kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年01月09日

【訃報】デイヴィッド・アーヴァイン

「集中治療室での危篤」が報じられていたPUPのデイヴィッド・アーヴァイン(David Ervine)が亡くなった。享年53。心臓発作を起こして病院に担ぎ込まれ、その後で脳卒中と脳内出血を起こして集中治療室に運ばれ、ほぼ1日生命維持装置につながれていたとのこと。(昨日、RTEが早々と「死亡」を報じてすぐに撤回するという事態があった。)ベルファスト・テレグラフによると、土曜日には自分がずっとサポートしてきた東ベルファストのグラントランFCの試合(8点も入れたそうで)をスタジアムで観戦し、日曜の早朝に倒れたとのこと。

PUP's Ervine has died in hospital
Last Updated: Monday, 8 January 2007, 17:47 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6242215.stm

地元、the Belfast Telegraphのトップページ(→サイトの魚拓
dervine-beltel.png
亡くなる直前に、ベルテレさんに寄稿する記事を書いていたのか・・・記事そのものはオンラインには出てないのかもしれないが、ほんの少しだけ下記で紹介されている。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/politics/article2137944.ece

PUP (Progressive Unionist Party) は北アイルランドの小政党で(日本のニュースではまったく出てこないと思う)、2003年のストーモント・アセンブリーの議員選挙の結果、ストーモントに有している議席はアーヴァインの1議席のみである。地方議会(local council)の議席も、2005年の地方選で、北アイルランド全体でわずか2議席(うち1議席はアーヴァイン)であった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Progressive_Unionist_Party

PUPとデイヴィッド・アーヴァインがニュース記事になることも、ほかの政党(DUP, Sinn Feinなど)に比べれば格段に少ない。BBCはこまめに報じているにせよ、例えばガーディアンでは、アーヴァイン死去の報道の前に彼の名前が出てきたのは2006年8月である。

という事実にもかかわらず、PUPは北アイルランドの政治において、重要な役割を果たしてきた。それはPUPの政策(左翼のユニオニズム)ゆえではなく、PUPがロイヤリスト武装組織UVF (Ulster Volunteer Force) の政治部門であり、なおかつ、1994年のロイヤリストの停戦と1998年の和平合意(グッドフライデー合意/ベルファスト合意)に重要な役割を果たしたことによる。

北アイルランド紛争は、「IRAのテロ」として伝えられている情報の分量が圧倒的に多いので、まず第一に、「IRA以外のテロ」があんまり知られていない。が、実際には「テロ」をしているのはIRAだけではなかったし、「紛争」は「ナショナリストとユニオニストの紛争」(わかりやすくするために「カトリック系住民とプロテスタント系住民の紛争」と表されることが多い)であり、したがってナショナリスト側の暴力(IRA, INLAなど)もあれば、ユニオニスト側の暴力(UVF, UDAなど)もあった。

(なお、暴力的手段をとるナショナリストのことを「リパブリカン」、暴力的手段をとるユニオニストのことを「ロイヤリスト」というのが一般的である。)

ユニオニスト/ロイヤリスト側では、政党のUUPやDUP、武装組織のUDA/UFFが「(英国の)右翼」そのものと言ってよい主義主張ならびに方針で動いてきた(し、実際にUKの右翼組織とのつながりも強い)一方で、PUPとUVFは「労働者階級の結束」(つまり「ミドルクラスの連中にいいように利用されるだけでいいのか」というスタンスを含む)を軸にしていた(ようだ・・・詳しくは知らない。もっと本を読まないと・・・)。

ユニオニスト/ロイヤリスト内部の事情はさておき、「北アイルランド紛争」とはすなわち、「IRAなどナショナリスト/リパブリカン」対「UDA, UVFなどユニオニスト/ロイヤリスト」の暴力の応酬(「テロ」のやりあい)であった。「紛争」の終結に向けた具体的な動きにとっては、双方の武力行使の停止が前提として必要であった。

