kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年03月17日

グアンタナモ行きとなった英レジデントはMI5のエージェントだった。

記事閲覧が有料化される前に読んどけ、な記事@インディペンデント。ものすごい長いんですが。

MI5, Camp Delta, and the story that shames Britain
http://news.independent.co.uk/world/americas/article351561.ece
Bisher al-Rawi and Jamil el-Banna are among eight British residents who remain prisoners at the U.S. Naval Air Station at Guantanamo Bay, Cuba. They are jailed because British officials rendered them into the hands of the CIA in Africa, a fact that may explain why the British government refuses to intercede on their behalf. Bisher and Jamil have been wrongfully imprisoned now for more than three years. This is the story of their betrayal by the British government and their appalling treatment at the hands of the CIA and the U.S. military.
話をまとめると:

9−11後、ロンドンの過激なイスラム教宗教者との接触の必要があったMI5が見つけた完璧なエージェントが、al-Rawiさん(イラク出身の英レジデント<国籍は持ってない)だった。

9ヶ月にも及ぶ打ち合わせ(審査)を経て、アブ=カタダ周りでMI5のために働くようになったal-Rawiさんは、トラブルになった場合に備えられるよう高名な人権問題に強い弁護士をつけられないかとMI5に相談したが、MI5は拒絶した。かわりにMI5はMI5の弁護士を紹介した。その弁護士は「絶対大丈夫です」と、悪徳商法の先物取引の営業マンみたいなことを言った。(←私の主観で書いてます。)

一方で、アブ=カタダはal-RawiさんがMI5のエージェントだということは知っていた。MI5はal-Rawiさんを通じてアル=カタダとの接触を図っていた。

そのころ、al-Rawiさんの友人でヨルダン生まれの英レジデントのel-Bannaさんも関わるようになった。

英国政府は「アブ=カタダの行方はわからない」と公式には述べていたが、その裏でMI5はロンドンにいるアブ=カタダとの接触を図っていた。

そして:
When Abu Qatada was arrested, Mr el-Banna taxied his wife and child home at the request of the British officials on the scene. Mr el-Banna never was arrested: the police thanked him for his assistance. He was never even questioned because everyone was aware of his limited involvement. Based on this involvement, he has been tortured and jailed for three years.


つまり、アブ=カタダが逮捕されたときに、彼の妻子を車で送っていった(しかも英国側の当局者からの依頼で)のがel-Bannaさんで、これが彼らの「グアンタナモへの道」の始まり。

al-Rawiさんはアフリカのガンビアで兄弟のビジネス(ピーナッツ・オイルの工場)を手伝うことになったが、彼らが入国するやいなや、ガンビア当局は彼らの身柄を拘束し、「英国の命令で」と告げた。

ほんで、ガンビアで彼らはCIAに引き渡されて、グアンタナモへ。。。ということのようだが、ここまで読んだ時点であまりにアレなので、読み続けられなくなった。

彼らはガンビアからカブール(アフガニスタン)のCIA施設(悪名高いあれ)に移送され、それからグアンタナモへ。CIAからも「一緒にやらないか」と誘いを受けている。(このあたり、よく読んでないのでよくわからない。)もちろん拷問も受けている。

そのまま3年以上、彼らはグアンタナモにいる。

このあとは後で読む。

とりあえず、インディペンデント記事が閲覧有料になる前に読んでみてください。

※この記事は

2006年03月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:05 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