kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年10月25日

英バーミンガム連続テロ被告のウクライナ人エリート学生は「内気で真面目」で、ティモシー・マクヴェイを偶像化していた。

「書きかけ」のままになってしまった前記事(下記)から間が空いたので、新規にエントリを。

2013年10月23日 「彼らは白くない。僕は白いから」――バーミンガム連続テロ事件で逮捕されたウクライナ人の裁判開始。
http://nofrills.seesaa.net/article/378367783.html


起訴されたウクライナ人、パヴロ・ラプシン (Pavlo Lapshyn) は、ウクライナの国立冶金学アカデミーの大学院生(博士課程)で、公的レベルで実施されている英国での企業インターンのプログラムで派遣され、4月24日にバーミンガムに到着。その5日後の4月29日の夜に、近く(歩いて15〜20分圏内)のムスリム街でモスクでの礼拝から帰宅途中の82歳の男性を背後から3度刺して殺害。その後、6月から7月にかけてバーミンガム近郊の3つの街のモスクに爆発物を仕掛けたとして逮捕・起訴された。今週審理が始まった裁判では有罪を認めている。警察での尋問でラプシンは、犯行動機は自身の人種主義(白人優越主義)であることをはっきりと述べている。……というのが前記事の内容。

このラプシンという人物について、やや詳し目の解説記事がいくつか出ている。本エントリではそれを見ることにする。

まず、BBC。

Pavlo Lapshyn's 90 days of terror
By David Lumb and Dominic Casciani
21 October 2013 Last updated at 16:12 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-birmingham-24586050

【要旨】
警察の尋問で、ラプシンは動機をはっきりと語っている。「人種主義です。人種間の紛争をもっと起こしたい。なぜなら彼らは白くないから。僕は白いから」

彼は、英国に到着して5日後に、バーミンガムのスモール・ヒース地区の路上でモハメド・サリームさんを刺殺し、モスクを3件、爆発物で攻撃した。警察では、これらが彼の犯行と発覚していなければ、さらにまだ攻撃を行なっていただろうと見ている。

4月29日の夜、サリームさんが刺されたあと、街頭の防犯カメラが現場から走り去る白人の男の姿を撮影していた。警察は映像を公開したが、この男が誰なのかわかる人はいなかった。会社の敷地内の寮でひとり暮らしをしていたラプシンは、その時点で既に、新たな計画へとシフトしていた。爆発物を3つ、徐々に大きさと能力を大きくしながら組み立てた。

最初の爆発物は、6月21日、子供用のお弁当箱に入れられてウォルソールのアイーシャ・モスクに仕掛けられた。(※裁判開始時の別の記事に映像と写真があるのですが、サメの絵が描かれたお弁当箱を緑色の小さな紙袋に入れた細身の男がバスの2階席にいる映像が記録されています。爆弾を置いてきたあとは酒屋に立ち寄ってワインを選んでいます。)

(この日は金曜日で)爆発時、モスク内では礼拝が行われ信徒が集っていたが、怪我人は出なかった。モスク周辺の住宅からは、(爆発物のチェックの間)150人が退避させられた。

このボム攻撃については、ラプシンは「生命を危険にさらす可能性が高い爆発を引き起こした」という罪状に関して無罪を主張しているが、爆発物への関与を含め「テロ行為」では有罪を認めている。

その1週間後、6月28日、ウォルヴァーハンプトンの中央モスクが爆発物の標的となった。人々は大きな爆発音を聞いたと報告していたが、警察が爆発物を発見したのは3週間後だった。(警察は「その音は車のエンジン音か何かだろう」と言って取り合わなかった、という。)

そして最も強力な爆発物が、7月12日、ティプトンのKanzul Iman Masjid mosqueの建物の外に設置された。ラプシンはこのボムに、長さ25ミリの釘(ネイル)を600グラム、詰め込んだ。

