kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年04月13日

This was England --「サッチャーのイギリス」の一側面

ずいぶん前に他人様のブログで引用されていたのを引用させていただいた安倍晋三氏の著書の一文:
じつは、サッチャー首相は、イギリス人の精神、とりわけ若者の精神を鍛えなおすという、びっくりするような意識改革をおこなっているのである。それは、壮大な教育改革であった。

そんな「意識改革」が首尾よくおこなわれていたとしたらそれこそこっちがびっくりだが、それはまあいい。ただ、私がここに引用した(しかも孫引きだけど)記述によって、サッチャー時代の英国の若者がすべて「精神を鍛えなおされて」びしっとしていたかのような印象がこの記述を見た人の頭の中で勝手に作られてしまうと、それは事実と反するという一点においてまずい。

・・・って無理やりな出だしだな。

マーガレット・サッチャーの首相在任期間は1979年5月4日から1990年11月22日。80年代は丸ごと、彼女の時代だった。私はリアルタイムで顔と名前を記憶した最初の英国の首相がマーガレット・サッチャーという世代だから、その名前を聞くだけでイメージが浮かぶのだが、現在20代の、自分が生まれたときにはサッチャーが首相だったというような人はそうではないだろう。ましてや自分の場合、何となくイギリスに興味があったから、音楽雑誌とかからでもイギリスについての情報は選択的に頭の中に入れていた(読んでいた)。つまり、「サッチャーのイギリス」についてはリアルタイムでそれなりに知っていたし、その後も英国への興味は続いてきたので、具体的なイメージをいくらかは持っている。(ただし「改革」を研究しているような人たちにとっての「サッチャー」のイメージとはかなり違いがあると思うが――サッチャーの改革については日本総研さんのページ(2003年01月号)がコンパクトにまとまっていて読みやすい。)

そういった具体的なイメージのひとつが、「スキンヘッド」のカルチャーだ。

今月末に英国では、"This is England" という「スキンヘッド」を描いた映画が封切られる。この映画については、エントリが長くなりすぎるのもあれなので、別にまとめる。どうせ日本ではすぐには見られないのだし、見られるのかどうかすらまだわからないのだし。(ぐちぐち。)

もうひとつ。1980年ごろの「スキンヘッド(スキンヘッズ)」を、彼らの一人という立場からカメラにおさめていたGavin Watsonというフォトグラファーの写真展 "This was England" が、ロンドンで開かれている(4月10日から20日まで。会期短い!)。

This was England
the PYMCA gallery
41 Clerkenwell Road, London EC1M 5RS →Google Mapで確認
Open Mon - Fri, 11am - 7pm
Free

http://www.pymca.com/ で、[Galleries] → [This was England] と進むと、184点の写真を閲覧することができるほか、PYMCAのmyspaceのページや、PYMCAのプリント販売のページのスライドショー、BBCのin picturesのページでも何点か掲載されている。

また、PYMCAのプリント販売のサイトにあるこの小学生たちの写真からは、この子たちが住んでいた「団地」が2005年に「大暴動」が起きたフランスの「大都市郊外」の団地(<リンク先はガーディアンのスライドショー)のようなものだったということが如実にわかる。で、この写真のこの子たちの髪型は「校則で丸刈り」とかいったものではなく、「労働者階級のカルチャー」なのだろう。

「スキンヘッズ」というと「白人至上主義」とイコールみたいに語られがちだが、この写真展の目的のひとつは、「白人至上主義」とは別の側面も示すことにあるようだ(写真の何枚かはあからさまに「白人至上主義」のシンボルを伴っているが。<ユニオン・ジャックじゃないよ。もっともろにそれなもの)。BBCのin picturesのページの1枚目は、High Wycombeのrun-downな建物(車庫か何か?)の前に「たむろする」6人の若者の写真だが、スキンヘッドにしてない人もいるし、白人ではない人もいる。一方で3枚目は「典型的!」と言えるほどに右翼的な「彼ら」だ。(それでもこの写真、「彼ら」の中に女性が何人もいて、それゆえに「典型的な写真」ではない。)5枚目はさらに極端な右に行っている人たちの写真に見えるが、写真家はこの「ナチの軍服」は「単に人にショックを与えるため、反体制を表象するもの」だったと説明しているし、彼らが「たむろ」しているパブからは、10歳にもならないような幼い女の子の手を引いた男性(おじいちゃんかお父さんかはわからない)が微笑を浮かべて出てきている。

