<ロシア>エリツィン前大統領が死去 旧ソ連解体を主導
4月23日23時3分配信 毎日新聞
【モスクワ大木俊治】ロシアのボリス・エリツィン前大統領が23日午後3時45分(日本時間同8時45分)、心血管不全症のためモスクワの病院で死亡した。76歳だった。ロシア大統領府が同日、発表した。旧ソ連共産党の有力政治家だったエリツィン氏は、ペレストロイカ時代に民主改革派の旗手として台頭。91年7月に新生ロシアの初代大統領に就任し、同年12月のソ連解体を主導した。その後、ロシアの民主化と市場経済化を推進、国際社会で「大国ロシア」の地位再興に努めた。90年代後半は健康不安と経済危機によって国民の支持と政治的指導力を失い、99年の大みそかに任期途中で辞任。後継者にプーチン現大統領を指名した。・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070423-00000143-mai-int
APFさんの配信しておられる写真(12枚)には、ネルソン・マンデラとの写真、ヤッサー・アラファトとの写真、プーチンとの写真、クリントンとの写真、江沢民(Jiang Zemin)との写真、ウォトカで上機嫌と思われる状態で踊っている写真などいろいろあるが、迷った末、カストロとの写真を貼り付けてみた。カストロのスーツの仕立ての良さにやられてしまったからである。1995年10月22日撮影だそうだ。
英国でのニュース記事。
BBC:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6584481.stm
BBCのオビチュアリ:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/38422.stm
the Guardian:
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,2063793,00.html
the Guardianのオビチュアリ (by Johnathan Steele) :
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,2063851,00.html
それから、Slugger O'Tooleがニュースリンク集のような記事を立てている。
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/boris-yeltsin-1931-2007/
スラオさんでは、「大統領になった酔っ払い」としてのエリツィンを見ることは簡単だけれども、それでは本質的なものは何も見えない、という論調で、ガーディアンCiFの次の記事に注目している。実際、英国の政治家や元政治家(トニー・ブレア、ジョン・メイジャー、マーガレット・サッチャー)の外交儀礼としての「追悼のことば」を読んでるヒマがあるのなら、これを読んだほうがよっぽどためになると思う。
Do svidanja, Boris
David Hearst
April 23, 2007
http://commentisfree.guardian.co.uk/david_hearst/2007/04/do_svidanja_boris.html
概要:
ロシアと資本主義との恋愛は最高潮に達していた。ロシアの無知もまたそうだった。巨大なコカコーラの缶がモスクワのショッピングストリートに飾り付けられていた。ロシアの大統領はモスクワのマクドナルドの2号店の開店セレモニーに出席していた。彼こそがボリス・エリツィン。西側でソ連を葬り去った立役者として賞賛されていた大統領だ。しかし現在ロシアでは、彼への評価は、幼い民主国家を叩きのめした大統領、というものだ。
ウラジミール・プーチンがなぜこんなに支持を集めているのか、その理由を知りたいと思うなら、ボリス・エリツィンを見ればよい。こんにちのロシア――権威主義への回帰、メディア統制、出来レースのような選挙、チェチェンでの10年にわたる戦争、周辺諸国への影響力のなさ、意志を強制しようとする試みなどの種は、すべて、何でも可能だと思われたあの短い時期、しかしながら民主主義という夢は塵と掻き消えたあの時期に蒔かれたものである。
これはあまりにエリツィンに厳しすぎると思われるかもしれない。彼は1991年8月のクーデター未遂で歴史的な役割を果たし、共産主義後のロシアの夢をその双肩に担っていたのだ。しかしあのときの民主主義の夜明けはあまりに短命に終わった。わずか18ヶ月でロシア議会の建物が砲撃を受け、狙撃手がモスクワのいたるところに配備されるという状況になったのだ【→参考: Confrontation with parliament】。この日、多くのロシア人が命を落とした。同胞から撃たれた兵士もいた。
