kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年07月10日

【スクープ】新聞に書いてある「警視庁調べ」は「警視庁発表」とは別の語である。(※本エントリの見出しはパロディです)

唐突だけど、この本、おもしろいんだよ。もう品切れだから古書でしか入手できないかもしれないけど。私は新潮文庫で持ってたけど、元は毎日新聞社の単行本だったのか……へー。お役所で使われる「整備」(「法律を整備する」、「パソコンを整備する」など)のような「一般社会とは違う意味」の言語を「整備語」と呼び、なぜあれらの英訳はやっかいなのかを爆笑しながら真面目に考察する本。ジャーゴン(閉じた範囲だけで使われる用語)はジャーゴンである以上、外部から見たら摩訶不思議なものだけど、一般社会に向けて開かれているはずの言語までもジャーゴンでがんじがらめになっている(中の人たちもそのジャーゴンじゃないと思考できない)というのは、爆笑はできるけど、笑えないことだ。

4620314994怪しい日本語研究室
イアン アーシー Iain Arthy
毎日新聞社 2001-03

by G-Tools


さて、過日、このような記事が話題になった。

【スクープ】「首相官邸前デモの参加者数、実は警視庁は発表していなかった」という謎
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120707-00000301-alterna-soci


書き出し部分:
今年3月から毎週金曜日、首相官邸前で開かれる「原発再稼働反対」デモの参加者数について、大手メディアが引用している「警視庁発表」の数字が実は存在しないことが明らかになった。

警視庁広報課は「各紙が持つ独自のルートで調べているのではないか」との見解を明らかにしたが、警視庁が発表していない数字を「警視庁発表」としたり、その数字の根拠が全く不明であるなど、報道モラルを大きく問われる事態に発展しそうだ。

(さらに、この記事へのツッコミで、“実は「大手メディア」は「警視庁発表」の数字を「引用」などしていない”という事実が明らかになるなど、わけのわからない事態は拡大の一途をたどりそうだ。)

私も当該の件(6日の官邸前抗議行動)について「警視庁発表」という文字列を見ている。あとで自分の履歴を調べたら朝日新聞の見出しだった―― "原発抗議行動、人数どっち? 主催者と警視庁発表に大差"。


※この記事の見出しは現在は修正されている。このエントリの末尾参照のこと。

この記事、記事本文では「警視庁調べ」という表現がなされているが、読者としては、見出しでバーンと「警視庁発表」とインプットされている。それに、こんなテクストは(申し訳ないけど)丁寧には読まない。関心のあり方や度合にもよるだろうが、ウェブ版にあるテクストの分量なら4秒か5秒で目を走らせて、要旨を把握したら終わりだ(実際、7日に誰かのTwかRTで見出しを見てURLをクリックしたときは、「朝日もこの件を書いているのだな」と確認した程度でブラウザを閉じた)。

だから、《見出しでは大きく「警視庁発表」と書かれているが、本文での文言は「警視庁調べ」であって「警視庁発表」ではない》ということになど、ほとんど気づかない。気づいたとしても「表現が違っている」と思うだろう。

そもそも、デモの人数についての「警察発表」は一種の《成句》で(「主催者発表」と対になっている)、多くの人にとって「所謂“けーさつはっぴょう”」という認識は自分の中にあっても、それが一体何なのかは突き詰めて考えない、という語だ。([比喩]居酒屋でししゃもを頼むときに、それが本当のシシャモなのか代替魚のカラフトシシャモなのかを考える、というタイプの人[/比喩]は、こういう適当な態度は取らないかもしれない。)

一方で、少し別なところを見返してみたら、別の例も確認できた。7日の午前中の毎日新聞の小川一さんのツイートの中に「警視庁発表」、「警察発表」の2つの「表現」が使われている。私は上述の朝日の記事見出しのほか、これも見ていたかもしれない(「警察発表」などという「普通の用語」をいつ見たかなどという細かいことは正確には覚えていないにせよ)。この例は、(本文を前提とした見出しとしてではなく)独立して「警視庁発表」、「警察発表」という用語が現役で使われている、ということを示している。



※おそらく、ここでの「警察発表」は「警察が発表した」という《事実》の記述というより、単に「成句」としての「けーさつはっぴょう」だろうと思う。←わかりづらい記述、ご容赦。

さて、少し上で、「気づいたとしても『表現が違っている』と思うだろう」と述べたが、そう、「表現」だ。ギョーカイ用語を知らぬ一般読者である私は「同じものを指す別の表現」と思っていたのだ。「昼ごはん」と言うか「ランチ」と言うか「お昼」と言うか、のような。それぞれの語でニュアンスや雰囲気は違うが《意味(シニフィエ)》は同じ。