いろいろな政治的な動き(ダウニング・ストリート宣言を含む)のあと(詳細はCAINの年表参照)、1994年8月31日にIRAが停戦を宣言、同年10月13日にロイヤリスト武装組織の連合体CLMCが停戦を宣言した。このときにUVFに対し停戦を強力に働きかけたのが、アーヴァインだった。

その後、1996年にIRAが停戦を破棄したり、UVF内の過激派がLVFとして分派したり(LVFのリーダーのビリー・ライトは1997年12月に、刑務所内部でINLAの囚人によって狙撃され死亡した)と、「和平路線が崩れる」危機があったが、1997年の英国の政権交代(ブレア政権の誕生)でいろいろと流れが変わり、1998年4月にはグッドフライデー合意(ベルファスト合意)が合意され、同年5月にアイルランド島全域でのレファレンダムで可決され成立した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Belfast_Agreement

1998年のグッドフライデー合意は、特にユニオニスト/ロイヤリスト側からの反発が強かった(主にアイルランド共和国との関係の点で)。ユニオニスト最右翼のDUPは強固に反対していた(現在に至るも反対している)。一方で当時のユニオニスト最大政党のUUP党首、デイヴィッド・トリンブルは、多くから「強硬派」と見られていたにも関わらず、党内の反対を押し切って合意文書に署名し、レファレンダムに際しては「賛成票を投じよう」というキャンペーンを行なった(彼はこの功績によって、ナショナリストのSDLPの党首と合同で、ノーベル平和賞を受けている)。PUPもまた「賛成」のキャンペーンを行ない、合意に懐疑的なユニオニスト/ロイヤリストコミュニティの説得につとめた。

このレファレンダムでは、Wikipediaによると、北アイルランドでの賛成票が71パーセント、反対票が29パーセントだった(投票率81パーセント)。カトリックの人口は当時40パーセント台前半だから、ゆるい推定ではあるが、ユニオニスト側の「賛成」の多さがうかがい知れる。そういったところで重要な役割を果たした人物のひとりが、亡くなったデイヴィッド・アーヴァインである。

アーヴァインは1953年7月、ベルファスト東部(造船所とかのほう)のプロテスタントの労働者階級のエリアに生まれた。1972年7月、19歳のときに「ブラッディ・フライデー」(同年1月の「ブラッディ・サンデー」の報復として、IRAがベルファストを波状攻撃、爆弾21個で死者9人、重傷者130人)が起き、それに怒りを感じてUVFに入り、「テロリスト」となる。

1974年、自動車爆弾を運転しているときに逮捕され、有罪となりメイズ刑務所(ロング・ケッシュ)に投獄。獄中でGusty Spenceと知り合い、その影響を受けて、「武力ではなく政治で」という方向に転換し、1980年に出所(仮釈放かな)した後に政治の道に進んだ。PUPに所属し、1997年に地方(ローカル・カウンシル)議員に当選。以後、ストーモント(自治議会)の議員にも当選した。

Slugger O'tooleのコメント欄(70超)を一覧すると、政治家としてのデイヴィッド・アーヴァインは「ウィットに富み、『物は言いよう』という態度をまったく見せない率直さがあり、カリスマがあり、言うだけでなく実際に取り組む」という人物だったようだ。また、PUPの党の方針にもあるのだが、セクタリアン(宗派による)な境を強調するのではなく――つまりDUPみたいに「教皇はアンチ・クライスト」とか発言して対立をあおったりするのではなく――それとは別の次元で物を考えていこうとしていた。

一方で、彼が最後までUVFを辞めていないこと(メンバーシップは保持している)、UVFはじめロイヤリストの暴力を公然と非難していないことなどから、上記のような「正直な政治家」という像にまったく納得していない人たちもいる。むろん、UVFの指導部のひとりだった彼がman of peaceとして描かれること/受容されることについての異議は、あって当然だろう。

実際、UVFは、the Troublesにおいて各組織のなかで、2番目に多くの数の一般市民(武装勢力でも軍人でも警官でもない者)を殺した組織だ。最も多いのはProvisional IRAで498人。2番目に多いUVFは350人。(ちなみに3番目は特にどれと特定されていないロイヤリストの組織で229人。)

http://cain.ulst.ac.uk/sutton/crosstabs.html で、First VariableをOrganisationに、Second VariableをStatusにすると上記データが得られる。