この議会との対立事態が腐敗の始まりだった。それから1年以上経ったとき、彼はろくに訓練も受けていない予備役兵の操る戦車をチェチェンに送り込んだ。チェチェンの分離主義者をたたくためである。エリツィン大統領の「望む限りの自由を」という呼びかけをサポートした人たちを。ロシア軍は猛烈な反撃に遭い、その結果としてフルスケールの侵攻が開始された。その後10年間続くことになる、市民に対する2度の全面戦争の最初である。
チェチェン攻撃の決定は、エリツィン自身の陣営の民主主義者(民主化勢力)との衝突を引き起こした。そして、民主主義者との衝突はその後も何度も続いた。エリツィンと衝突した陣営のなかには、グロズヌイ(チェチェンの首都)に出向いて大統領宮殿を占拠し、ロシア軍の砲撃を食い止めようとした者もいた。
このあとは経済政策のこと(欧米の強い影響下にあったこと)、国内経済の混乱(あまりに外国に開放しすぎて国内産業が壊滅したこと)が書かれ、追い詰められたエリツィンが精神のバランスを失い、また、ストレスで心臓に負担がかかっていたことが書かれている(元ボディーガードの証言)。
そしてオリガルヒ――
As democracy turned, in words of Yelena Bonner, to "dermocraty" - a play on words which translates in Russian as "shitocracy" - the people around Yeltsin, including his younger daughter, Tatyana Dyachenko, accrued vast personal fortunes which they keep to this day. Much of this money was whisked away and laundered in businesses in the west. People like Boris Berezovsky, Roman Abramovich, Oleg Deripaska, Anatoly Chubais and Mikhail Khodorkovsky all made their billions in that period.
そして、現在はシベリアの獄中にあるユコスのホドロコフスキーがクレムリンの中でこの世の春を謳歌していたころ、エリツィンは西側のほとんど全面的な支持/支援を受けていた。今日のナショナリスト的反西欧主義もこの時期に始まった。
最後は:
Russia could have developed into a functioning democracy, where a presidency could share power with a parliament without losing control. It was not inevitable that democracy turned once again to autocracy, but for that, Boris Yeltsin is largely, not wholly, to blame.
ロシアがまともに機能する民主主義国家となれていた可能性はある。大統領が、統制を失わずに議会とともに政権を運営する国家になれていた可能性はあるのだ。デモクラシー(民主主義)がオートクラシー(専制政治)に戻ってしまうということは、避けられないものではなかった。そしてこれに大部分の責任を負うべきは――全責任ではないにせよ――ボリス・エリツィンである。
日本の報道機関の記事では、冒頭に引用した毎日新聞記事はチェチェン紛争にはまったく触れていないが、産経新聞記事が「94年には、ロシアからの独立を宣言した南部のチェチェン共和国に軍部隊を派遣してチェチェン紛争に火をつけた」、また読売新聞記事が「94年12月には、ロシアからの独立を求めるチェチェン共和国に対し軍事侵攻」、朝日新聞記事が「ロシアからの分離独立を求めたチェチェン共和国に軍事介入し、一般住民に多数の犠牲者を出すなど、強権的な政治手法が目立った」としている。
















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93年のクーデターのことは金平さんの本に書いてありますが、音楽にページがかなり割かれています。エリツィン支持のコンサートをやってたロストロポーヴィチが印象的でしたが。金平さんはロック歌手が動員されたことにショックがあったみたいですね。
しかし、エリツィン個人は「大統領になった酔っぱらい」に思えます(^_^;)。ゴルバチョフのコメントが感慨深いですね
>国のためになる大きな仕事をし、深刻な過ちもあった。悲劇的な運命だった
これはどうみてもゴルバチョフ自身のことですから。しかもその過ちって…。では