この爆発について、ラプシンは有罪を認めている。法廷では(検察側によって)このボムは人を殺す可能性があったと主張された。混雑した駐車場で犠牲者が出ていた可能性が高いということだ。だが、この日、ラマダンのため、モスクでの礼拝の時刻は1時間、変更されていた。(そのため、人がおらず、犠牲者は出なかった。)

この地域ではこの1週間後に、EDL (the English Defence League) のデモが予定されていた。バーミンガム市議会の地域安全担当のZaffar氏は、ムスリムのコミュニティは攻撃にさらされていると感じていた、と語る。「コミュニティ全体が怯えていました。次に何が起きるのだろうか、と」

だが地域の警察(ウエスト・ミッドランズ警察)は「非常に難しい捜査」で手づまり。「目撃者もいなければ、フォレンジックな証拠もほとんどない状態で、防犯カメラの映像は画像の質が悪く、さんざん呼びかけを行ない、Crimestoppersで1万ポンドの報奨金を提示しても、何の情報も寄せられなかった」と担当。

この点について、別のBBC記事では:
Within days of the first bomb exploding in Walsall on 21 June, officers had a clear picture of what the 25-year-old looked liked after analysing footage from hundreds of CCTV cameras in the area.

West Midlands Police said the problem was finding Lapshyn as he was a "loner".
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-24614280

(一連の攻撃の最初、6月21日のウォルソールでの爆発から何日もしないうちに、警察では一帯の防犯カメラ数百台の映像を解析し、容疑者の鮮明な像を得ていた。しかし問題は、彼が「孤独」だったことだと警察は述べている)(※「孤独」であるばかりか、土地の人でなかったので顔も知られていなかった……というより、そんなことをする動機などありそうにもない「外国から研修のために派遣されてきた優秀な学生」だったわけで、本当に言葉もない。なお、特定の決め手になったのは服装だったようです。全身黒ずくめ)


ティプトンではボムに仕込まれていたネイルが木々に突き刺さっており、消防隊員を動員してこれを回収。さらに、お弁当箱を持ってウォルソールのモスク(最初のボム攻撃)に向かって歩いている男の姿を、警察は防犯カメラの映像で確認。この映像が後に、事件容疑者とスモール・ヒース地区のバスに乗っているラプシンとを結びつけた。最終的には警察は容疑者を産業地区まで追跡し、そこでラプシンの派遣先の企業の従業員が、写真の男の身元を確認した。この企業の代表者は「大変残念なことでショックを受けている」と述べている。(そりゃそうだろう)

警察はラプシンの住居を捜索。コンピューターから過激思想を裏付けるファイルが見つかり(※これが、超まずいというかやばいもので……ホンモノですわ、この人)、ネットで爆発物について調べた形跡も確認された。

ラプシンは薬品とコーヒー・ミルを購入し、携帯電話3台をタイマーとして動作するよう改造。ボムの材料はすべて、ネット通販か地域の露店やスーパーマーケットで調達していた。

サリームさん刺殺の動機について警察が質問すると、ラプシンは「僕には人種に基づいたヘイトがあります。それが動機です。人種的な動機、人種的な憎悪です」と答えた。

担当の警官は、「彼の面接をした職場の人たちは、彼について、落ち着いていて筋道だって先まで考えており、ことに熱心に取り組む人物であると述べています。彼の非白人に対する憎悪と、爆発物に関する知識などを総合すると、極めて危険な人物になります」と語っている。

すべて単独で行なっているが、渡英前に計画を立てていたかどうかは警察も把握していない。「現段階ではまだ、ウクライナ当局に照会中」と担当警官は述べている。

「事前に計画していたとか、特にサリームさんを選んで標的にしたといった証拠は、何もありません。サリームさんが襲われたのは、不運なことに、たまたまそのときにそこにいたからと思われます」