しかるに、ギョーカイ用語としては「警視庁発表」と「警視庁調べ」は、《別の「表現」》などというヌルいものではなく、《意味》からして別の「それぞれに独立した別の語(概念の表象)」なのだそうだ、ということを、『英国式事件報道』というたいへんにおもしろいご著書のある共同通信社の澤康臣さんのツイートにご教示いただいた。




新聞であれテレビであれ通信社であれ、マスメディアは自身の外部である「マス」に対する情報を提供する機関だが、「警視庁調べ」が「警視庁発表」と違うなどというギョーカイのルールは外部世界にはほとんど知られていないと思う。そんなルールが実はこんなふうに存在していたというのは、ほんとに民主主義社会の報道機関についてのことなのか、というくらいにすごいことだ。(マーケティングやコンサルの分野での「独自の用語」ではよくあることだが。)

いや、「発表」って言えば普通さ、「調べ」た人(たち)が「発表」すると思うじゃん。会社ではそうじゃん。「プレゼンがあるから、5月のデータ調べておかないと」的なことじゃん。どうもそうじゃないらしいんだよね。

「警視庁発表」とは、警視庁が自ら「発表」することを指す。

検索すると次のような事例が出てくるが、ヒット件数が非常に少なく、どうやら現在は、この文脈では「発表」という語はギョーカイではほとんど使われていないようだ。パンピーは「(公的機関が)発表」と普通に言いますし書きますけどね、ギョーカイではそうじゃないんでしょう。だからその感覚でしか物を言わないし見ないのかもしれないけど、「マスコミ」ってなんだっけね……「マスに向けたコミュニケーション」でしたっけね。(はい、そこ、ここで下品であからさまなこと言わない。)



ちなみに「警視庁」ではなく「警察」で試しても件数が異様に少ない点は同じ。どうやら、警察当局は「発表」はあまりしないらしいわよ、おくさん。



一方、「警視庁調べ」においては、「調べ」ているのは警視庁だけではないようだ。もう一度、澤さんのツイートを見ると:
朝毎読、共同の官邸デモ記事は「警視庁調べ」「警視庁は…人としている」で「発表」と報じていません。発表でなく各社独自取材と思われます
http://twitter.com/nofrills/status/222109294907244545

つまり、「警察が調べる」+「それを報道機関が調べる(取材する)」=「警察調べ」、ということらしい。(「警察が調べる」だけで公表されたら、それは「警察発表」だ。)

「独自取材」もギョーカイ用語なのだが、説明すると不要に長くなるのでとりあえず「取材」と捨象してしまう。

「取材」とは、具体的には、誰か事情を知る人に話を聞いたりして調べることなどを言う。だから「ABC新聞の記者が取材した」は「ABC新聞の記者が調べた」と(まったく同じではないが)ほぼ同義で、慣行に従い「ABC新聞の記者」を「ABC新聞」とすると、よく見る「本紙調べ」になるはずだが、それもまた微妙にギョーカイ用語であり、そこらへんの用語に分け入るとパンピー発狂の意味空間でようこそここへ遊ぼうよパラダイスだ。

閑話休題。「各社が(独自)取材した」が「各社が調べた」である場合、一般人の感覚では、「本紙調べ」が用いられると考えられるが、ここで摩訶不思議なことに、「警察庁調べ」が用いられるようだ。

これは中の人にとっては「だってあたしはその数字を調べたわけじゃなくて、調べたのは警視庁の人なんですもの。その警視庁の人にあたしは教えてもらっただけですもの」という理屈なのかもしれない。しかし読者にとっては「ハァ?」でしかない。

「警察発表」は「警察調べ」と同じではない、という指摘に接して、読者である私から最初に出てくるのは、「あなたがたは誰に向かってしゃべっているのか」という疑問だ。

つまり、その言葉は、誰に伝えるためのものか。

報道(ほうどう、英: Report)とは、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。報道を行う主体を報道機関という。報道の媒体をメディアと呼ぶ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%96%E6%9D%90

※強調は引用者による。

メディア(媒体)は自分の存在を極力消すことで「中立」を保つべし、という神話がある。

これは翻訳にあたる者にとっての基本姿勢でもあるが、翻訳という作業では神聖にして不可侵と言うにふさわしい「原テクスト」という存在があり、それを別の言語に移し替える際に、翻訳者は透明にならねばならないということだ。つまり人々に「元の声」を聞こえさせるために「自分の声」は消さねばならぬ、ということであり、発言のすべての“責任”を「元」に帰着させるための「介在者の中立」である。ひとつのテクストに向かい合ったら、自分の「意見」は挟まない。「わたし」を通じて他者に伝わる声は、「元の人の声」(たとえそれが「わたし」の考えた「その人の声」であっても!)でなければならない。そのための「わたし」の消去、「中立」である。