何て立体的なんだろう。

「スキンヘッド」のカルチャーは、それについて中途半端にしか知らないような自分が説明したり解説したりできるものではない。とりあえずはwikipedia参照。写真に見える要素の説明のために少し書いておくと、男性の場合、頭を剃り、ポロシャツなど襟のあるカジュアル系シャツを着て、タイトなジーンズにドクター・マーチンのブーツを履くというスタイルを「制服」とした労働者階級の若者たち。その「ファッション」は彼らなりの「連帯」の表象だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Skinhead

ここでは「労働者階級」というのがとても重要なファクターである。それはミドルクラス(アッパーであれ、ロウアーであれ)が「外部の連中」となる社会だ(もちろんアッパークラスも関係ない)。当時の「労働者階級」は、失業率の高さ、住宅事情のひどさといったことから、概して「反体制」だった。その「反体制」には右も左もない、というか右も左もあった(何を「右」とし、何を「左」とするかにもよる)。つまり反人種差別主義でパンクのスキンヘッドもいたし、ホワイトパワーで「わが国/民族」万歳のスキンヘッドもいた(スキンヘッズというスタイルが広まって人数が増えるにつれ、ナショナル・フロントが浸透するようになった)。どっちとも言いがたい人ももちろんいた。メディアは右の方を警戒し、それゆえに右の方を頻繁に取り上げ、左の方は見過ごされがちだった。むろん、メディアの報道がすべてでたらめだったわけではない。ただ、偏りはあった。

■資料:当時のOi!/skinheadsカルチャーのレポート@BBC(非常に貴重! WikipediaのOi!の項、Controversyを参照。Asian youths firebombed the tavern, mistakingly believing that the concert was a neo-Nazi gathering. とあるが、勝手に思い込んだのではなく「NF」の落書きがされたことがきっかけのひとつだったことがレポートされている。)

BBC Nationwide Report on 'Oi' music culture 1981 Part 1 of 2
http://www.youtube.com/watch?v=sEd1j_cloV0

# The 4 Skinsのメンバーのインタビューで「自分はレイシストではないが連中(実際には侮蔑語)が」という言い方が出てくる。

BBC Nationwide Report on 'Oi' music culture Part 2 of 2
http://www.youtube.com/watch?v=Jr4mAbc5kKo


メディアの報道がすべてでたらめだったわけではないにせよ、「スキンヘッド」イコール「極右、ナショナル・フロント、フーリガン、人種差別」といった「イメージ」は、当時の英国の状況――BrixtonやらSouthallやら――をバックドロップにして、どんどん膨らんでいった。労働者階級ではない人々はショックを受けただろうし、その中でも左翼的な人たちは報道されるスキンヘッズの行動に対して怒りさえ覚えただろう。「スキンヘッズ」の関わる騒動を、BBCなどメディアは、ミドルクラスかそれ以上のアクセントでセンセーショナルに報じ、メディアはそれで「芽を摘む」とか「警告を発する」とかいったことに成功した、あるいは成功したかのように感じていたが、「労働者階級の若者」たちは「何も知らねぇミドルクラスが好き勝手言ってんじゃねぇよ」という気分/怒りを募らせる。

要は、あんまり物を知らず、物を考えず、とにもかくにも「体制はクソ」と言うことが第一に来ていた10代から20代はじめの人たちのムードが、おそらくは「ライフスタイル」だった彼らのポーズを、「本格的に政治的なメッセージ」に見せていたのではないかと思う。実際には彼らの言説の多くは「政治的」以前の何か――意味ははっきりとはわからないが、声に出してみると気分がよくなるからとりあえず口にしてみるような「記号」に過ぎなかったのではないかと思う。