お久しぶりです。その後はほかにいろいろと読むべきものがあったのでエリツィン関係のガーディアン記事は読んでいないのですが、擁護のコメントもそりゃあるでしょうね。いずれにせよ「すばらしい人、民主主義の擁護者」系のコメントはテレグラフかタイムズの記事を1本読んだらオナカイッパイになりました。(^^; でもレーガン死去のときの賞賛の嵐よりは落ち着いているような気がします。
なお、ガーディアンCiFのデイヴィッド・ハースト記事のコメント欄によると、この記事はロシア語に翻訳されてinosmi.ruというサイトに掲載されており、ロシア人から賛同のコメントがたくさんついていたそうです。(CiFのコメント欄もほとんどすべてが「良記事!」との拍手コメント。あと記事見出しの「ダスビダニヤ」はsee you laterなのでこの場合はおかしいという指摘も。ただし明らかに「変」な長文コメントがあるので、その人のは飛ばしてますが。)
ガーディアンはleaderもありますね。読んでないんですが。(^^;
A destroyer, not a builder
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2064031,00.html
あと、モスクワ特派員が街角インタビューした記事:
'A drunk who gave our country to gangsters'
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,,2064085,00.html
タチアナさん(53歳、元エンジニア)「エリツィン時代はひどかった。国のリソースがいきなり少数者に独占されてしまった。オリガルヒが全部持っていった」
アレクセイさん(66歳、退職した労働組合活動家)「あんなふうにぶっ壊すことはなかったのに。ブレジネフの時代よりひどかった」
ピヨートルさん(44歳、運転手)「エリツィンはギャングが動かす国を作った。仕事はあるにはあるが給料はひどい。大統領を2期やったのは間違い。よかったことといえばクーデター阻止だけで、あとは全部ダメ」
アルチョームさん(銀行員)「あの人は飲み過ぎで朝の9時から11時までしか仕事ができてなかった。よかったことといえば共産主義からの移行を何とかやったことと意の固い人を周辺に置いたこと。国をコントロールする能力のない人だった」
イリーナさん(47歳、医師)「エリツィン時代に生活水準は下がり社会格差は拡大した。科学研究には予算がつかず、科学者は離婚したり自殺したりした。私たちの印象では、彼が代表していたのはロシア国民ではなく、第一にアメリカの利益だった」
サーシャさん(20歳、学生)「子供だったからよくわかんなかったけど、母親はエリツィンのことを悪い指導者だと言っていた。でもプーチンは違う。エリツィンのしたことで最もよかったことは、後継者にプーチンを選んだこと」
以下、葬儀についてメモ。
AP記事:
http://www.detnews.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20070425/NATION/704250377/1020
「日本とエジプトからは駐ロシア大使」だったが他の国は、と元首脳の名前がずらり。(ハシリュウが生きていれば行っていただろうが。)
APより記述が箇条書きみたいで見やすいのが
http://news.trendaz.com/cgi-bin/readnews2.pl?newsId=915838&lang=EN
外国からの葬儀参列者は1000人超。その中に:
旧ソ連諸国
Azerbaijani Prime Minister, Arthur Rasizadeh
Nursultan Nazarbayev (Kazakhstan) 大統領
Alexander Lukashenko (Belarus) 大統領
Robert Kocharian (Armenia) 大統領
the Ukrainian Prime Minister, Victor Yanukovich
the Ukrainian ex-President, Leonid Kuchma
the Prime Minister of Tajikistan government, Akil Akilov
the Latvian actual and former Presidents, Valdas Adamkus and Algirdas Brazauskas
the Estonian President, Toomas Khendrik Ilves
the Prime Minister of Kyrgyzstan, Almazbek Atambayev
the chairman of the Georgian parliament, Nino Burjanadzeh
EU(欧州委員会)からはthe European Commissioner on Foreign Relations and European Neighbourhood Policy, Benita Ferrero Valdner.
