kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年03月31日

北アイルランド自治政府発足の観測と、英軍の撤退

「歴史的」なペイズリー・アダムズ直接会談後のDUPの人々のごにょごにょは一時的なガス抜き、というサインだろうか、DUP副党首であるピーター・ロビンソンが、来週早々にも(つまり4月はじめにも)あれこれカタがつくだろうとの観測を示しているようだ。

Robinson hopeful over ministers
Last Updated: Saturday, 31 March 2007, 08:22 GMT 09:22 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6511731.stm

また、IRAの武装闘争停止宣言@2005年夏を受けて早々と開始されていた英軍の撤退が、最終章に入っている。

Last soldiers leaving Crossmaglen
Last Updated: Saturday, 31 March 2007, 08:19 GMT 09:19 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6512703.stm

ピーター・ロビンソンは1948年生まれ、1980年からDUPの副党首。Wikipediaによると、ファンダメさんというよりは反EUでポピュリストという感じの人(典型的「極右」に近いのかな)だそうだ。詳細はWikipediaとそのリンク先などを参照。

で、そのロビンソン副党首が、BBCラジオ・アルスター(北アイルランドでのラジオ放送)の番組で、主要4政党が大臣のポストを分担するという点で、来週にも合意できるだろうと考えていると述べた。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6511731.stm
"Legally it (the executive) only takes effect on the first day of the new assembly," Mr Robinson said.

"Nonetheless, if we are going to have the preparatory work done - the indicative ministers being properly briefed within the departments, the indicative ministers working up a programme for government so that we hit the ground running - then you do need to have an indicative running of d'Hondt.

"I think all of the parties are up for that and I would hope we'll be able to get onto that early next week."

※d'HondtについてはBBC記事の下のほうを参照。

もう一点、英軍の撤退について。

South Armaghは、County Armaghの南部、南北のボーダー(「国境」という日本語が当てられることも多い)に接する一帯で、「北アイルランド紛争」ではホットスポットだった。Googleでイメージ検索すると、"Sniper at work" の道路標識とか英軍のウォッチタワーとかの写真が出てくる。

http://en.wikipedia.org/wiki/County_Armagh
The South of Armagh was the most militarised region in Western Europe due to the history of the Troubles. The region has been a stronghold of support for the IRA, earning it the nickname "Bandit Country". South Armagh is predominantly nationalist, with most of the population being opposed to any form of British presence, especially that of a military nature.

詳細は下記を参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Provisional_IRA_South_Armagh_Brigade

今回、英軍の撤退が完了するとの報道が、上掲のBBC記事である。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6512703.stm

内容:
South Armaghのボーダー地帯にあるCrossmaglenの基地から、土曜日、駐留しているBlack Watchの部隊が退去し、英軍の撤退が完了する。軍&警察の基地の監視塔の撤去は既に完了している。撤退完了は、北アイルランドの平常化(正常化)プロセスで最も重要な段階のひとつである。

多くの人がこの一帯のことを "Bandit Country" と呼んでいた。かつて、この一帯は非常に危険とみなされており、軍および警察の人員は車で移動することができず、ヘリで移動していた。また、Crossmaglenでは、警察は軍の支援なしで仕事をすることはできないとみなされていた。30年以上にわたり、この村(Crossmaglen)に配置されていた軍人・警察官は、IRAの最も凶暴なユニットと対峙することを任務としてきたのである。「紛争」の間にクロスマグレンで殺された英軍兵士と警察官は20名を超える。

軍の駐留、軍隊によるパトロール、ヘリの飛行といったことは、数十年にわたり、村の住民たちの怒りの源泉となってきた。

「30年以上にわたってサウス・アーマーのコミュニティは英軍の占領を甘受しなければならなかった」と、この地域選出の英下院議員、コナー・マーフィー(シン・フェイン)は述べる。「これから重要になってくるのは、これまで英国人(英軍)が占有していた土地を、持ち主に返還すること、英軍が撤退したあとの面積の大きな土地が、誰も歓迎していないのにここにい続けた英軍による抑圧を甘受せざるをえなかった地域コミュニティのために役立てられることである。」

軍のスポークスマンは次のように述べた。「2006年3月28日に発表された正常化プランにあるように、今月内をもって軍はクロスマグレンから撤退する。」

英軍の撤退は、IRAの活動停止宣言を受けた英国政府の正常化プログラムの一環である。

軍が警察に支援を与える「オペレーション・バナー(Operation Banner)」は、今年8月に終結する。この作戦は30年間続いてきたが、これは英陸軍史上最長の作戦である。

夏までには、北アイルランド駐留の英軍兵士の数は5000人以内となり、基地の数は11となる。「紛争」が最も激しかったときには駐留英軍兵士の数は30000人、基地は100箇所以上であった。


※この記事は

2007年03月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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