※Slugger O'Tooleのコメント欄に「1998年(グッドフライデー合意)以降に最も多くの人を殺しているのがUVFだ」とあるのだが、さくっと見られるデータがない。(CAINのは2001年でいったん切れている。)

なお、UVFについての過去記事は
http://nofrills.seesaa.net/tag/articles/UVF

2006年10月の公式報告書(最新のもの)によると、「UVFメンバーは相変わらず銃撃や襲撃を行なっており、またUVFの行なう脅迫の件数は、2006年8月までの1年間において、ロイヤリストの組織の中で最も多い。また、指導部からの指示なくメンバーがセクタリアン襲撃を行なっている。……強盗、恐喝、密輸・密売、高利貸しといった犯罪へのかかわりも広く見られる。しかしながら指導部においては犯罪との決別、また「軍事的」能力の軽減に向けた努力は継続されており、このことは歓迎する」などというのが現状で、つまり組織上層部がメンバーをコントロールしきれていないようだ。でも、そもそも組織として武装解除する気がない(2006年4月)ようだ。

ともあれ、デイヴィッド・アーヴァインという人は、かなり多くのロイヤリスト(特にUVFのパラミリタリー)にとって、「困ったときはアーヴァインさんに相談しよう」という存在だったことは疑いない。そういう人が、このように急な形で亡くなったということは、ショックもさることながら、今後への影響も大きいだろう。

グッドフライデー合意がまとまったときの北アイルランド担当大臣だったモー・モーラムが亡くなったときに、「言葉にうそがない」とか「自分を一段上に置こうとしない」とかいったことを彼女を知る人たちが述懐していたのを思い出す。

モーラムが亡くなったときのアーヴァインのコメント、これもいい言葉だったんだよな。:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4165230.stm
"I may not have always agreed with her, but today I really feel I've lost a personal friend. ... she made a real difference in Northern Ireland. Here was a woman who was no slave to convention."
「彼女とは常に意見が一致していたわけではなかったけれども、個人的な友人を亡くしたような気分だ。彼女は本当に北アイルランドを変えた。旧来のやり方に従うばかりが能じゃないという女性だった。」



記事いろいろ(それぞれ冒頭3パラなどつけます):
Key figure in transforming loyalism
Last Updated: Monday, 8 January 2007, 16:09 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6240197.stm
David Ervine supported a modern form of non-sectarian unionism "free from the Pope, the Queen and King Billy".

A former UVF prisoner who became a party leader, he was without question a key figure in the transformation of loyalism.

He encouraged his community to separate politics from religion, and although he was a staunch supporter of the Union, he became well-known for a willingness to compromise and to at least listen to republican and nationalist concerns.


Death will leave void in loyalism
Vincent Kearney
Home affairs correspondent
Last Updated: Monday, 8 January 2007, 17:27 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6242527.stm
David Ervine was the public face and voice of the UVF for more than a decade.

He stunned many critics and opponents when he was elected to Belfast City Council in 1997.

Three years earlier, he had played a crucial role in persuading the UVF to declare a ceasefire.


David Ervine, loyalist bomber turned Ulster peacemaker, dies at 53
Owen Bowcott, Ireland correspondent
Tuesday January 9, 2007
http://www.guardian.co.uk/guardianpolitics/story/0,,1985928,00.html
※アーヴァインの生涯の解説。
The extraordinary political odyssey undertaken by David Ervine - from paramilitary bomber jailed in the Maze prison to leading loyalist persuader for peace - ended prematurely yesterday after he suffered a heart attack. The death of the 53-year-old member of Stormont's transitional assembly cast a shadow over an already difficult phase of the peace process and robbed Northern Ireland of one of its most articulate politicians.

Although Ervine was the only member of the Progressive Unionist party (PUP) in the chamber, he remained a vocal and influential presence to the last, eagerly participating in debates about the restoration of devolved government.