一方で新聞などのメディアのいう「中立」の神話は、その言論の責任をどこにも帰着させないためにあるのではないかと思われてならない。例としてよく引き合いに出される「波紋を呼びそうだ」、「物議をかもしそうだ」、「姿勢が問われることになりそうだ」文体(誰がそうするのか、主語がない)もそうだが、日本の新聞の用語の感覚は、一般人からすると、ときどき決定的におかしい。

「新聞社の記者が、警察の人が調べた数値を、調べて書いた」場合を表すための文言が「警察調べ」(警察は調べたが発表はしておらず、あたくしどもは自分で聞きました)であり、それは「警察発表」(警察が発表したことをあたくしどもは書き写しました)とは異なる、とか言われたら、普通はもう笑うしかないのだろうが、あいにく、笑う表情を作るために筋肉を動かすエネルギーすら私には残されていない。薄ら笑いすら浮かんでこない。「怒り」すらない。冷たいものしか残らない。




では、上述の朝日新聞の見出しの「警察庁発表」はどういうことか。再度、澤さんのツイートを引かせていただく。「推測」ではあるが、おそらくおっしゃる通りだろうと私も思う。




これに対する私のレス。




これに対し、澤さんは「確かにそうで、読者にそれを分かれという立場に立ってはいけないですよね」とのレスをくださったので、私は非常に心強く思っている。

一方、同じ表記基準・用語基準(カタカナでいうと「スタイルガイド」)を使っているはずの同一の新聞社で、記事を書いた記者が「警視庁調べ」としたところを、整理部の記者は「警視庁発表」と書いても《意味》は同じだと考えているという事実がこのように示されたことは、この「警視庁調べ」なる用語がいかに「真意を理解されていない」かを如実に示していると思う。

そんなものを「すでに周知されている」とばかりに使い続けることに疑問を持たない人々よ。私はあなた方に失望し、落胆する。

仮にその人々が、「警視庁調べ」とは書かれているが「警視庁発表」とは書かれていない、などという「些末なギョーカイ用語の話」にすり替えているようなら、失望と落胆を通り越すだろう。(そう、それは「些末なギョーカイ用語の話」だ。)

このような紛らわしい、曖昧な言い方は、単に誤解のもと。「本紙取材」と前置きして「警視庁では〜人と見ている」的な記述にすることはできないのか。「本紙が取材したところ、警視庁では○○人と見ている」、「警視庁による数値は○○人(本紙取材)」という示し方をしないのは、何が理由なのか。

(というか、こんなん英語で書けば "so-so thousand according to the police" なんだけど、うちら翻訳者は、英語で "20k people according the police" という記述を見たら、それが「警察発表」なのか「警察調べ」なのか気にせんといかんってこと? ←冗談!)

しかし、マスコミの中の人はそういうことを、おそらく絶対に問わないだろう。初報の「オルタナ」の(大げさで、また誤った)主張をつぶすことに時間を費やすことはあっても、自分たちの使っている用語の再検討はまずしないであろう。ましてや、シモジモの者(いまだに「警察発表」という用語を普通に使っている!)が間違うことのないよう、親切に導いてくださる、ということは期待できない。

記者の人たちはよく「《事実》を伝えるのが仕事(キリッ」と言う。私もそれを信じていたいし、まだ少しは信じている。

しかし彼らの使う言葉は、《事実》を正確に人に伝える言葉ばかりではない。《事実》を誤魔化し、なおかつ/あるいは隠蔽する言葉でもある。











なお、「オルタナ」の記事については、まっとうな反論から「スクープでもなんでもない」とかいう反応までいくつか見かけたような気がするが、余裕がないのでそういうのはここでは扱わない(たぶん、Yahooのページから簡単にたどれる)。

ただ、この記事自体が「報道モラルを大きく問われる事態に発展しそうだ」のマスコミ様文体であること(誰が「問う」のか)、その上、情報源が1人だけの「シングル・ソース」であること(日本の「報道記事」とやらでは普通のことだが)、さらにその「ソース」が不明確であることから、記事全体の趣旨としてはネタなのかマジなのか、私には実はよくわからない(「ゲンダイ」と同様のものと受け取っているが)。

なお、朝日新聞の記事は、今見たらこのように見出しが修正されていたので、本エントリではウェブ魚拓で検索した結果出てきたページをキャプチャして貼りつけた。(こうやって後付けで修正するから、今度は「主催者調べ」なる珍妙な用語が出てきてしまったわけだ。)Google Newsではまだオリジナルの見出しが確認できる(下記、キャプチャ日時は10 Jul 2012 15:11:35)。

【修正後の見出し】



(摩訶不思議なり、マスコミ用語……。というか、20k thousand according to the policeは「警察によると2万人」でいいんじゃないすか。「発表」とか「調べ」とか言ってないで。)
タグ:言語

※この記事は

2012年07月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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