kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2013年05月19日

最低限の「海外メディア」の見方を、覚えよう。

この記事は、The Observerの記事である。


これは、The Guardianの記事。


では、これは?


http://mainichi.jp/select/news/20130520k0000m030016000c.html正解は、Press Association. 英国の通信社の配信記事だ。日本の新聞で左図のような「(《地名》共同)」という表示がなされているのは共同通信の配信記事で、掲載媒体が取材・執筆した記事ではない(「文責」は共同通信にある)が、同様に、上記の "BBC denies endangering students ..." の記事は、「文責」はPress Assciationという通信社にあり、ガーディアンにはない(この場合ガーディアンにあるのは掲載した責任である)。

このように「配信記事」を出す「通信社」は数多くある。日本では共同通信と時事通信が筆頭。インターナショナル・メディアでは、ロイター、AP、ブルームバーグなどがあり、ワシントン・ポストであれハフィントン・ポストであれ、そういった通信社の配信記事を掲載していることはごくごく当たり前にある。そしてそれは、わかりやすく表示されているのが常であるが、わかりやすく表示されていてもわからない人というのはいて、「ガーディアン掲載のAP記事」について「ガーディアンの報道」とか言われてるのもこれまた常である。

では、これは?




正解は、Arab News掲載のAgence France Presseの記事です。

Agence France Presse ... わかりますよね?

Agence France Presse (あじゃんす・ふらんす・ぷれっす)= AFP, 知らない人はいないくらいに有名な国際通信社。日本でも "AFP BB" として翻訳記事などを出しているし、時事通信と提携しているし、特にネットでは知らない人はいないはず。

なぜこんなことを書いているのか?

See:



Cheers: @hashimoto_tokyo @spearsden @shiriuma

「通信社」についてはそのうちに「NAVERまとめ」でも作って、いつでも参照可能なようにしておきます。。。たぶん来月(今、忙しいので)。

こーゆーことネットで書くとまた矢が飛んでくんだけどね。Who cares.

※この記事は

2013年05月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:01 | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/362410769
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