Obituary: David Ervine
Chris Ryder
Tuesday January 9, 2007
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,1985828,00.html
※クリス・ライダーのオビチュアリ。(オーソドックスにまとまっている。)

Obituary: David Ervine
Henry McDonald
Monday January 8, 2007
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,1985673,00.html
※The UVFという著書(共著)のあるヘンリー・マクドナルドのオビチュアリ。読む価値あり。
With his ubiquitous dark suits, bushy moustache and pipe puffing from the side of his mouth, David Ervine resembled an old-style trade union leader or British Labour working class leftwinger rather than a leading figure of an Ulster loyalist terror group.

The classic image of the Ulster loyalist was also a negative stereotype: muscle bound, shaven-headed, covered in tattoos, chunky jewellery and chav-style clothing.

When Johnny "Mad Dog" Adair made his play for the leadership of loyalism in the late 1990s, Ervine expressed his bitter frustration at what he saw as an attempt to drag the loyalist cause back into the bar, bookies and brawling culture of the Ulster Protestant underclass.


Union man
Mick Fealty
January 8, 2007 08:03 PM
http://commentisfree.guardian.co.uk/mick_fealty/2007/01/post_886.html
※スラオさんのミックによる記事。必読。

Grandstand memories of 'man of peace'
Mark Simpson
Last Updated: Tuesday, 9 January 2007, 09:51 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6243973.stm
※個人的な思い出を書いたものだが、おもしろい。風刺番組で自分が過剰におちょくられているのも楽しんでいた、とか。ボクシングデイのベルファスト・ダービーはスタジアムで観戦していたそうで。
Dressed in a brown flat-cap, smoking his pipe and surrounded by his mates from east Belfast, I bumped into David Ervine on Boxing Day at Windsor Park.

He was among the fans in the bottom tier of the North Stand, watching his beloved Glentoran against Linfield.

At half-time, we shared a bag of wine gums, and spoke for 15 minutes about everything from the referee, to Stormont to political satire at the BBC.


Reaction to PUP leader's death
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6242353.stm
※PUPの党としてのコメントのほか、トニー・ブレア、バーティ・アハーン、ピーター・ヘイン、UUPのレジー・エンピー党首、DUPのピーター・ロビンソン議員(副党首)、シン・フェインのジェリー・アダムズ党首、SLDPのマーク・ダーカン党首、米国特使のMITCHELL REISS、アライアンス党のデイヴィッド・フォード党首、アイルランド労組コングレスのPETER BUNTINGのコメントの抜粋一覧。(政界からの反応は、死亡を報じる記事の後半にも。あと、米国のGeorge Mitchell元上院議員のコメントも。)
"He wanted to solve problems not simply restate them, always looking for a way forward." -- Peter Hain

"Northern Ireland has today lost a unique, charismatic and uncharacteristically spin-free politician. ... He realised that violence belonged in the past and was keen to play his part in helping loyalists make the transition towards exclusively peaceful and democratic means." -- Reg Empey

"David Ervine was a great character and he always showed real character. This news is a tragedy. ... David emerged from a paramilitary past to pursue a peaceful future. Throughout the talks he played a positive role and worked always to keep loyalism onboard for the Good Friday Agreement." -- Mark Durkan

"David was someone who clearly demonstrated that somebody who had a past could change and become a positive influence for the future." -- David Ford

"He never lost his anger, though, but he directed his rage towards the injustices that keep so many people across our society ignorant and powerless." -- Peter Bunting


I'll miss him and so will the peace process
Brian Rowan
Tuesday, January 09, 2007
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/article2137839.ece
※ベルテレのBrian Rowanの記事。ほとんど毎日話をする仲で、土曜日の夜(倒れる直前)にもいつものように話をしていた。アーヴァインはパラミリタリーという過去を隠すのではなく、それを常に受け入れたうえで、これから何をすべきなのかを語っていた。

Slugger O'Tooleにコメントを投稿している人のブログに、デイヴィッド・アーヴァインのおもしろい発言が紹介されているので引用:
"I remember the first time I shook hands with Gerry Adams, and I remember thinking that wasn't that painful"

