/uk-28148943
The UK drew up plans to train and equip a 100,000-strong Syrian rebel army to defeat President Bashar al-Assad, BBC Newsnight can reveal.
英国は、バシャール・アル=アサド大統領を打ち負かすため、シリアの反政権側の軍勢10万人に訓練を施し、装備を与える計画をまとめていたことが、Newsnightの調べでわかった。

The secret initiative, put forward two years ago, was the brainchild of the then most senior UK military officer, General Sir David Richards.
この極秘のイニシアティヴは2年前に進められたもので、当時の英軍トップ、デイヴィッド・リチャード将軍の発案である。

It was considered by the PM and the National Security Council, as well as US officials, but was deemed too risky.
当該の案は英首相と国家安全保障委員会によって検討され、米国の当局者の検討も経たが、最終的に危険性が高すぎると判断された。

The UK government did not respond to a request for comment.
英国政府はBBC Newsnightからのコメントの依頼に反応していない。

Lord Richards, as he is now, believed his proposal could stem the civilian bloodshed in Syria as rebels fought troops loyal to Mr Assad.
リチャーズ将軍(現在はリチャーズ卿)はこの提案で、反政権側の軍勢がアサドに忠実な軍隊と戦闘を繰り広げているシリアの一般市民の流血を止めることができると考えていた。

The idea was considered by David Cameron and Dominic Grieve, the attorney general, and sent to the National Security Council, Whitehall sources said.
将軍の案はデイヴィッド・キャメロン首相とドミニク・グリーヴ司法長官が検討し、NSCに送られたとホワイトホール筋は語った。

It was also put to senior figures in Washington, including General Martin Dempsey, the US's most senior military officer.
またワシントンの上級当局者にもこの案は渡された。その中には米軍トップのマーティン・デンプシー将軍も含まれる。


デイヴィッド・リチャーズ将軍は、リチャード・ダナット将軍のあとを受けて2009年から10年にChief of the General Staffをつとめ、その後、2010年から13年にサー・ジョック・スターアップ(この方は空軍)の後を受けてChief of the Defence Staffをつとめた。現在は軍からは退いている。
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Richards,_Baron_Richards_of_Herstmonceux

1952年生まれ。ということは20歳のときに北アイルランド紛争が大爆発していることになる(1972年1月30日のデリーの「ブラディ・サンデー」)。リチャーズ将軍は1974年にカーディフ大で学位を取得し(国際関係学)、その後極東やドイツなど英国外の英軍基地で長く過ごし、北アイルランドでの作戦にも何度か参加。その名が知られるようになったのは2000年のシエラレオネ内戦での在留英国人や外国人の身柄の保護を行ったばかりでなく首都防衛に積極的に関わった件。いや、なかなか興味深い「人道的軍事介入」主義者のようだ。このほか経歴などについて詳細はウィキペディアを参照。

このリチャーズ将軍がシリア内戦について、2012年(「2年前」)にどういう計画を立案し、提案していたかはBBC記事をご参照いただきたい(そこまでタダで日本語にすることはできないのですみませんが)。ざっくりいうと、現地に派兵はせず、隣国で訓練をほどこし……という計画で、それはね、「傀儡」っていうのよ、としか反応できない。

将軍の計画についての分析:
Professor Michael Clarke, of the Royal United Services Institute think tank, added: "We have missed the opportunity to train an anti-Assad force that would have real influence in Syria when he is removed, as he will be.

"I think there was an opportunity two or three years ago to have become involved in a reasonably positive way, but it was dangerous and swimming against the broader tide of history… and the costs and the uncertainties were very high."

He said it was now too late for the West to get involved.


だけどBBCの同じ記事の中には、今頃になってアメリカがなんちゃら、ということも書かれている。

正直、もうそんな「専門家が分析する」ような話はどうでもいい。いつまでこの流血と破壊が続くのか。これが止まったところで、すでに破壊されたものは元には戻らないのだが、だからといって止まらなくていいということにはならない。



























以下、本稿の「導入部」として書いていたんだけど、これを導入にするといつまでたっても始まらないので最後に置くことにした。

6月から7月になった数日間の私の見ているTwitterの画面は、まったくひどいものだった。一番ひどかった(今もひどい)のは中東(狭義の)で、少し前に拉致されていたイスラエル不法入植地の入植者3人(いずれも10代)が「パレスチナ」の側で死体で見つかった後、イスラエルの過激派(極右シオニスト)によるアラブ人(パレスチナ人や、国籍はイスラエルにあるアラブ人)に対する暴力の極大化が懸念されていた。ぶっちゃけ、ジェノサイドや民族浄化が起きる心配があった(「プライスタグ攻撃」で「皆殺しにせよ!」というスローガンが書かれ、オンラインでも極右シオニストの間でそれが盛り上がった)。そんな中、殺されたのが10代の少年、ムハンマド・アブカデールである。彼は拉致され、暴行を受け、生きたまま油をかけられて焼き殺された(検死結果より)。エルサレムでの出来事だ。今流行のツーブロックの髪型をした彼は華奢な体つきで、16歳、17歳という年齢より幼く見える。











西岸地区では彼のような「子供」が、いや、彼よりもっとずっと小さな、それこそ10歳にも満たぬような子供が、イスラエル当局によって逮捕され、連行されていっている。そういったこともどんどん、写真で報告されてくる。

パレスチナは、それでもまだ「報じられている(情報が外に出ている)」。シリアでのムハバラトの活動がどうなっているかなど、さっぱりわからない。ただ、上で見たローズさんのツイートのような報告がある。何ヶ月も前に逮捕されて行方がわからなくなった人権活動家や市民ジャーナリストがどうなったのかなども、わからない。

この地について、「だってあそこは昔っからああだったじゃない」という理由付けをした上での無関心も、かなりはびこっているだろうと思う。

※この記事は

2014年07月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:00 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。
Excerpt: 「陰謀論 conspiracy theory」についていくつかTwitterに投稿したものをまとめておく。こういうのは、断片のまま存在させておくことは望ましいものではないからだ。 まず、はっきりさせ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2014-11-22 18:39





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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