その他諸外国からは
the former United States Presidents Bill Clinton and Sr. George Bush
President of Germany, Horst Keler
the Duke of York Andrew (Great Britain) 英王室
この記事にはないけど、英国からはジョン・メイジャー元首相も参列
Foreign Minister of France, Philip Dust-Blazi
ex-Premier of Italy, Julio Andreotty
ex-President of Finland, Mauno Koyvisto
ex-President of Bulgaria, Jelu Jelev,
ex-President of Polsha, Lev Kaczinsky(原文ママ)
というように、ドイツは大統領、フランスは外務大臣、イタリアと英国は元首相、米国は元大統領2人、フィンランド、ブルガリアはそれぞれ元大統領。英国からはヨーク公も。ポーランドからはカチンスキ(記事では「元大統領」とあるが現職のはず)、あと、この記事にないけど元大統領のレフ・ワレサも参列していたとのこと。
# あ、シュワルナゼの名前がない。。。
The real Yeltsin legacy
Far from introducing freedom and democracy, the late president helped discredit them in Russia
Archie Brown
Thursday April 26, 2007
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2065573,00.html
[quote]
A vast amount of nonsense has, however, been talked in recent days about Yeltsin introducing freedom and democracy to Russia. He did neither. A gradual liberalisation was initiated by Gorbachev from the time he became party leader in March 1985; this turned to serious democratisation in 1988.
...
Yeltsin played a far smaller part in democratisation than in the breakup of the Soviet Union. It was odd for the leader of the Russian republic, which Yeltsin became with his election to the chairmanship of the Russian supreme soviet in 1990 and to the presidency in 1991, to support Russian "independence". It made sense in terms of his desire to usurp Gorbachev, but did nothing to promote democratisation in many of the successor states. Even today it is regretted by a majority of Russians.
Yeltsin's main merit as president of post-Soviet Russia was that he preserved many of the freedoms introduced by Gorbachev. His principal fault was that he helped discredit the very ideas of democracy which had evoked real enthusiasm in the last three years of the Soviet Union. This was partly a result of his lack of interest in democratic institution-building. He was disdainful of political parties, and refused to join one. He was scarcely less dismissive of legislatures, most literally in 1993 when he ordered the bombardment of the parliament building. He had little understanding of the significance of the rule of law. When the minister for justice was dismissed in 1999 he was told by Kremlin officials: "You have one problem - you always cite the law."
[/quote]
Russian maestro Rostropovich dies
Last Updated: Friday, 27 April 2007, 11:45 GMT 12:45 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6598895.stm
ロシアの報道では、ロストロポーヴィッチもエリツィンが埋葬されているNovodevichy墓地に埋葬される予定だそうです。
Wikipediaによると
http://en.wikipedia.org/wiki/Mstislav_Rostropovich
今年2月6日に体調を崩してモスクワで入院、秘書の話では「ちょっと具合が悪いだけ」とのことだったが病名などは明かさず。そのすぐ後(かな、Mondayと書かれていてよくわからない)、プーチン大統領が病室にお見舞いに行き、相当悪いのではという観測を呼んだが、秘書の話では80歳の誕生日の記念行事について話をするために大統領が来た、とのことだった。3月6日に退院するも、4月7日にBlokhim Cancer Institute(ブロキム癌センター、でいいのかな)に入院、27日に死去。
ロストロポーヴィチによるバッハの無伴奏チェロ組曲の第1番、プレリュード:
http://youtube.com/watch?v=LU_QR_FTt3E
1962年、パリでの演奏。同じくバッハの無伴奏チェロ組曲の第3番、ブーレ:
http://youtube.com/watch?v=Ud3BvW2MAj4
はてなの「人力検索」での次の質問@昨年9月も:
http://q.hatena.ne.jp/1158548592
BBCの訃報記事についているビデオ、0:37くらいからベルリンの壁でのバッハの演奏シーンが2〜3秒ありますが、BBCのストリーミングには常のことながら音質が最悪である上にニュースの音声が重なっていて全然聞こえません。