kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年04月05日

「取引も、交渉も、合意も一切なし」

イランの領海を侵犯したとしてイラン当局に身柄を拘束されていた英海軍兵士15人が、先ほどヒースロー空港に到着したとのことだ。ご家族は心底ほっとなさっているだろう。2週間近くの緊張のあとで。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6529193.stm

細かい話がどうにもわからないのだが(英国は当事者である上に事が事だから、英国の情報はあんまり信用できないし、ましてやイランは・・・という前提でかかっているので)、今回のことは、テヘランの米国大使館人質事件のように「国交断絶」という大ごとにはならなかった。とりあえず。

しかし、ブレアが「今回の事態に際しては、イランとは何も取引していないし交渉もしていないし、いかなる種類の合意もない」と説明しているのには、咳き込んだ。

'No deal done with Iran' - Blair
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6529431.stm
They were released "without any deal, without any negotiation, without any side agreement of any nature," he said.

咳き込むと同時に頭の中をあの曲がぐるぐるし始めた(サビがキャッチーなんだよね)。

http://www.youtube.com/watch?v=TXIVoKrn9uQ

歌詞はこちら。Lies Lies Lies Lies Lies Lies Lies, Lies Lies Lies Lies Lies Lies Lies, Lies Lies Lies Lies Lies Lies Lies, Surpise surprise!! Don't listen to me, listen to your head, Don't listen to anything, they say ...

同じ日に、バスラで爆弾が爆発し、英軍兵士4人と通訳者(イラク人)が死亡している。ブレアは15人の海軍兵士解放には何も裏はありませんと説明したその会見で、「本当に裏なんてないんですってば」と強調するかのように、「イラクでテロを行なっているのはイランの筋」ということを述べている。
Mr Blair said it was "far too early" to point to any Iranian involvement in that particular attack.

But he added: "The general picture, as I have said before, is there are elements at least of the Iranian regime that are backing, financing, arming, terrorism in Iraq."


ほとんどyes but no but yes but ... みたいな話を聞かされているような気分になる。こういうこと、前にあったな、と思ったのだが、それはおそらくIRA武装闘争停止前のジェリー・アダムズだ。2000年にロンドンにいるときにちょうどIRAの動きが大きなニュースになっていて、BBCの夜のニュースとかにも頻繁に出てきていたのだが、北アイルランド訛りだからとかそんなんじゃなくて、何がどうなるという話なのかがさっぱりわからなかった。大家さんにそう言ったら「わかる人はたぶんあんまり多くはいない」とのお返事だった。Too tricky! と言ったら哄笑が返ってきた。今思えば、あのときにはシン・フェインとIRAの真剣な話し合いが進行していたのだと思う。

※この記事は

2007年04月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