ただしその「記号」が、頻繁に、人種差別、具体的にはパキスタン系の人たちへの差別(侮蔑を込めた呼び方に表象される)の言辞であったことは、「skinheadはライフスタイルに過ぎなかった」という説明をほとんど不可能にするのだが。写真展に出されている白黒の写真で黒人の少年の姿がはっきりと確認できるもののなかにも、パキスタン系の人たちへの侮蔑語が壁に書かれているものがあるのだ。つまり、白人による黒人への敬意とアジア人への侮蔑は両立していたし、その場の黒人もそれを、少なくとも形式としては、受け入れていた。

ともあれ、現在ロンドンのギャラリーで開かれている写真展は、「スキンヘッド」イコール「極右、ナショナル・フロント、フーリガン、人種差別」という固定化した見方をちょっとゆさぶるものになっているようだ。BBCでの紹介記事。(ほんとはこれより4月1日付けオブザーヴァーの記事のほうがずっと中身が濃いのだが、上の資料映像からのつながりでBBCにこだわることにしてみる。)

Under the skin
Last Updated: Thursday, 12 April 2007, 10:43 GMT 11:43 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/6546617.stm

写真を撮影したGavin Watsonは当時High Wycombeに暮らすティーンエイジャーで、スキンヘッドだった。14歳の時に彼はスキンヘッドとなったが、High Wycombeではそれは「白人だけ」のサブカルチャーではなかった。

「なぜスキンヘッドになったのかと言われても、説明するのは難しい。音楽やスタイルやファッションに情熱を傾ける人になぜそれが好きかと尋ねても、やはり説明は難しいというだろう。『なぜあなたは奥さんのことを愛しているのですか』と質問するようなもので、説明はしづらい。愛情も情熱もたくさんいろいろと関係している話だから。ただ、スキンヘッドであることには、精神的、神秘的な部分があった。とても深いものが」

彼の説のひとつに、仕事で忙しい父親たちは、街にいる先輩たちのようなロールモデルたりえなかった、というものがある。しかし彼自身は、父親からカメラをもらっている。15歳のときのことで、そのころ彼は退学処分になるところだった。

それから10年のあいだに、彼は1万枚の写真を撮影した。彼が撮影したのは、表に出てこない世界、頻繁に誤解されている世界である。だがやがてレイヴ・カルチャーがスキンヘッド・カルチャーに取って代わると彼の興味は失われた。

最初におもしろいと思った点は、憎まれ役になることだったという。「僕たちは完全に嫌われ者だった。みなが僕たちのことを怖がっていたし、あんなガキどもは叩きのめしてしまいたいと思っていた。子供でいるってことは大変なことだが、これもそのひとつで――常に何らかのメルトダウンが起こっているから」

彼の話では、人種差別主義者はパブでは笑い者になっていたという。また、もちろん暴力沙汰もあったが、当時はすべてのコミュニティに暴力沙汰がはびこっており、何もスキンヘッズ周辺だけのことではなかった。

「当時スキンヘッドだった人物」が、当時のことをこう回想している、という記述で、内容としてはつまり、「人種差別主義でつるんでいたわけではない」という証言。彼の写真には、少なくとも、黒人の少年が白人の少年たちと仲良くたむろしている光景がおさめられているのだから、と。

しかし、その「人種差別」が「黒人」に対する差別であった場合は、音楽好きの人たちの間では通用しない、というか「黒人の音楽はすごい」という話で上書きされるのだが、「黒人以外の有色人種」の場合はどうか、という問いは当然出てくる。

上に映像資料として引用したBBCのレポートでもSouthallの紛争を伝える部分に生々しく表されているが、パキスタン系への意識というものは、黒人への意識とはたぶんまったく違ったものだ。

しかし、黒人文化があちこちに影響を与えたことで概して敬意を抱かれている一方で、黒人以外のエスニック・マイノリティはそれほどラッキーではなかった。反ファシズム組織SearchlightのGerry Gableは、1970年代終わりにはスキンヘッズが敵だった、ブリック・レインで暴れていたいわゆる "Paki-bashers" の8割ほどがスキンヘッズだった、と言う。

「極右の政治集団は、孤立した子を探して回っていた。こういった子たちはスキンヘッドのユニフォームを着てライヴに行く。(だからライヴ会場でスキンヘッズを見かけると極右が声をかける。)極右のスカウト会場になっていたのはOi!系のライヴと、サッカーでの暴力沙汰だった」

※70年代末から80年代といえば、音楽はメタル(80s hairbandと呼ばれている類を含む)、ニューロマ、ニューウェーヴ、ポスト・パンクなどなど綺羅星のごとくであり、マイケル・ジャクソンとかマドンナといったスーパースターもいたし、学校でも話題になるのはそういったメインストリームの音楽だっただろう。「Oi!系のライヴ」はそういうコンテクストで。
http://en.wikipedia.org/wiki/Oi!

