kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年10月19日

「英極右、分裂再び」か…EDLの創設者2名がEDLを辞めた件

全然ブログの記事を書けていないが、9月から10月にかけて、本ブログで見てきたトピックに関して、非常に大きなニュースがいくつかある。

中でもびっくりしたのは、EDLの創設者、通り名「トミー・ロビンソン」ことスティーヴン・ヤクスレイ=レノンと、彼の年長の右腕、ケヴィン・キャロルが、自分たちが設立して大きくした団体、EDLをやめた、というニュースだ。

EDLの創設者(通称「トミー・ロビンソン」)が、EDLを辞めた。
http://matome.naver.jp/odai/2138122583425849101


EDL = The English Defence League. 「イングランドを守りたいだけなんだよ」的な主張を(誤った認識と無知に基づいて)しているこの団体については、ウィキペディアや以前書いたものを「リンク集」の形にしてあるので(←リンク先、少しスクロールダウンしてください)、まずはそちらをご確認いただきたい。

で、「トミー・ロビンソン」がEDLを辞めた背景は、正直、全然わからないのだが(理解ができない。彼自身の言動が首尾一貫しているようには思えないので)――だから「まとまった文章」は書けないのだが――、少なくとも、断片の集積はしておけるし、それはしておかねばならない。(そういうときに「NAVERまとめ」という断片の集積に最適化されたツールは非常に便利だ。)

そうやって集積している断片のなかからいくつか。

まず、10月28日に英国で放映される密着ドキュメンタリー。

Quitting the English Defence League: When Tommy Met Mo
http://www.radiotimes.com/episode/cpqz64/quitting-the-english-defence-league-when-tommy-met-mo


トミー・ロビンソンは、EDLの「顔」として、たびたびテレビの討論番組などに出ていた(などという基本的なことも知らずに「イギリスは差別やヘイトスピーチは即逮捕」などというデマを撒き散らかしている御仁もいるかもしれないのでご注意を)。そういった場で論争相手となったイスラム教徒のひとりが、EDLの活動禁止を求めて運動していたモハマド(モー)・アンサールさんだった。

BBCが制作したこの番組で、カメラは彼ら2人に密着、互いに約束を守り、アンサールさんがEDLのデモに、「ロビンソン」がウォルソール・モスクに足を運んだ時の様子から、「ロビンソン」がEDLを抜ける過程までを追っているという。

(・_・) まあ、あんまり多くは言葉にしないでおく。

1年もしたら、「ロビンソン」本人が語り下ろした「暴露本」か何かが読めるようになっているだろうから、そのときに。

極右研究の専門家ら数名で運営されているブログ, soupyoneが、ロビンソンのEDL脱退が宣言されて数日後、情報や各方面の分析が落ち着いてきたころに、それらを「まとめ」ている。これは一読の価値がおおいにある。

Rebranding British Neofascism And The EDL
13/10/2013
http://soupyone.wordpress.com/2013/10/13/rebranding-british-neofascism-and-the-edl/


このブログが指摘しているのは、「また分裂か」という点だ。

My own view is that it is merely a rebranding of British neofascism, which has constantly tried to gain ground in the wider world by dumping its unsavoury elements.

This approach has been a constant since the 1950s and Tyndall running around in Nazi gear.

※原文はハイパーリンク多数。原文をご参照ください。

それから、英国を拠点とするジャーナリストで、英国、アイルランドから欧州大陸各所の「極右」事情を調査報道しているブライアン・ウィーランによる「EDLのやってきたこと」についての記事。「EDLという組織そのものより、その過激主義の遺産が危険である」。

The EDL's Extremist Legacy Is More Dangerous Than They Are
http://www.vice.com/en_uk/read/the-edls-extremists


この記事も、また、「分裂」、「切断処理」という戦術が極右で頻繁に見られることを指摘している。1994年3月にBNPのニック・グリフィンが「街頭行動はもうやらない」などと「新たな方針」を宣言した、という事実だ(そして実際に、BNPはそのあとも「街頭行動」などをしている)。

On the 15th of March, 1994, the BNP held a press conference in Newham, at which they declared: “No more marches, no more meetings, no more punch-ups” – and at that point, it seemed as though the far-right’s battle to control the streets of England was over. Sound familiar?


ブライアンは、「EDLはもう解散したというのに、なぜVICEはEDLのことを書き続けるのか」などとあちこちで言われてうんざりしているらしい。

スペクテイターなどの保守党の御用メディアは既に、「ロビンソン」の「ボーン・アゲイン」っぷりを称揚する記事を出しているわけだが、これは「EDL的なもの」を(UKIPではなく)保守党の側に取り込みたいという欲望のあらわれだろうと思う。「欲望」というより、それをしないと選挙で何ともならんということだろう。前回、2010年の総選挙で労働党にあれほどの逆風が吹いていたときでさえ、キャメロンの保守党は選挙でスッキリ勝つことはできなかった。その後の地方選などでは、「UKIPは選択肢になりうる」ことがはっきり示されているわけで、危機感は当然つのっているだろう。次の総選挙は2015年5月に予定されていて、広告代理店とマスコミは既に「選挙モード」に入っているのだが、ここにきて、レイシズムや暴力主義、そして何より反ユダヤ主義を排除した「きれいな極右の取り込み」に保守党が真剣であることは、ますます明白になってきた感じがする。

こんなんもあるし。




……というわけで、いろいろアップデート的なことは、「NAVERまとめ」のほうで。
http://matome.naver.jp/odai/2138122583425849101

※この記事は

2013年10月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 00:00 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ずっと抱いてきた「主義主張」との決別(ハンガリー極右活動家のユダヤ教改宗)
Excerpt: さて、今月の「意味がわからないニュース」といえばEDLの創設者2人が「EDLは過激すぎる」として組織を辞めた件だ。 EDLの「業績」といえば、思いつくのは(「ストリート・プロテスト」と称する飲み会&..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2013-10-27 19:08





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