サリームさんの家族は警察の初動捜査は十分ではなかったといい、ウエスト・ミッドランズのムスリムの人たちは、サリームさん刺殺とモスクへのボム攻撃に対する英国政府の対応は、5月に起きたウリッチでの英兵刺殺事件への対応と比較して、全然手薄いと指摘。バーミンガム市議会のZaffar氏は「Cobraミーティングが召集されなかったという事実には腹も立ちますが、それ以上に、ショックでやりきれません」と語る。

一方、ウクライナからは、ラプシンの思想と過去についての証拠が出てきている。

彼は渡英する前に、ロシア語のソーシャル・ネット(※VKです)で過激ネオナチの文書について言及、当該の文書(それが何であるかはこちら参照)はバーミンガムにあった彼のパソコンから見つかっている。

また、3年前、彼は故郷の町で爆発物の扱いを誤って自宅アパートの建物を損壊、警察の捜査対象となっている。このとき、彼は科学的な目的のために化学物質で実権をしていたと警察に説明し、罰金刑に処せられた。

ただし別のBBC記事には、ウクライナでの彼の担当教官のコメントとして、「学生時代の彼からは、過激思想を持っているということはまったくうかがえませんでした。警察に、人種紛争をもっと起こしたいと語ったそうですが、そんなことを聞いて私たちもびっくりしています」とある。

(BBC記事要旨、以上)

※日本でも最近、サーマイト(テルミット)・ボム作っちゃった高校生のことが報道されていましたが。



BBCの上記記事と同様の解説記事が、ガーディアンにも出ている。

Pavlo Lapshyn, the 'shy and polite' student turned terrorist
Vikram Dodd
The Guardian, Monday 21 October 2013 15.34 BST
http://www.theguardian.com/uk-news/2013/oct/21/pavlo-lapshyn-ukrainian-student-terrorist

ヴィクラム・ドッド記者は、この記事を、「英国を襲った最も深刻な右翼のテロ作戦のうちのひとつは、ある意味で、偶然によって始まった」と書きだしている。確かにラプシンがバーミンガムのスモール・ヒース地区に来たのは、彼の意志によってというより、インターンとしての派遣先企業がそこにあったからという「偶然」だ。

友人たちはパヴロ・ラプシンのことを「シャイで礼儀正しい人物」と言っている。その彼が、夜の10時に、つえをついてえっちらおっちらと通りを歩いていく老人を、背後から3度も刺したのだ。

モハメド・サリームさんは地域で敬愛されていた。葬儀には5000人が参列したという。

現場から立ち去る野球帽の白人男を、誰も特定できなかった。サリームさんのご遺族は、警察はこの殺人が人種的な動機に基づいたものだと判断するのが遅かったと言う。

ラプシンは、ウクライナ国内の競争を勝ち抜いて、英国のコヴェントリー大学を訪問し(※客員研究員か)、バーミンガムの企業でインターンをするというチャンスをものにして、会社の敷地内にある寮に暮らしていた。サリームさんを刺殺したあと、彼は爆発物の部品を調達し始めた。過酸化水素を使った爆発物を、技術的な心得のある彼は、ネットで入手した情報を参考に組み立てた。

ウクライナの極右を研究しているウクライナ人の研究者、Anton Shekhovtsov氏は、ラプシンがロシア語のサイトのソーシャル・メディアのページに、5月21日、過激派のコンテンツ(オクラホマ連邦ビル爆破のティモシー・マクヴェイについてのもの)を掲示したとの事実を指摘。英警察もShekhovtsov氏も、サリームさん殺害まではラプシンと極右集団や極右の文書などとの間に何のリンクも見つからない、と述べている。

そして6月21日、ウォルソールで最初の爆弾が爆発。現場に残されたデブリの性質から、テロ事件と扱われることになり、これが報じられたのは1日経過した後だった。

サメの絵が描かれた子供用のお弁当箱に仕込まれたこの爆発物を持って、ラプシンは自宅フラットを出てバスに乗った。携帯電話で作ったタイマーをセットして爆発物を設置すると、彼はバスでバーミンガムに戻り、帰路、ワインを購入した。(※ウォルソールはバーミンガムの北西、10キロくらいのところにある。ラプシンのいた会社の寮はバーミンガム市内南東部)

