kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年04月13日

サミュエル・ベケット生誕100年。

今日2006年4月13日はサミュエル・ベケットの生誕100年の日です。
Samuel Barclay Beckett (April 13, 1906 – December 22, 1989)
http://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Beckett

ベケットはダブリンの近くで生まれ育ったプロテスタント(アングリカン)で、ベケットが生まれた当時はアイルランドは島まるごと英国の領土だったのですが、いずれにせよ、アイルランドと英国では昨年終わりから、「ベケット生誕100年」の記念行事があれこれ行なわれています。確か今もロンドンのバービカンでベケットの戯曲を特集上演しているはず。

the Beckett Centenary Festival
http://www.beckettcentenaryfestival.ie/

それと、どういう縁があるのかわからないけど、ロンドン西部のポートベロ・ロードのエリアに、ベケットの肖像を描いた壁画が出現してます。製作途中から完成までを、地元住民のArtieChokeさんが写真におさめて、flickrにアップしてます。
http://www.flickr.com/photos/w10/tags/beckett/

描いたのはAlex Martinezさん

guardian-beckett.png

ガーディアンは「ベケット生誕100年」の特集ページを用意していて
http://arts.guardian.co.uk/beckett/
今日4月13日の記事は、ベケットのあつい信頼を得て、伝記Damned to Fameを著したJames Knowlsonが語る、「初心者のためのベケット・ガイド」のような記事です。
More kicks than you might think
http://arts.guardian.co.uk/beckett/story/0,,1751741,00.html


James Knowlson, "Damned to Fame"
Bloomsbury ; ISBN: 0747531692 ; (1997/09/04)


James Knowlson, "Damned to Fame"
Grove Pr ; ISBN: 0802141250 ; (2004/05)

これ、日本語版もあるんですが、上下分冊で、書籍としてはとんでもない値段(¥10,290が2冊で¥20,580)なんです。
 

※この記事は

2006年04月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:32 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