「人種差別」を「黒人に対する差別」と読み替えている限りは「私たちの中には黒人がいるから私たちは人種差別ではありません」というポーズが可能になる(近年のBNPもそういうポーズを取ろうとしてガチの差別主義者からブーイングを食らうなどしている。極めて間抜けだ)。当時のNFに黒人のメンバーが公式に参加していたとはとうてい思えないが、下記のように、"Paki-bashers" のなかに黒人のスキンヘッドがいたという記述もある。(「黒人」であり、なおかつ「スキンヘッド」であり、なおかつ「パキスタン系の人々を襲撃する一団」の一部、という人たちがいた、ということだ。)
Paki-bashing was as much a cultural issue as it was a race one, if not more so. The first generation of Asian immigrants were different - they didn't try to integrate, they kept themselves to themselves, some couldn't even speak the language, and of course, they were easy targets because they didn't fight back. It was a culture clash that led to them being singled out as easy targets, and it wasn't just skinheads or even born and bred British white working class kids doing the bashing. Black kids were at it too as were the Greeks and other minorities who had done more to adapt to the British way of life. Even more to the point, some of the blacks involved in paki-bashing were fully fledged skinheads themselves.

-- Violence In Our Minds: the Tilbury Trojan Skins, SKINHEAD NATION: The truth about the skinhead cult
http://www.skinheadnation.co.uk/tilburyskinheads.htm

※この記事↑はたいへんに読み応えがある。絶版になっている書籍を丸ごとウェブで公開しているものの一部。

BBCの記事はこのあと、「極右(ナショナル・フロント)の浸透は大きく取り上げられすぎることもある」とか「スキンヘッドのかっこよさというものは人それぞれだった」とかいうどこかのプロフェッサーのコメントに進んでいっていたりして、まるで "yes but no but yes but ..." を読まされている気分になるのだが(magazineの記事にありがち)、このプロフェッサー(Bill Osgerby, a professor of media, culture and communications)が変な修正主義に支配されていないということを前提にして読めば、プロフェッサーが言っていることは、「スキンヘッド」という表象から一様に「極右」というものを連想するのは実態と異なっている、ということであり(「スキンヘッドの反ファシズムの側面が極右ほど目立てなかったことが残念」)、つまり、「スキンヘッド」というだけで極右だと決め付けるのはいかがなものか、という話のように読める。

どうやら全体として、「1980年代のスキンヘッド・カルチャー」を、「黒歴史」として「なかったこと」にしたいものにするのではなく、冷静に評価してみましょうよ、という話のようだ。今回の写真展もあるし、今月末から英国で封切られる映画、"This is England" もあるし、この機会にどうでしょう、という感じか。(そもそもmagazineの記事だから、シリアスな報道が目的ではない。)

# だがそういう点で記事を書くのなら、反人種偏見をとなえたスキンヘッズのことにも少しは言及してもよさそうなものだと思う。例えば:
http://en.wikipedia.org/wiki/Skinheads_Against_Racial_Prejudice

スキンヘッド・カルチャーが「人種差別主義」と同一視されたのには、「彼ら(奴ら)」という枠組みがあったことが大きく影響している。BBC記事によると、1982年にDick Hebdigeという評論家が "This is England and They don't live here"(ここがイングランドだが、彼らはここに住んでいない)という小論を発表した。この「彼ら(They)」が「移民」のことと誤解されたという。しかし実際には筆者は、「彼ら」とは「教育があり、ミドルクラスで、白人で、専門職についており、スキンヘッズが白人以外の移民と一緒に暮らしていたインナーシティの劣悪な住環境から脱していた人々」のことだった、とBBC記事で語っている。

この論文そのものが見つけられないので正確なところは不明だ。1日付オブザーヴァー記事によるとスキンヘッドの人が口にした言葉を引いたもののようだ:
http://observer.guardian.co.uk/review/story/0,,2047302,00.html
Shane Meadows' film shares its title with an astute essay by the cultural critic Dick Hebdige. Its full title, This Is England And They Don't Live Here, comes from a comment made by an East London skin called Mickey, a quote that began with the classic line, 'Don't get me wrong - I've got a lot of coloured friends. And they're decent people. But they've got their own culture. The Pakistanis have a culture, it's thousands of years old. But where's our culture? Where's the British culture?'

