kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年12月30日

スペインの空港で自動車爆弾、ETAが犯行声明との報道。

マドリードのBarajas Airportの駐車場で、自動車が爆発、4人が軽傷だそうだ。【→のちに、「負傷者数19、行方不明者数2」との報道。[source]

Car bomb blast at Madrid airport
Last Updated: Saturday, 30 December 2006, 10:28 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6219019.stm

↑BBC記事のカテゴリが「中東(middle_east)」になっているのが、2006年12月30日という日の緊張感というか、慌てふためきぶりというか、戦々恐々ぶりというか、西欧の早合点というか、そういうものをギュッと濃縮して示しているが、実際にはこの自動車爆弾、中東情勢とは直接関係ない。

BBC記事には「スペインでの報道によると、ETAが犯行声明を出したそうだ」とある。

メディアがドメスティックな「テロ組織」を疑う前に、「イスラム過激派」を疑う、という現象は、2005年7月7日のロンドン地下鉄同時多発爆破でも見られた。(私は今でも、ニュース映像を見て最初に「Real IRA」と反射的に思った、あの感覚をはっきり覚えている。)

スペイン、マドリードの場合は、逆に、首相(当時は、右派のアスナール首相)が勝手に「ETAに間違いない」と言い切っていたのが、そうではなく「イスラム過激派」だった、という経験が数年前にあるのだが。

いずれにせよ、これが本当に報道どおりにETAの犯行であれば、ETAの和平交渉はこれで終わりだ。「恒久停戦」の報道があったのが今年の3月下旬。和平交渉はわずか9ヶ月だった。(正確には、9月には既に武装解除をめぐって激しい対立が生じていたから、「6ヶ月で終わった」と考えることもできる。ただ正式には、9ヶ月だ。)

IRAの停戦破りのカナリーウォーフほどの爆弾じゃなくてよかった、とか、反射的に思って、自己嫌悪だ。

ETAとスペイン政府の交渉には、シン・フェインも「外部の経験者」として関わっていた。図式的には、2006年のスペインは、1997〜1998年の英国によく似ていた。それまで彼らの「自由への戦い」に一定の理解を示してきた(あるいは強烈に拒絶しなかった)中道左派が政権党になったばかりで、少なくとも保守政党が政権党であるよりは、和平への希望は力強かった。

しかし英国とシン・フェインにとってはbitterな話だろう。シン・フェインはETA和平交渉にも、パレスチナのファタハとハマスの対立(紛争)にも、「外部の経験者」のスタンスで関わっていた。英国政府(ブレア政権)は、スペインについてはどうなのかあまり詳しいことはわからないのだが(聞くところによると、サパテロ首相はブレアのことはあまり好きではないという説もあるが)、イスラエル/パレスチナには積極的に働きかけていたし、今もその働きかけは継続している。ブレアとその仲間たちは、ブレアの名を「名宰相」として後世に残すため、ディズレイリにもロイド・ジョージにも解決できなかった「アイルランド問題」を解決し、それを応用する形で中東をやろうとしていた。ブレアにはもう時間がないけどね。

スペインとバスクについては、書けるほどの知識がないので、別な話ばかりになってしまった。

ほかのメディアの記事:
ETA claims blast at Madrid Airport
30 December 2006 10:51
http://www.rte.ie/news/2006/1230/eta.html
(アイルランド国営)

Four hurt in Madrid airport bomb, ETA claims attack
Sat Dec 30, 2006 5:37am ET147
http://today.reuters.com/news/articlenews.aspx?type=topNews&storyID=2006-12-30T103723Z_01_L30851238_RTRUKOC_0_US-SPAIN-EXPLOSION.xml&WTmodLoc=NewsHome-C1-topNews-5
(ロイター)
The ultra-modern terminal was evacuated after the warning at about 8 a.m. (0700 GMT) after a man with a Basque accent called Basque traffic authorities to warn them off a bomb in a purple Renault Traffic car. Shortly after a separate caller to emergency services said the bomb had been planted by ETA, a spokesman for the Basque regional government said.

The bomb exploded at about 9 a.m. (0800 GMT), causing minor injuries to four people including two police officers and a taxi driver, emergency services said.

An end to ETA's ceasefire would be a major blow to Spain's Socialist Prime Minister Jose Luis Rodriguez Zapatero, who in June announced the start of a peace process to end the Basque conflict.


28日に既にこんな記事が出ていた:
Spain at a crossroads over ETA ceasefire
Published: Thursday, 28 December, 2006, 09:55 AM Doha Time
By Sinikka Tarvainen
http://www.gulf-times.com/site/topics/article.asp?cu_no=2&item_no=124817&version=1&template_id=46&parent_id=26



追記:
ETAとスペイン政府との和平交渉、中断です。

Spanish PM suspends Eta dialogue
ast Updated: Saturday, 30 December 2006, 19:19 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6219431.stm

こうやって見ると、北アイルランドで紆余曲折ありながらも、形式としての「和平」が8年もかけて進展した(本当に「進展」した)ことは、すごいことなのかもしれない。

※この記事は

2006年12月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:38 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「行方不明」と報じられていた2人はいずれも遺体で見つかった。1人はCarlos Alonso Palateさん(35歳)。もう1人はDiego Armando Estacioさん(19歳)。2人ともスペイン人ではなく、エクアドル人だそうだ。
http://www.playfuls.com/news_10_7449-ROUNDUP-Spain-Mourns-ETAs-Victims-After-End-Of-Peace-Talks.html

初期報道から、IRAのCanary Wharf爆弾ほどのものではないのかと思っていたが、現場の写真を見るに、あれと同等の規模と考えてもいいのかもしれない。
http://www.typicallyspanish.com/news/publish/article_8251.shtml

ひとつ間違いがないのは、これで「テロリストと交渉するなど無駄」という「空気」が醸成されることだ。反証としては北アイルランドの和平交渉を挙げればよいのだが、「テロは卑劣である」と「卑劣だからテロなのだ」の循環思考がぐるぐるしているなかでは、たぶん、誰も聞こうとしないだろう。

バスクのAtxondoでは100キロの爆弾(起爆装置さえ準備すればいつでもスタンバイオッケーの状態)が見つかった。
http://www.playfuls.com/news_10_7543-ETA-Abandoned-Plan-For-Christmas-Attack.html

これとは別に、さらに30キロの爆弾がAtxondoで見つかっているようだ。
http://www.typicallyspanish.com/news/publish/article_8262.shtml

Lurganでの肥料爆弾(たぶんRIRAかCIRA)が250ポンドだったから、だいたい125キロ。ETAの爆弾倉庫の爆弾の量と同じだ。RIRAはもっと溜め込んでいたのが後にGardaによって発見されたが。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6094660.stm
Posted by nofrills at 2007年01月06日 02:03

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