kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年11月23日

『麦の穂をゆらす風』を見てきました。

The Wind That Shakes Barley Posters -- English and Japanese
※画像クリックで横幅500ピクセルの画像@flickrに。(flickrに飛べば、さらに大きな画像もあります。)

昨日、夕方から時間があいたので、『麦の穂をゆらす風』を見に行ってきました。東京でこの作品を上映している映画館、水曜日は1000円の日なんですね。ラッキーというか、自分にとっては2回は見ないと何ともはや、な映画なんで、800円浮いたのはありがたいんですが、昨日は休日前で非常に混んでいて、すんごい前のほうの席しか空いていなくて、画面の右端に字幕が出るところは「映画鑑賞」としては厳しかった! 水曜日の最終回(6時半すぎにスタート)に見に行く方は、早めに映画館に着いていたほうがいいかも。でも字幕の助けなしで大丈夫な人はいいのかな・・・。

私は「ところどころしっかり聞き取れる」という程度で(アイルランド南西部、コークの英語)、字幕の助けがないときつかったです。それに、中途半端に知識があるもんで、始終「今、年表でいうとどこ?」な感じで、ああ、私「映画を鑑賞している」モードじゃないやと思いつつ・・・でも映画としてのお約束どおりの極めて「映画」らしい箇所もあり、特に佳境に入ってから(アングロ・アイリッシュ条約以後)は、「映画を鑑賞している」モードになっていましたが。(ネタバレ回避のため、詳しくは書きません。)

しかし、いやぁ、カンヌで上映されたときに「スタンディング・オベーションが10分続いた」というのもむべなるかな、です。2時間静かに紡がれてきた物語と蓄積されてきたものが、「映画の終わり」という形で終わるときの、「ああ[ネタバレ回避のため書きません]!」というあの高まり。映画のなかにはチル・アウトは用意されていないので(エンドロールも極めてあっさりしている)、見た者がそれぞれでチル・アウトしなければならない。カンヌならそれは「スタンディング・オベーションが10分」という形で現れるでしょう。

で、なんで「今、年表でいうとどこ?」になってたかというと、アイルランド独立戦争やその後のアイルランド内戦での主要人物が、ほとんど出てこないんですね。画面に姿が出てこないだけではなく、人物名としての言及も非常に少ない。「内戦の主役」であるマイケル・コリンズの行動ですら、伝聞として登場人物の口から語られるだけ。アーサー・グリフィスとかイーモン・デ・ヴァレラなんて名前すら出てこない(この話でデ・ヴァレラが出てこないのにはびっくりした)。さらにはコーク市に対する仕打ちとして年表に残っているような事件も出てこない。だから、よほど細かい状況が頭に入っている人でない限りは、「その時歴史は動いた」という瞬間がわからない。

これはどういう意図なんだろうということを考えると、1つには、アイルランドの闘争について関心の高いアメリカのマーケットを強くは意識してない(彼らのナラティヴで語って「わかりやすくしよう」としていない)ということが考えられます。安い言い方をすると「媚びていない」。まあそれは映画としてはどうでもいいことかもしれません。

それから、もっと重要なのが、現代において誰もが知っている有名な歴史上の人物をほとんど出すことなく、市井の人々で「それ」を描いているということ。そしてそれは、徹底して「ケン・ローチ的」なアプローチなのかもしれないということ。extraordinaryな何かではなく、ordinaryな何かを通して、「それ」を提示する。わかりやすく言えば、ケン・ローチの描くものの中に「ヒーロー」はいないんですね。物語の主人公はいるけれど(デミアン・オドノヴァン:演じるのはキリアン・マーフィー)、それすら、「映画」としての形式を成り立たせるために必要だから、という以上のものではないように感じられました。(もう1度見れば違った感想を持つかもしれないけれども。)

「アイルランドの解放の闘争」について、文字情報などに接していると――特に現代のシン・フェイン系の言説に接していると、「ヒーロー」の存在というものを、前提として、受け入れてしまう(一方にとっての「ヒーロー」は他方にとっては「テロリスト」や「売国奴」などであるかもしれないけれども)。でも本当に「歴史を作ってきた」人々は、そういう突出した「ヒーロー」ではない。そして彼らが作った「歴史」というのは、「過去の話」ではない。『麦の穂をゆらす風』はそういう映画でした。

