kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年10月10日

Ew. This is so f**king bad. How can things like these be called "translation"?

英語だからってこんな意味不明なこと書かれてるとか認識されんの、ほんと、よくないんすけど。

以下、「さらす」意図はないので。

ふと見かけたこのページでの「海外ツイッター」の「日本語訳」がデタラメすぎてびっくりした。「ナゾの絶賛」っていうけど、そりゃ「謎」に見えるよ、こんな読み方してたら。(いや、「ナゾの」は修辞であり、「謎」という《意味》はないことはわかってます。)



これら、単なる「誤り」なので下記コメント済。

「海外ツイッター」の“翻訳”がめちゃくちゃですよ。

> Ichiro is a beast bro
> 【翻訳】イチローは獣の仲間だ

broは「仲間」ではなく、親しい相手への呼びかけ。
日本語に訳出するときは「タメ口」と思っていればだいたい間違いないくらい。
(コンマとかを使えば、Ichiro is a beast, bro. と書かれる文です。)
beastは「獣」ではなく「人間離れしている」。

> Ichiro fast like fuck eh no
> 【翻訳】性交のような速さ

fast like[as] f**k はイディオム。「超速い」、「クソ速い」くらいの意味。
辞書引いてください。

> ichiro is too fucking fast
> 【翻訳】イチローが速すぎてクソです

このfuckingは【強意】。単に「速すぎる」の意味。
「超はえぇ」くらいの感じ。

> Ichiro looks like a little elf boy who skips around the prairie #sorry
> 【翻訳】イチローは大草原の近くでスキップする小さなエルフのように見える

around 〜は「〜の近くで」ではありません。
それからこれは、末尾に #sorry があることからもわかるとおり、別に誉めてないですよ。

これだけ。私は野球にもイチローにも別に格別の興味はないし、無料翻訳チェックサービス屋ではないので、これ以上は見ませんでした。

ほんとねー、スラングとか「翻訳」したいと思うなら、まずは基礎力、続いて「勘」(これがあるかないかは決定的。堅苦しくないしゃべり方をする人のインタビューとか多読して、どこに「コンマ」が入ってるかみたいな別にかっこよくも何ともない地道な言語学的検討をすることでかなり磨けるはず)、それから「スラング辞書」が必要なんっすよ。その「辞書」を使うにも「勘」が必要で、数々の失敗が必要なんですけど。



※この記事は

2012年10月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