kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年03月02日

「ハマスとIRA」に関する論争

過日パレスチナの評議会選挙でハマスがファタハを破り・・・どころか圧勝したとき、世界各地で同時多発「orz」になったのではないかと私は勝手に思っているのだが、私は頭が悪いし思いやりもないので、「orz」になるほどの考えなどなく、ただ単に「うひゃあ」と「わちゃあ」の混ざったような声を発し、ブラウザを立ち上げてニュースサイトを開き、検索窓に次のような文字列を打ち込んだのであった。
IRA Hamas

;−)

数日も経つと北アイルランドからわらわらとその関連の記事が出てきて、「(IRA/シン・フェインが変わったように)ハマスも変わらなきゃ」ってなるんだろうか、とか、そういう場合、カリスマ党首ジェリー・アダムズはどう熱弁を振るうんだろうか、とか、ちょびっとずつ空想だか妄想だかしてはニヤニヤしていたのだが、ニヤニヤしたことで満足してしまって、多分ブログには何も書いていない。orz (あとから自分で探せるようにメモをストックしているのがこのウェブログの本質であるのだが。)

これ、実は論争になってて――というか予想通りなのだが、「IRAが変わったようにHamasも変わるさ!」という論と、「IRAとHamasは根本的に違うのだからそれはまったく的外れな話だ!」という論とが仁義なき結論なき闘いになっていたのである。双方「!」つきで。

私の考えというかファースト・インプレッションは「IRAが変わったようにHamasも変わるさ」に近いので、「IRAとHamasは根本的に違うのだから」論を遠くから野次馬目線で見て、そして、ああ、いつもと同じ不毛な「論争」が起きていると思った。

そしてすぐにウォッチするのに飽きた。

「AとBは根本的に違う」論はそれらしく書き連ねるのは案外簡単だ。違う点を列挙すれば「ああこんなに違うとこいっぱいあったらやっぱ違うんだ」というように見える。

IRAとハマスで言えば、
・IRAはカトリック帝国など築こうとしていなかったではないか。
・IRAは一般市民を巻き込んだかもしれないが、意図的に狙ってはいないではないか。(<嘘。というか「意図的」の定義による)
・IRAは英国を破壊しようとなどしていなかったではないか。
・IRAは神の名においてテロをしていないではないか。(<当たり前だ。IRAは「カトリック」じゃなくて「マルクス主義」なんだから。)
・IRAは自爆しないじゃないか。
などなど。

んで、それはことごとく「見てるところが違う」んであり、というか「IRAはハマスではない」のは当たり前の大前提であるのだから、「ハマス」の特徴をいちいち挙げて「それ見ろ、IRAにはこれは当てはまらない。だからIRAとハマスは違うんだ」と言い張っても、それは子どもの駄々に等しい。

ということに気づかない不毛なつっかかりがいくつかのところで繰り返されているのを見て、最初は多少ニヤニヤもできたのだが、そのうち疲れてきて、すっぱりやめてしまった。

で、そんなことなど忘れかけていた今日、アイリッシュのブログでまさに最終回答を発見したのである。

Wednesday, March 01, 2006
The IRA and Hamas.
http://dossing.blogspot.com/2006/03/ira-and-hamas.html

ひとつひとつ丁寧に「不毛な論争」の「論点」を片付けたあとで、この文章を書いたSimonは次のように記事を結んでいる。

Hamas were formed in 1989, the Provisional IRA in 1969. 17 years after their formation Sinn Fein / PIRA began the movement towards peace with the famous 1986 Ard Feis. Why is it so difficult for people to believe that Hamas's winning of the election 17 years after its formation can not be the first step in the journey to peace that Sinn Fein/IRA started 20 years ago.


PIRA結成から17年で、IRA/Sinn Feinは政治的アプローチに重心を置き始めた。ハマスは今年で結成から17年になる――ということには気づいていなかったけれど、「ハマス勝利」のニュースを聞いて真っ先に私が連想したのは"Armalite and ballot box"というフレーズだった。

1986年から20年経って、あれこれいろいろ停滞してたりもするけれど、とにかくIRAは武器を捨てた。対するロイヤリスト組織は、LVFはinactiveになり、UVFは、武器は保管したままだが、組織を解体した。

時間の中でテロ組織を変えていったのは、政治の力だと思う。politicsというよりむしろdiplomacyの方面で。

政治レベルと個々人のレベルとでは話は完全に同じではないにせよ、とにかく、ショッピングセンターに買い物に行ったら爆弾で吹き飛ばされた、あるいは弁護士の車に仕掛け爆弾で車ごとどかんとか、というようなことは、北アイルランドではもう起こらないと思われる。

――というのが目いっぱい希望的なところ。

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で、Simonのこの文章を読んで気づいた。昨日、2006年3月1日は、ボビー・サンズがメイズ・プリズンのHブロックでハンストを開始してからちょうど25周年にあたる日だったそうです。(1981+25=2006。この計算も言われないとわからないとは、25、50、75、100の区切りで記念する文化はやっぱり私のものではないと思った次第。)

United Irelanderいわく:
As I've remarked before on United Irelander, 2006 is a year of commemoration in this country. There is the 90th anniversary of the Easter Rising as well as the 90th anniversary of the Battle of the Sommes but as well as that, 2006 is significant as it is the 25th anniversary of the Hunger Strikes.


映画『ホテル・ルワンダ』の監督のテリー・ジョージの作品に、日本では公開されていない、Some Mother's Sonという映画がある。

The Kinksの同名の曲(下記)にちなんで題名をつけたのだそうだ。
Some mother's son lies in a field
Someone has killed some mother's son today
Head blown up by some soldier's gun
While all the mothers stand and wait
Some mother's son ain't coming home today
Some mothers son ain't got no grave
- source


The Kinksのは戦場に斃れた兵士のことを歌った曲だが、テリー・ジョージの同名の映画は、ハンガーストライカーのボビー・サンズについての映画である。(残念ながらUSでもUKでもDVDなし、VHSは生産停止。)

ところでThe Kinksのレイ・デイヴィスもアイルランド系なんだよね。

※この記事は

2006年03月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:10 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