このquoteも、全体が見つけられないのでよくわからない。(言っていることはわかる。)なお、この批評家氏のことはこのオブザーヴァー記事に詳しい。

それにしても、BBCの記事は(magazineだから)そもそもまったくシリアスなトーンではないのだが、最後のほうで「スキンヘッドは、男らしさの究極の形として、ゲイの男性に取り入れられている」とかいう話になってしまって、せっかくのテーマなのにぐだぐだだ。黒歴史(スキンヘッズの暴力はイギリス社会の黒歴史だし、彼らに一律に「ネオナチ」というレッテルを貼ったのはメディアの黒歴史だ)を正面から見ようという気がそもそもあるんだろうか、という気分にすらなる。

ともあれ、要は、1970年代終わりからのスキンヘッズ・カルチャーは、「何だかわけがわからないけれども、凶暴な子供たちが集団で妙な格好をして、差別的な言葉を口にして、やたらと攻撃的な態度をとっている」というような存在だったということなのではないか。そして、それをメディアは一律に「ネオナチ」と呼んだが、そう呼ばれた彼らの中には反ナチ、反レイシズムの思想の人たちもいた。(で、反ナチの人までスキンヘッドであるだけで「ネオナチ」とレッテルを貼られれば、腹を立てるのは当然だ。ただその「ネオナチ」/「反ナチ」という語が何を意味するのかも、ナチス・ドイツを敵としていたイングランドでは微妙なのだが。)

それでもしかし、2007年になって「彼ら全員がネオナチではなかったんです」とか「実は政治とはあんまり関係のないものだったんです」とだけ言うことに、何の意味があるのかわからない。当時彼らのことを「ネオナチのガキども」として見下していたお上品階級に「実は・・・」と打ち明け話をするにはこれでいいのかもしれないが。

というか、『「スキンヘッド」イコール「ネオナチ」ではない』と言うことには意味はおおいにあるのだけれども、『「スキンヘッド」は「ネオナチ」ではない』と言うのはいかがなものか(ってこれ、英語でどう表せばいいんだ ^^; 部分否定でも使うか)。むろん「ネオナチ」の定義次第だが(これはこれでtrickyだわね)、写真展の写真をオンラインで見られる範囲で見て、ほんとにそう思う。たとえ「ロンドンにはナチのスキンヘッドは30人くらいしかいなかったと思うが、そのわずかな人数のためにすべてが真っ黒ということになった。スキンヘッズは確かにBNPの釣堀になってはいたが、ほとんどは政治などどうでもいいという連中だからBNPに入ることもなかったし、もし投票にいくとしても労働党に入れていたような連中だった」(Gavin Watsonのインタビューから)としても、壁に書かれたPAKIという文字列と、その文字列が表している人々に対するスキンヘッドの暴力行為(たとえ、その写真に写っている人は加わっていなかったとしても)があったことを、どう説明するのだろう。「こいつは友人だった」というのを抜きにして、このフォトグラファーはそれを語れるのだろうか。っていうか語ってほしい。

なお、このBBC記事はコメント欄が興味深いことになっている。当時を知る人たち(今30代終わりから40代前半と思われる)が書き込んでいる。

en.wikipediaのエントリにも説明があるが、反人種差別のスキンヘッドは、人種差別のスキンヘッドのことをbonehead (bone head) と呼んでいた。その用語を使っているコメントでは「自分が知っているスキンヘッズのほとんどが、政治的には左翼的な考え方をしていた」とある。