ラプシンは続いて、ウルヴァーハンプトンのモスクの外にボムを置いたが、これはウォルソールの事件に関連して警察が事件とは無縁の人を逮捕したからだ、と述べている。

しかし警察は、ラプシンを逮捕するまで、ウルヴァーハンプトンのボムに気づかなかった。6月28日、爆発の当日に現場に呼ばれた警官たちは爆発物の専門ではなく、このタイプのデブリの意味がわからなかったためだ。

そして3件目は7月12日、ティプトン。これがこれまでのボムより全然強力なものだった。タイミングさえ間違えなければ、モスクに訪れた人々を殺傷していただろう。

ラプシンはモスクのサイトで時間を調べ、金曜礼拝の最中の午後1時にタイマーをセットした。通常ならその時間は大勢の人が集まっているが、この日はラマダンで1時間遅れのスケジュールだったため、爆発があったときは近くには誰もいなかった。

爆発物は25ミリの釘が600グラム仕込まれたもので、半径70メートルの範囲内に致死性の高いこれらの釘を飛び散らせた。その勢いは強烈で、釘が木の幹に突き刺さっていた。

ウォルソールでの最初の爆弾攻撃以降、警察はMI5の支援を得て実行犯を探していた。しかし、ラプシンは英国に来たばかりで誰も彼のことを知らず、警察も情報機関も彼についての情報を持っていなかった。警察の情報提供の呼びかけには何の反応もなかった。

3件目のティプトンの爆弾が協力だったので、これら一連の事件の実行犯を捕まえることは急務となった。爆発から4日後、警察は鮮明な画像を提示して情報提供を呼びかけた。ウエスト・ミッドランズ検察の対テロ部門を率いる警官は、これで多くの情報提供があるだろうと思っていたが、これもまたスカ。警察は手詰まりとなっていた。次の金曜礼拝が迫る。土曜日にはバーミンガムの中心部でEDLのデモが行われる。ロンドンの政府も懸念を募らせ、内務大臣を含む政府の当局者もバーミンガムの警察の幹部と連絡を取るようになっていた。犯人は、逮捕されるまで攻撃をやめないだろう。

ウエスト・ミッドランズ警察にとってはこれまでにないほど厳しい1週間となった。域内のモスクすべてと連絡を取り、保安上のアドバイスを行なっていた。

ブレイクスルーが訪れたのは、7月18日(木)のことだった。

スモール・ヒース地区の大型スーパーで撮影された容疑者の防犯カメラ映像を、地域の警官らが見ていた。容疑者が買ったものを見て、これはこの地域で仕事をしている人間だと辺りをつけた警察は、容疑者の写真を持って地域の会社をしらみつぶしにあたることにした。金曜日まで、もう時間はない。

そしてラプシンの派遣先の企業で、これはうちのインターンの学生ですねと従業員が確認。

ラプシンは逮捕されるとすぐに、モスクへのボム攻撃だけでなく、サリームさん刺殺事件についても自白した。動機は人種主義。

ラプシンの逮捕に続いて、警察は共犯者や攻撃実行を支持した人物がいるのではないかと捜査を行なったが、結局、過激な右翼イデオロギーに染まったラプシンの単独での犯行であるとの結論になった。

ウクライナの極右を研究しているShekhovtsov氏は、ラプシンはウクライナの過激派集団とは一切関係のない、「内気で礼儀正しい、正常な人物」であると語る。ウエスト・ミッドランズ警察も同じ見解だ。

ウクライナでは人々はウクライナ語を使うが、ロシア語を使うマイノリティもいる。ラプシンはこの少数派のロシア語話者で、彼がネットで言及している過激派は元々ロシアのグループである。しかしバーミンガムに来る前は、彼のサイトには一切、右翼のコンテンツは確認できない。

