kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年11月24日

【お笑い北アイルランド】旗問題に決着!(なんでそーなるの!)

では、次のニュースです。「一斉にコケる」。ある議会が、そんな夢のような吉本新喜劇のような現象を引き起こしかねないとして、物議をかもしています。

問題の議会は北アイルランドのベルファスト市議会。

Belfast City Council's policy committee has recommended that the Union flag no longer fly over the City Hall.


壮麗な建築で知られるベルファストの市役所は、正面入り口の上に、英国旗、俗に言う「ユニオン・ジャック」が掲げられています。

DSC01673, Belfast City Hall, Belfast, Northern Ireland
*A CC photo by Lyn Gateley (CC BY 2.0)

この旗を降ろすべきである、と、市議会の政策委員会が決議しました。

北アイルランドで、1994年のロイヤリストとリパブリカンの停戦までの25年あまりの間、吹き荒れていた「紛争」の暴力で争われていたのは、この「北アイルランド」という場所は、「英国」なのか「アイルランド」なのか、ということでした。今からちょうど100年前の1912年に大掛りな大衆運動が組織され、誰が何といおうとここは「英国」である、との主張が「アルスター誓約」という(非常に宗教的な)文書という形を得たことが、アイルランド島が「北アイルランド(北部6州)」と「アイルランド(自由国、のちに共和国。南。26州)」に分断されることになったきっかけでした。

「南」が別の国となったあと、北アイルランド(北部6州)の政治を牛耳ってきたのは、「北アイルランド」が「英国」であるという主張の人々でした。彼らは、中心都市のベルファストの壮麗なシティホールに毎日休むことなく「英国の旗」を掲げることで、「ここは英国である」と無言のうちに、なおかつ象徴として声高に主張してきたのです。

ところが……

っていうか、どうしてこうなったwww




(いや、北アイルランドのfarceといえば2011年の自治議会選挙なんですけどね。投票用紙が水で濡れてしまったのでドライヤーで乾かすなどしていたので、BBCの選挙特番の時間内に1議席も決まらなかったという)

Belfast council committee votes to take down Union flag
23 November 2012 Last updated at 13:32 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20466154
A motion to remove the flag was passed at a meeting of the policy and resources committee on Friday.

The committee also backed the removal of the Union flag at two other council properties, the Ulster Hall and the Duncrue complex.


こんな結論の出る1週間前は、こういう話↓↓だったみたいなんですよwww







こんな感じだったので、少し前にストーモントの議会であったような、「ナショナリスト側は議会で頑張ったけれども僅差で負けた」のようなことが、ベルファスト市議会でも起こるのだろうと、ほとんど関心持たずに横目で見ていたんですよ。この時期、ちょうど、ガザがひどかったし。

それが……ははははは。

The motion to remove the flag was backed 11-9.
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20466154


Sinn Fein + SDLP + Allianceで11、だそうです。






シン・フェインの議員さんの勝利宣言。




Sinn Fein councillor Jim McVeigh said that a civic flag was a possible alternative and that Belfast was "not as British as Finchley".

"For a long time now we have been advocating no flag flying or a neutral one," he said.

"The status quo won't continue, that's for sure."
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20466154




ユニオニスト側は、くやしいのう、くやしいのう。







最後の、Ourselves呼ばわりはひどいwww



この方、「ポータダウンの人でチェルシーFCサポ」で「プラウド・ブリティッシュ」だなんて、何かの戯画かと思いました。



この方はレンジャーズ……。これがAllianceの議員さん一覧だろうと思いますが、何かちょっと物騒なものに見えます。単なる「一覧」ではなくて。

まだ次のラウンドがあるんですよ。「年がら年中掲げておく」は「NO」の結論が出たけれど、今度は「国民の祝日は掲げておく」の採決があります。




UTV:
http://www.u.tv/News/Support-for-City-Hall-flag-removal/3172138e-8b56-4ff2-87bc-b785732b137f

テーマソング:
Gimme a country that's red white and blue
Gimme the British way honest and true
Gimme the chance to be one of the few
Gimme gimme gimme gimme gimme

http://slf.com/lyrics.cfm#flytheflag




いかん、笑いが止まらないwww これで毎年夏の旗揚げ祭りがどうなるかしら……去年、今年と、12thのときにオレンジ側が緑側の区域に無理やり掲げた旗の除去が行われて騒動になったのがニュースになっていたけれど、こじれるとポータダウン・アゲインだ。だからこれ、笑いごとじゃないんだけどね、とにかく可笑しい。

だって、他の都市じゃなくて、ベルファストwww

※この記事は

2012年11月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:00 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

「旗」の件で、ベルファスト大荒れ。ロイヤリスト大暴れ。(建物から出られない状態の議員による「外は暴動なう」のツイートなど)
Excerpt: 「旗」の件というのは、これ。 http://nofrills.seesaa.net/article/303594749.html ベルファストの市役所は、正面入り口の上に、英国旗、俗に言う「ユニオン・..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2012-12-04 07:08





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