「自分はパンクで、スキンヘッズにはかなり怖い思いをさせられたが、優しいスキンヘッズもたくさん知っている。社会のどのセクションにもよい人と悪い人がいるように、スキンヘッズにもよい人と悪い人がいるということで、メディアがスキンズはレイシストで、パンクはシンナー中毒で、ヒッピーは臭いという描き方をしているだけだ」というコメントもある。

「1981年、自分は11歳で、自分の3倍以上の体重があるスキンヘッドに顔を何度も殴られた。今でも傷は消えていないが、自分より弱いもの・小さいものに対してああいうことをするタイプがいて、そういうタイプはどんな格好でもしているということがわかったので、個人的にはスキンヘッドを怖いとは思ったことはない。スキンヘッドは本当にみな同じような格好をしているから、一緒くたにされて汚名を着せられたのだ」というコメントも。(つまり「スキンヘッド」というわかりやすいものを非難の対象としたのではないか、ということでしょうね。昨今、日本で何か事件があると「おたく趣味」とか「ゲーム」とかが引っ張り出されるように。あるいはコロンバイン高校の銃乱射事件でGOTHが槍玉にあげられたように。)

ダーラムのConsett(という町)は、1980年代半ばには、失業者ばかりだった。スキンヘッズもどこにでもいたし、電柱とか窓とか壁にはナショナル・フロントの赤い小さなステッカーが貼られまくっていた。このあたりでは、スカが大好きで温厚なスキンヘッドというものは、非白人の移民と同じくらいに珍しかった。だからここでいう1980年代のスキンヘッズが誤解されているというのは自分にはよくわからない。少なくとも、自分の知っているスキンヘッズはここに書かれているような人々ではない」というコメントも。つまり、ロンドンのような「インナーシティ・スラム」を抱える大都会と、ハイ・ウィコムのようなニュータウンと、コンセットのような寂れた工業都市(国内の競争に敗れた鉄鋼産業都市)とでは、同じように論じることはできない。

「スキンヘッズはレイシストだったし、お前はパキスタン人かと訊いてから殴るような悠長なことはしてなかった。白人でなければとにかく追いかけてきた。自分の地域ではこういう考えなしの暴力はなくなったが、それは警察のおかげではない。警察は70年代にはスキンヘッズよりもさらにレイシストだったのだから。暴力がやんだのは、次の世代の移民たちが反撃を始めたからだ」という、サイードという名前の人のコメント。実際、70年代、80年代にパキスタン系の人たちが襲撃対象になっていたのは、反撃しなかったからだとも聞いている。パキスタン系の人を路地に追い込んで侮蔑を込めた短い名称で罵りながら殴る蹴るを一通りやると気分がスッキリする、なぜなら俺はあいつらが嫌いだから、というインタビューを読んだこともある。(あるいは映画の台詞だったかもしれない。)

「カーディフではスキンヘッズが集まるバーがあって、彼らは楽しい人たちだったが、モッズが来ると一騒動になった。一方で、自分が20人ほどのミドルクラスに囲まれたときには、スキンヘッドが助け出してくれた」というコメント。

「70年代終わりから80年代初めにかけてダブリンで少年期を過ごしたのだが、自分も友人たちもみなスキンヘッドだった。みなでトロージャンとかStudio 1とかのレーベルから出ているジャマイカの音楽を集めていた。スカにロック・ステディにレゲエ。音楽も、外見も、カルチャーもみんな好きだった。UB40のライヴに行ったときには怪訝そうな目つきで見られたけれども、スキンヘッド・ムーヴメントの起源を説明したらみんな感心していた。20代の始めにはSHARP (Skinheads Against Racial Prejudice) に加わって、同じような考えを持っている世界中のスキンヘッドと知り合った。今回のような写真展や映画(This is England)を通して、スキンヘッズの本当のメッセージが提示されるとよいのだが、と思う」というコメント。

すごい可笑しいのが、「1980年代の私は郊外暮らしのミドルクラスの子供で、直接的な経験は何もない。しかし12年前に頭の毛を剃るようになって(金銭的な事情により)、驚いた。人々は私のことを訝しげに見るか、あるいは敬意をもって見るかのどちらかなのだ。髪の毛を剃り落とすということが何を表すのか、本当にびっくりしている。また私も(髪型ゆえに)レイシスト/ファシスト/サグ/フーリガン等などと呼ばれたが、いずれも真実ではない。だが今から髪を伸ばすつもりもない。私を見た時の人の反応で、その人の偏見というものがはっきり現れるから、その人についてよくわかるのだ」というコメント。