ラプシンの渡英の直前、母親が自動車事故で重傷を負ったが、この事故にも非白人の関与はない。

……以上。

地元紙、バーミンガム・メイルにも記事がある。ラプシンは、1995年のオクラホマ連邦ビル爆破事件のティモシー・マクヴェイ(死刑執行済)を偶像化していたという内容だ。

Pavlo Lapshyn: Academic loner inspired by Oklahoma bomber Timothy McVeigh
By Nick McCarthy, 22 Oct 2013 07:00
http://www.birminghammail.co.uk/news/local-news/pavlo-lapshyn-inspired-timothy-mcveigh-6219407

Lapshyn’s Russian Facebook page – an outlet for his racist beliefs and right-wing terror obsessions – revealed the Ukrainian hailed McVeigh as a “lone hero” on the day of the Walsall bombing.

He had also posted a link to the case of a German neo-Nazi gang accused of a string of racist murders.

The right-wing extremist National Socialist Underground were suspected of killing a policewoman and nine immigrants across Germany.


「ドイツのネオナチ集団」は、例のあれか……。マクヴェイにせよ、ドイツの集団にせよ、「既存の極右集団とは関係ない」状態での凶行だ。

Lapshyn’s world view was laid bare by his love of the work of American writer William Luther Pierce, the founder of the US neo-Nazi National Alliance group.

On his website, Lapshyn posted a link to the Russian translation of Pierce’s novel, Hunter. Written under a false name, it imagines a white revolution in the US.

The audio-book of another of Pierce’s works, The Turner Diaries – believed to have inspired McVeigh – was also among Lapshyn’s collection of audio files, while the book’s cover was his profile picture.


……強烈。

これまでも極右の単独犯を偶像化した事例がなかったわけではない。英国では、1999年SOHOパブのネイルボム攻撃のコープランドなどは極右の間で大人気で、彼にインスパイアされて爆発物の材料をため込んでパクられた極右も何人かいたはずだ。しかし、コープランド崇拝者は基本的にボーンヘッド系で、ラプシンのようなエリート系ではない。

バーミンガム・メイルの記事には、ラプシンの人物像もある程度出ている。

3言語(ウクライナ語、ロシア語、英語)を使い、学業は極めて優秀だが、人付き合いが極端に苦手で、父親(大学の講師)でさえ「マイルドな言い方をすれば、彼はあまり社交的なほうではありません」と述べるほど。「彼と会話をしようと思うと、かなり大変です」

……何か聞いたことがあるような、としばらく目をつむってみたら、思い出した。米コネティカット州のサンディフック小学校銃撃事件のアダム・ランザだ。彼について、生前の母親や同級生たちが言っていた言葉と重なる。

すべてがもっと明らかになるのは、裁判が終わってからだ。(陪審制の英国では、裁判中に陪審員に予断を与えるような報道をすると「法廷侮辱罪」に問われることになるので、裁判中は情報が少ない。)

なお、バーミンガム・メイルのこの記事には、ラプシンがバーミンガムに来ることになった経緯についても、他のどこより詳しく書かれている。いわく、彼が派遣されたプログラムは派遣先企業がウクライナの高等教育機関とのパートナーシップで主催しているコンペで、ラプシンは3Dモデリングとコンピューター・プログラムで3位入賞を果たし、バーミンガムでのインターンシップを勝ち取った。

同じ職場で22歳のウクライナ人の学生がラプシンと一緒に逮捕されていた(すぐに事件とは無関係とわかって釈放)が、この人はひょっとしたら同じコンペで入賞した別の学生かもしれない。

コンペの結果が出たのは昨年で、結果を受け取ってからラプシンはバーミンガムについて調べ始めたと警察は述べている。

なお、バーミンガムはずっと以前から、人種的に多様な街として有名だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Demography_of_Birmingham



【アップデート】10月25日に判決が出ました。
http://matome.naver.jp/odai/2138270844164719101

※この記事は

2013年10月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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