私はいまひとつケン・ローチの映画が苦手なのですが、それは、作家がそういう方法をとることによって、劇中の台詞や、時には人物の行動までもが「説明のため」になってるように感じられることがままあること。(『アンナ・カレーニナ』を読んでいる気分というのが一番近いんですが。)これは私が「英語で語られる世界」について、ケン・ローチが前提としているような知識を持ち合わせていないことが大きな原因のひとつに違いないのですが、この点は『麦の穂』ではそんなに強く感じられませんでした。映画では実際に「独立派の人々が討論している」場面(アングロ・アイリッシュ条約の直後には、事実、ああいう討論はそこらじゅうで行なわれていた)がありましたが、あの討論シーンはただの「説明」のためのものではなかった。映画として、その先につながっていくとても重要な場面。

それから、この映画でもっとも重要かもしれないのが「『過激派』と呼ばれる者たち」について。日常生活で接することのできる文字情報(新聞報道など)にあふれかえっている『過激派』という漢字3文字が(私は日本語で世界と接しているので、extremistsという英語ではなく「過激派」という日本語の方がしっくりくる)、何となく伝えている「イメージ」の「正確さ」について。

「過激派」という言葉は、「彼ら」をひとくくりにして切って捨てるための便利な用語です。イラクでいえば「掃討作戦」の対象として、米国政府が「テロリスト」と呼ぶ者たちについての別の言葉。(「テロリスト」よりは「過激派」のレッテルのほうがまだましだと思うけど。)

「過激派」という言葉を使うとき(言葉が使われるとき)、そこには「彼らは誰なのか」あるいは「誰が彼らなのか」という問いはありません。「過激派とは、過激な手段をとる連中である」的なほとんど意味のない説明はあるかもしれないけれども。

この映画は、デミアン・オドノヴァンというひとりの人物を通して、「誰が過激派なのか」を、反論や反駁の意味ではなくその文の文字通りの意味で、淡々と描いたものだと思います。また、「過激派」のいるところには常に対義語として存在する「穏健派」についても。

ケン・ローチの目は、いわば「神の視点」で1920年から22年、23年にかけての状況を描いていく(ただしその「神」にも主義主張がある)。作り手が登場人物の特定の誰かに感情移入することを拒む強い意志を持っているかのような点では、同じ時代を扱ったニール・ジョーダンの『マイケル・コリンズ』のナラティヴとはまったく対極的。

あと、上のほうに「歴史上の有名な人物は登場しない」ということを書きましたが、登場しなくても重要な役割を果たしている人物はいます。それはジェイムズ・コノリー。劇中に引用されるコノリーの言葉は、この映画のコアです。ただしケン・ローチはそれを「コノリーの亡霊」というようには扱っていない。極めてリアルでアクチュアルなものとして扱っています。
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Connolly

映画公式サイトの「用語解説」にも解説があります(映画のパンフレットにもあり)。一言でいえば、社会主義の考え方で「アイルランドの共和国としての独立」を主張した指導者。コノリーが社会主義の考え方を採用していったのは19世紀後半(1860年代以降)で、そのころは英国でも社会主義は盛り上がっていて、社会のいろいろなところにその考えに基づいた活動があったのだけど(ロンドンだとイーストエンドの救貧活動など)、それらの動きには英国に暮らすアイルランド人が深く関わっていた(オスカー・ワイルドあたり)。

あと、英国政府側では、チャーチルとロイド・ジョージ。特に当時植民地大臣だったチャーチルですね。チェンバレンも名前は出てきた。

それから「アングロ・アイリッシュ条約」は、これまた公式サイトの「用語解説」にありますが、一応予備知識として知ってたほうが話がわかりやすいかと思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Irish_Treaty
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E6%84%9B%E6%9D%A1%E7%B4%84

「有名な人物を出さない」ことによって、「アングロ・アイリッシュ条約」周辺の固有名詞のややこしさ(Fianna FáilとかFine Gaelとか、あるいは個人名)は回避されていますので、大雑把に「独立戦争」→「アングロ・アイリッシュ条約」→「内戦」という流れをつかんでおけば十分かも。

あと、映画の冒頭部分のハーリングのシーン(ポロみたいな競技)はすごくいいですね。でもそのすごくいいシーンに出てくるスティックが、その後どういう場面で出てくるのかってことを思うと(しかも映像的にも言語的にも過剰な説明なく)・・・。

