kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年09月21日

かつて、「生きた英語」というのが呪文のように響いた時代があった。今はそんな呪文は簡単に破れる。そう、ネットで調べればね。

今も「生きた英語」っていうセットフレーズは生きているのだろうか。

というか、20年前に「生きた英語」というセットフレーズにつきまとっていた強迫観念は――「おまえが学校で習ったそれは、『生きた英語』ではない」という呪詛か恫喝のような強迫観念は――、今もリアルなものなのだろうか。

そんなことを思わせられたのは、下記のこれを含むツイートがTLに流れてきたときだった。これ、基本的には「生きた英語」信仰の典型。プラス、英語(に限らず外国語)を真剣に学ぶとか、それを使って何かをするということをしていない人の聞きかじりで生じた情報の歪み。


「死語だった!」じゃねーーよ。フカしてんじゃねぇよ、どタコが。

つまり、デタラメもいいところである。

"Don't mind."(運動部がよく使う「ドンマイ」)は、「死語」とかそういう問題ではなく「そもそも英語ではそのような言い方はしない」というもの、つまり「和製英語」だし、"How are you?" が「死語」だと言い張るのなら、日本語での「おはようございます」(rather than「おはよーっす」)や、電話の挨拶で「お世話になります」とかいったものも「死語」だ。

*「"How are you?"は死語」というのは、なぜか消えない「都市伝説」のようなものになっているが、その言説で言いたいのは "How are you?" -- "Fine, thank you. And you?" という古典的なやりとり(私は教科書でこれを習った)における応答の "Fine, thank you. ..." 云々が「古臭い」、ということである(それを使うべきフォーマルな場面というのもないわけではない)。それを、英語なぞろくに使いもしない人たちが伝聞情報として伝える間に、情報が歪んでしまうのだろう。* (この部分、NAVERまとめには書いてあるのでこちらでは書き忘れてしまったが、あとから補足した)

そもそも、"How are you? -- *Fine, thank you. And you?*" も "What time is it now?" も、少なくともここ10年か15年は「中学校の英語の教科書」には記載されていないはずだ(全点をくまなく見ているわけではないので「はずだ」と述べておく)。ただし「時差」を勉強する授業という設定で、"What time is it now in London?" みたいなフレーズは出てくる。(これは疑問形容詞のwhatの疑問文を学習するという目的と、《時間》を表す文では主語にはitを使うということを学習する目的がある。)

つまり、上のようなことを言われて「えっ!」と思うのは、大まかに30代以上か、さもなければどういう理由でか古い教材を使わされている人だろう。

20年前、インターネットなどというものが(少なくとも日常生活の中には)なかったころ、日本では「英語」というのは、印刷された紙の上か、録音されたテープ/フィルム/ディスクの上か、ラジオの電波に乗ってくるものでしかなく、それは一方的なコミュニケーション(あちらからこちらへの情報の伝達)で、つまりこちらから何かを言ったり書いたりした場合に、それに反応してくれはしないものであった。

「生きた」英語などという特別なものは、「ガイコク」(と呼ばれていたのは英語圏、それもほぼアメリカのことだったが)に行かなければ、接することができないものだった。

「大学の英文学の教授」や「学校の英語の先生」は「紙の上でしか英語を知らない」ので「英会話」ができない、って言って(密かに)嘲笑することが流行った。(これが当たり前じゃん、ということがわからない人と話をするのが、私は非常につらい。それでいて、そういう人が「どうせ習うならネイティブに習いたい」などとのたまう、などというのは普通でね。I can has cheeseburger. みたいな英語しかできないくせに。)

その時代、「あなたが学校で習った英語、実は間違いなんですよ」という論法は、リアルに力をもっていた。そういうこと言われたらみんなあせったし、じゃあ、ってんで、「いっぱい聞けて、いっぱいしゃべれる」環境を求めて、「講師はみんな外国人」という触れ込みの「駅前留学」に通ってみようかな、なんてことを考えたりもしたわけだ。

でもさあ、今は違うじゃん。

「生きた英語」なんて、まともな書き言葉でも、チャットのログみたいな形でも、ネットにあふれてるじゃん。

ネットで検索すれば、そのフレーズが実際に使われてるかどうかはすぐにわかるじゃん。(「英語だけの検索結果」を見るのはGoogleだと難しいけど、gooを使うと簡単だよ。)

YouTube見れば音声でも確認できるじゃん。
http://www.youtube.com/results?search_type=search_videos&search_query=%22how+are+you%22+-miku&search_sort=relevance&search_category=0&page=

