kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年07月13日

2013年の12thが、すごいことになっている。

毎年恒例とはいえ、今年の荒れ方はいつものとは違う。




今年は、いつもある「オレンジ・オーダーのパレードに反対するナショナリストと、警察の衝突」ではない。ロイヤリストと警察の衝突だ。(その衝突で、ロイヤリスト側のナイジェル・ドッズ議員が頭に煉瓦を投げられて意識を失って病院に運ばれるという事態が発生している。)



なぜロイヤリストが警察と衝突しているのか(ロイヤリストと警察の衝突それ自体は、「北アイルランド紛争」の時代からずっとあったもので、特に新しくはない)というと、ロイヤリスト的には、というかオレンジ・オーダー的には、パレードのルート変更を決定したパレード委員会も、その委員会の決定を実行する警察も、「IRAとグル」なのである。PSNIをもじって、PSNIRAという呼び方をする人たちすらいる。(それに私が気づいたのは、昨年12月の「旗騒動」のあとのことだ。)





※彼らが「議会制民主主義」を受け入れないということは、BBCでのイアン・ペイズリー・ジュニアのインタビューでも明らかだった。BBCのキャスターは「でも市議会の決定ですよね」ということが通じないことにかなり面喰っていた。

ともあれ、こんなふうに荒れていることについての発言。





なお、「シティ・オブ・カルチャー」として、ショーケース的に「オレンジ・マーチ」をやっているデリーは、至極平穏である。常に対立することを前提として煽り合っていたあのデリーが、である。

となればなおさら、ベルファストのこの騒乱は、ベルファストだから起きていること、つまり具体的には、市庁舎の「旗」をめぐる一連の騒動の一環で、ロイヤリストの「直接行動」なのだろうと思うのが自然だ。

……と書いてきたが、もうだるくて限界である。

Chirpstoryにログを取ってある。その筋の方には、ぜひお読みいただきたい。ケリーさんの演説写真 on ランドローバーのボンネットもあるよ!

Page 1: http://chirpstory.com/li/95811
Page 2: http://chirpstory.com/li/95841
Page 3: http://chirpstory.com/li/95898


後で書き足す。

その前に、じぇりーさんのありがたいお言葉。


※この記事は

2013年07月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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2013年の "12th" から、"デメトリウス作戦記念、反警察デモ" までをがっさりと (1)
Excerpt: 要するに「ロイヤリストはなぜ暴れているのか」ということだが……。 現地、8月9日の晩(日本時間で10日の早朝)、ベルファストが大荒れという報告がTwitterでいっぱい入ってきた。私のTwitter..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2013-08-10 19:48





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