それと、「周りの男性が全員スキンヘッドになるなんて絶対にいや〜。でもスカはすっごい好きだからぁ、これでスカがリバイバルするといいな☆」みたいなコメント(笑)。

■スカの資料:ホンダの「シティ」という車のTVCM
http://youtube.com/watch?v=8yrbDh9yN3k


http://youtube.com/watch?v=kE15KR0FhIE


しかし、坊主頭ひとつでここまで話が盛り上がるというのは、僧侶とか少年野球とか清原とかで坊主頭に慣れている身から見れば不思議に思えてくる。デイヴィッド・ベッカムが頭を剃ったときの反応も過剰だった(「あの刺青にあの頭、まるでネオナチのスキンヘッド!」というショック)。

そういえば通りすがりの人に「三島はスキンヘッドだったのか」と訊かれて(私はなぜか、イングランドで何度か「三島」について世間話をしている。私の顔に「三島」とでも書いてあるのだろうか。ちなみに、顔は似てないよ)「あれはスキンヘッドとは別のものだと思う」と答えたこともあった。



なお、ここでのskinheadsはオリジナルの(60年代の)スキンヘッズではなく、70年代末から80年代のskinheadsであることに留意されたい。



反極右ということでいうと、スキンヘッドではなく毛があるし、イングランドではなくアメリカの西海岸だが、1985年のシーンのひとつ。
http://www.youtube.com/watch?v=pkqtfuyC5Fs

演奏開始前の演説を聞くべし。(昨今のブッシュ批判とそっくり。)

ところで最近、amazon.co.ukでそこらへんの映画の2本組み(ティム・ロスとゲイリー・オールドマンが極右青年を演じていて、マイク・リー監督作が1本。よさそうでしょ)を購入したのだが、まだ見ていない。マーケットプレイスで£10くらいで出てます。(送料入れても£15くらい。)
http://www.amazon.co.uk/exec/obidos/ASIN/B00008DI5R/
※PALだからNTSCのテレビでは視聴できません。パソコンならOK。リージョンは日本と同じ。

※この記事は

2007年04月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本にも極右ネオナチ・スキンヘッド・バンドがウジャウジャいるみたいです。
ht tp:// www. youtube. com/profile_videos?user=oithecobra5

▲移動したコメントはここまで。以下はメモ。

※4月23日、管理人によるコメント移動。
元のコメント投稿URL:
http://nofrills.seesaa.net/article/38660796.html
(このエントリの次のエントリ)
元のコメント投稿日時:
2007-04-15 17:37:57

コメント内のyoutubeのuserページのURLはスペースを挿入し、リンクを無効化。
投稿者名のところにも同じyoutubeのURLが入力されていたが、こちらは消去(本人のサイトのURLではないと判断されるため)。

移動前の管理人からのレス:
>中田さん
どうしてもこのコメントはこの記事(転記時注:元々投稿されていたエントリをいう)につけたいということでしたら、できればその旨補足でコメントいただけますでしょうか。というのは、この記事は「ネオナチ・スキンヘッド・バンド」とは直接関係ないので(映画紹介の記事などからは、むしろ「スキンヘッド」イコール「ネオナチ」という「固定化した見方」に一石を投じようとしている映画だと思われるのですが)。

1週間くらいの間で(4月22日くらいまでに)補足いただけない場合、このコメントは1つ前の記事(「ネオナチ」により関連が深い記事)に移動させていただきます。
http://nofrills.seesaa.net/article/38650915.html
※転記時注:↑はこのエントリのURL。

それと、違っていたらほんとにごめんなさい、「中田」さんは以前下記記事にコメントくださった方と同じ方でしょうか。もしもそうでしたら、このブログにコメントいただく場合は、継続して同じハンドルをお使いいただけますと幸いです。(もし全然別の方でしたらごめんなさい、非礼をお詫びします。)
http://nofrills.seesaa.net/article/34948952.html
Posted by 中田 ※管理人による投稿移動 at 2007年04月23日 08:17

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