それからおばあちゃん役の人、専門の俳優さんじゃなくて素人さんだということですが、すごく印象的。あと俳優ではテディ役のポードリック・ディレーニー、ダン役のリーアム・カニンガムとキリアン・マーフィーで最強の布陣って感じ(初めて見る俳優さんがほとんどですが)。私は個人的な考え方のあれこれもあるのだけれど、何より最近のProvisional IRAとSinn Feinの言説を追ってきたせいもあって(今年に入って北アイルランドで起きている「非主流派リパブリカン」の「過激」な行動のあれこれは、この映画のテディの立場をPIRAの立場と置き換えることができる)、映画全体を通してテディ・オドノヴァンという人物がコアになってると感じました。

あと、教会のスタンスがとても興味深い。いきなりちょっとだけ出てくるんですが、めちゃくちゃ雄弁でしたね。サンデー・ベストを着込んだデミアンが非常に痛々しいシーンで。

というわけで、今日は起きてからずっと、うちにあるアイルランド関連書籍で1920年から23年のあたりのことをがーっと読んでいたんですが、この映画はもう1回見ないと何ともはや、です。「植民地主義」とか「内戦の発生」といった点については1度見ればわかるけれど。(つまり、「難解」ではない。こんなに複雑な話を扱っていながら・・・と一瞬思いかけて、それを「複雑」にしているのは何だろう、と考えると、またドツボにはまる。レバノンやらパレスチナやらイラクやら、「複雑」なみなさんご一行様で頭の中に登場、という感じで。)

それら書籍についてはそのうちにまた別にエントリ立てたいと思います。

劇中に出てきた数字が非常に気になるんですが(「抵抗運動の支持率」みたいなこと)、それはまたいずれ。ちょうど2004年当時、イラクの「ムクタダ・サドルを支持する人々」の数が過少報告されていたのと同様に、1910年代のアイルランドの共和主義武装勢力の支持者数は、英国では過少報告されていたはず。

※この記事は

2006年11月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:15 | Comment(1) | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
11月16日の毎日新聞ウェブ版に、キリアン・マーフィーのインタビューが出ていたのに、今頃気づきました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/cinema/news/20061116dde018200049000c.html

引用:
 ケン・ローチ監督は、役者に物語の結末を知らせず、その日の分だけを渡して演じさせる独特の手法で撮影を進める。マーフィーは事前に、自分が演じるデミアンは医者で兄があり、自由のために戦うという情報だけしか与えられず、物語の展開を知らなかった。兄弟はアイルランド独立のために共に英国との戦争に志願するが、独立の条件をめぐって対立し、続く内戦では敵味方に分かれてしまう。

 「ケンは役者に近い配役をするから、デミアンの性格や感情は自分の中にあった。即興の撮影は素晴らしかった。先が分からないのは怖かったけど刺激的で、いつも新鮮。心から満足している。ただ、ハッピーエンドではないだろうと思っていたが、結末はあまりに悲劇的で、さすがにショックだった」

・・・ええ、あの結末は力技以外の何者でもありません。

あと、キリアン・マーフィーは次のようにもコメントしています。

「この映画は二つの側面がある。一つは見た人を感動させる力強さ。もう一つは、過去と現代の歴史を知るきっかけになる。メッセージを強要するのは好きじゃないが、学ぶことは多いと思う。歴史は繰り返すんだ」

・・・「歴史は繰り返す」はクリシェ(常套句)ですが、歴史それ自体が繰り返すわけではない。「人」が繰り返すんです。ああいうことは、人間だから起きる。

という点で、実は私は、『麦の穂』は食い足りない映画だと思いました。つまり「暴虐」の描き方がね(ネタバレ回避のため書きませんが)。。。ストーリーの展開から、私がひっかかりを感じているところは意図的にone-sidedにしたものだということもわかるし、同じようにone-sidedでもIRAのプロパガンダとは明らかに違うのだけれども、one-sidedにするということは果たしてああいうことだろうか、という疑問は、けっこうある。
Posted by nofrills at 2006年12月05日 09:49

この記事へのトラックバック

Ken Loach Film - The Wind That Shakes The Barley
Excerpt: 月曜日にケン・ローチ監督「麦の穂をゆらす風」(The Wind That Sha
Weblog: "Tadd"pole galaxy
Tracked: 2006-11-23 21:25





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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