「初めてジェリー・アダムズと握手したときのことは覚えている。そんなにつらくはないものだな、と思ったよ」

※ジェリー・アダムズは「リパブリカンのテロリストの親玉」(事実としてどこまで何がどうなのかはさておき、そう認識されている)。確かUUPのトリンブルが、GFA前の交渉のときに、ジェリー・アダムズと社交的な会話で、アダムズから「よろしければ今度うちの別荘にでもいらしてください」と言われて、「政治交渉しとるからってそこまで仲良しこよしじゃないんじゃ、このボケ」と思った、と述懐していたと思う。だが、アーヴァインはアダムズとある程度個人的に話せる関係を築いていたようだ。ベルテレのBrian Rowanの記事には、「アダムズからアーヴァインには時々電話があった」とある。

ベルテレに寄せた最後の記事で、アーヴァインは、「シン・フェインのジェリー・アダムズが、警察への支持について、党を説得することができれば、本当に歴史的なことになる」と書いている。アーヴァイン自身がロイヤリストのパラミリタリーに停戦を説得したことと、GAがIRAの武装闘争停止と武装放棄を成功させたこととは、かなりの程度、重なっている。
"From my point of view I hope Adams pulls it off. We, the unionists, should facilitate him to do so."

"The cause of peace does not rest with two parties alone. If the plug is pulled on the Assembly, the next step is clear. We just start all over again."


David Ervine, 1953 - 2007
合掌



追記1:
デイヴィッド・アーヴァインの息子さんたちがメディアの取材に答えた。
Ervine's sons moved by tributes
Last Updated: Wednesday, 10 January 2007, 07:23 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6247141.stm

追記2:
デイリー・ミラー記事
http://www.mirror.co.uk/news/tm_headline=pup-leader-dies...
アーヴァインが亡くなったのは、またひとり孫が生まれる直前だったのだが、ミラーのこの記事によると、彼は2004年4月に14歳の孫をひとり、とても悲しい形で亡くしている。その経験から、10代の子供たちの、いわゆる「こころの問題」に取り組んでいた。

ジャーナリストのPeter Taylorの "Loyalists" という著書(下記)の序章に、ビリーという名のUVFパラミリタリーのことが描かれている。

ビリーは東ベルファストのワーキングクラス・プロテスタント地域で生まれ育った。その地域で育つこととは、ロイヤリズムを吸収することだった。彼は10代でUVFに加わった。UDAを選ばなかったのは、「UDAはあまりに大きすぎると思われた」からだった。(UDAは、各地域でそれぞれ自発的にできた「自警団」みたいな組織を全国組織みたいにまとめたもの。)親には秘密にしており、電話に出るのでも出かけるのでもいつも「ちょっと」みたいな言い方をしていた。「自分は親にうそをついている」と心理的な重荷をビリーは感じていた。

UVFに加わって戦闘訓練は受けていたものの、特に実際に活動することもなく、彼はだんだんと組織から遠のいていった。ほかの多くのメンバーもそんな感じだった。ビリーは仕事をし、時々は職場の友人を家に連れてきてお茶を飲んだりビデオを見たりもしていた。特にセクタリアンな考え方の持ち主ではなく、その友人はカトリックだった。

だがあるとき、教会の日曜学校の女性の先生(暴力には無縁)が、リパブリカンによっていきなり後頭部に1発ぶちこまれるという形で殺される。この事件でビリーはUVFに戻った。ほかにもそういうメンバーが何人もいた。時期は1980年代、81年のリパブリカンのハンストで、IRAが勢いを得ていたころだった。

UVFは、日曜学校の先生の射殺の報復を計画する。報復なのだから、殺された先生と同じように、暴力には無縁のカトリックを殺さねばならない。話し合った末、ビリーたちUVFの活動家はターゲットを決めた――ビリーが時々自宅に招いていた、職場のカトリックの友人がターゲットに選ばれた。

計画を練っていたとき、ロイヤリストの大物がINLAによって射殺された。その報復を一刻も早くせねばならない、とUVFの指導部は決めた。ビリーたちの報復の予定は繰り上げられた。