なんかさあ、こんなに簡単に「生きた英語」に手が届くようになった今なお「あなたが学校で習った英語は間違いなんですよ」と恫喝されて、おたおたしてる人とか、恫喝を真に受ける人がいるっていうのが、本当に「生きた英語」には手が届かないなかで「学習」するしかなかった世代としては、信じられないんですよ。

下記は、そういうことです。

【実例つき】"How are you?" は《死語》ではありません。
http://matome.naver.jp/odai/2134800849361474801


んでさあ、Wassup? みたいなのばっかり「生きた英語」っつってありがたがる人もいるわけっすよ。

これね、自分の子供が「ありがとうございます」、「こんにちは」と言えず、「あざーっす」、「ちーッス」としか言えないような子になったらどうする、っていうことなんすけどね。

……っていうのがこれ。

英語で賛否両論、Twitter新デザイン!(英語でこんなの読めたら/書けたら「かっこいい」?)
http://matome.naver.jp/odai/2134799140460942101




かつて、印刷された紙の上の英語というのは、This is a pen. 式の、実際には使われそうもない(とはいえ、真面目に外国語をやればそれが「パターン認識」のための例文であるということはわかるはずだが)妙な文があったり、既に古風な響きがするようになってしまった数十年前の流行表現があったり、あと、日本の場合は英語の「学習」が体系化された明治期の例文がなぜか生き残っていたりもすることがあって、20年(以上)前でも、既に、「どこか信用しきれない」ものだった。

定評ある出版社の辞書を「批判する」出版物がベストセラーになったのも20年ほど前だが、その出版物はまっとうな「批判」よりも「重箱の隅をつついて言いがかりをつける」部分や、「エゴが肥大しきった筆者が独自の理論を展開する」部分があまりに多かった。(その出版物に続いて同じ著者が出した英文法本があまりにめちゃくちゃで、最初は「まあ、ゴシップとしてはいいんじゃないすか」的に見てた人からも That's not funny anymore. という反応を買っていたのだが、それでもその英文法本は売れたらしく同じ版元から続編が出るなどして、真面目に英文法やってる人たちを心底うんざりさせたものだ。)

その頃、「語学」の学習者は「生きた英語」を知るためには、紀伊国屋書店の洋書売り場や、(今はなき)銀座のイエナ書店に行ってそこにいる「ネイティブ」に声をかけて話し相手になってもらいましょう、みたいなことが真顔で言われていた(買い物の邪魔をされたら迷惑だと思う)。そこでスポーツ雑誌をめくっているお兄さんが「ネイティブ」かどうか、誰がどうやって判断できるっていうんだろう。

「昔はこんなだった、今はいいなあ」ということではない。ただ単に、知りたいことがあるのなら、すぐそこに大量に答えがあるというのに、それにアクセスせずにパニクっていたりするのはあまりに効率が悪いのでは、ということだ。

特にTwitterというツールは、そういう「普段の言い方」、「生きた英語」がテキスト化されて検索可能になっているデータベースとしては、ある意味最強なんだけど。



そういえば「How are you? は死語」云々の火元になった記事は「ネイティブ」の座談会、みたいな形式なのだけど、そもそも、なんでそんなに「ネイティブ」が特権化されてんだろう。

20年前なら、「自分の身の回りで英語を使っているのは、日本人(=日本語話者をいう慣用表現)か、ネイティブか」という状況だったかもしれない。でも、今なお、「英会話」という文脈で、「ネイティブ」が20年前と同じように「特別な存在」と扱われていることが、どうにも理解できない。

英語というのはグローバルに使われている言語で、「ネイティブ」じゃなくても、第二言語として(「ネイティブ」並みに)英語を使っている人などは大勢いる。ネットが使えるようになって可視化されたことはたくさんあるが、「ネイティブじゃない英語話者は片言、というのは思い込み」ということもそのひとつだ。

Twitterで私がフォローしているエジプトの人々やアフガニスタンのジャーナリストはほぼみんな第二言語としての英語話者だし(一部、「エジプトで生まれ育ち、高校で渡米し、米国の市民権を取得」といった立場の人もいる)、インドなど多言語の環境では、「ネイティブ」(ネイティヴ英語話者)だが第一言語は別の言語、ということもある。ベルギーではワロニアとフランダースの対立を意識せずに会話するために中立的な言葉として英語が使われる場面もあるというし、そのようなケースでは「ネイティブ」かどうかなどほとんど意味を持たない。ビジネスの現場でも、「ネイティブと堂々と渡り合う日本人」みたいなのは、何というか、昔の自動車のCMみたいなもので、あくまで「イメージ」だ(と、一線のビジネスパーソンの方がおっしゃっていた)。

※この記事は

2012年09月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:21 | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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