ビリーは職場の友人を、いつものように、車に乗せた。そして車をしばらく走らせて、そして、彼の後頭部に銃弾を1発撃ちこんだ。「その瞬間、自分の一部が死んだ」とビリーは後に獄中でジャーナリストに語った。職場の友人の妻は、ビリーが彼を娘の見舞いのため病院に送っていってくれたのだと信じていた。夫が殺されたことを知ったとき、彼女は「お願いだから、もうこんなふうに人を殺すのはやめにして」と泣いた。

ビリーは逮捕され、いくつもの容疑で有罪となり、終身刑を宣告され、メイズ刑務所に収監された。息子が人を殺めたことが事実だと法廷で明らかになったあと、刑務所に送られる息子の手を握った父親は、その場で気を失ってしまった。

獄中で、ただ有り余るだけの時間を得て、彼はそれまで縁のなかった「教育」に向かう。何の学歴もなく資格もなく、中卒で働いていた彼が、獄中の学習会で高卒の資格を取り、その後獄中オープン・キャンパスで政治学を勉強し、学位を取った。講師はビリーの熱心さに強く印象付けられたと語っている。

ジャーナリストは獄中のビリーを取材に訪れた。ロイヤリストの囚人といえば筋肉にこだわるマッチョマン、というなか、ビリーは部屋で本を読んで過ごしていた。ジャーナリストは彼がパラミリタリー活動に手を染めた経緯を詳しく聞いた。職場の友人を殺したことについて、ビリーは「北アイルランドだからこんなことになった」と述べた。ジャーナリストは「でもあなたが自分で決めたのでしょう? 友人を殺すことを」と突っ込んだ。ビリーは「確かに自分は知っている人間を殺した。だが、もし自分がイングランドに生まれていたら、相手がカトリックだからって人を殺そうと決意したりはしなかった」と答えた。

ビリーは10年ほどで仮釈放となった。ジャーナリストはそのことを知らず、1998年のグッドフライデー合意のときに、自分が建物の外で取材してるまさにそのときに、建物の中で、あのビリーがPUPの代表団として合意文書の作成に関わっているなどとは、夢にも思っていなかった。

出所後、ビリーはPUPで政治の仕事をしていた。けれども収入を得るための仕事となるとろくなものはなかった。「殺人犯」への風当たりは強く、学位があっても、生活保護を受給するのとたいして変わらない程度の収入しか得られない。

北アイルランド和平合意は成立したし、ビリーは和平合意に関わった。けれども彼の「戦い」は終わらなかった。「あの日」を境に、ビリーの一部は永遠に死んだ。彼の「戦い」は、そのこととの「戦い」だったのかもしれない。

ガールフレンドとの結婚を前に、彼女の兄(スコットランド在住)の家で独身最後の男だけのバカ騒ぎパーティーに出かける前日の晩、彼は両親の家を訪れて「これまでありがとう」と言った。両親は、結婚直前の息子が挨拶に来たのだと思った。

しかしその前に、ビリーは長い手紙をしたためていた。両親のところから自宅に戻ったビリーは、酒を飲んで、さらに手紙の続きを書いた。少し眠り、そして起きた。それから彼は、前もって用意していた縄を使った。

翌朝、迎えに来たガールフレンドの兄が、ビリーを発見した。

自分のことを綴ったビリーの最後の手紙には、「自分たちの世代のような経験を、子供たちの世代には絶対にさせてはならない」とあった。

1575000474Loyalists: War and Peace in Northern Ireland
Peter Taylor
TV Books Inc 1999-05

by G-Tools


「テロリスト」は怪物ではない。

英軍がタリバンのキャンプを「破壊した」とか、米軍がソマリアで「アルカーイダ」を標的に攻撃を行ない、何人も殺したとか、バグダードのハイファ・ストリートで米軍とイラク軍の合同作戦で武装勢力を50人殺したとかいう、もはや「ニュース」にも思えなくなった「ニュース」を読みつつ。

※この記事は

2007年01月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Ervineの最後の文章@ベルテレさん。

Let's finish the job
Tuesday, January 09, 2007
By David Ervine
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/article2137829.ece
Posted by nofrills at 2007年01月11日 22:41

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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