kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年11月18日

「麦の穂」を見る前に。

映画『麦の穂をゆらす風 (The Wind That Shakes The Barley)』の日本語の公式サイトで、少し前までCOMING SOONとなっていたコーナーがアップされている。

「麦の穂」を観る前に
http://www.muginoho.jp/before1.html
http://www.muginoho.jp/before2.html

アイルランドについて
http://www.muginoho.jp/ireland.html

後者はこの映画とはあまり関係ないような気がする。(アイルランド関係の映画のリストはあるが、『パトリオット・ゲーム』なんていうどうでもいいのを入れるのなら『デビル』でも入れたほうがいいし。『ジャッカル』が入ってないのはほっとしたが。)(あと『プルートで朝食を』のストーリー解説、キティが母を探してさまようのはロンドンとイングランドであってアイルランドではない。)

前者は映画を見に行く前に読んでおいたほうがよいと思う。ケン・ローチはもちろん英国の人々に向けてこの映画を制作したが、この程度のことは英国の人たちは知識として知っている(うちら日本人が「関が原の合戦」とかのことは知識として当たり前に知っているように)。だからおそらく映画の中では、状況として描写はされているにせよ、懇切丁寧な説明はないだろう。(『プルートで朝食を』でキティの暮らす村で爆発した爆弾が、IRAのものなのかUDA/UFFかUVAのものなのか、明確な説明がなかったように。状況から素直に考えれば、あれはロイヤリストの犯行でIRAではないが。)

ただ、英国での封切時のレビューや予告編などを見るに、仮にそういったことをほとんど知らなくても、この映画の主題というものは強く伝わってくるのではないかとは思う。それだけの力のある作品だという気は強くする。

『「麦の穂」を観る前に』の1は、オリジナル・プレス所収のドナル・オドリスコル(コーク大学: University College Cork歴史学部19〜20世紀のアイルランドの歴史がご専門)の解説。

オリジナル・プレスは見つからないので(英国の公式サイトは内容がとても少ないし、IMDBでも見つからない)原文は参照できないのが個人的に残念である。なお、『麦の穂』の日本語版公式サイトではnationalist(ナショナリスト)の訳語が「国民主義者」となっている。

『「麦の穂」を観る前に』の2が「用語解説」だ。このページは、映画を見終わったあとに見るのでもいいかもしれない。次の「用語」が解説されている。ここでは私の知っていることを簡単に書いておく。

- コーク Cork
 水曜日か木曜日の夜中のテレビの映画紹介番組で、
 キリアン・マーフィーのインタビューがほんの少しだけ流れたのだが、
 コーク出身の彼のおじいさんは、この時代のコークで英軍に撃たれ、
 彼の親戚にはほかにも英国に対する抵抗に参加した人がいたと語り、
 「だからこの映画は他人事ではなかった」とコメントしていた。

- ブラック・アンド・タンズ Black and Tans
 UK版「死の部隊」。

- 700年間
 勝手にイングランドのものにされてしまった12世紀からの
 「アイルランドの占領支配」の年月ですな。

- ウィリアム・ブレイク William Blake
 ブレイクの言葉が映画の中に出てくるらしいが、
 ブレイク自身はアイルランドとは直接関係していないと思う。

- ジェームズ・コノリー James Connolly
 イースター蜂起指導者。社会主義者。
 大杉栄の最期もひどかったが、コノリーの最期もひどかった。見せしめ的に銃殺された。

- ダブリン・ロックアウト Dublin lockout
 「資本家対労働者」の対立構造は、アイルランドでは
 「英国系富裕層対アイルランド人労働者」にそのまま置き換わった。

- イースター蜂起 Easter Rising
 1916年4月、ジェイムズ・コノリー、パトリック・ピアースらの率いる軍勢が
 ダブリンの中央郵便局を占拠し、「アイルランド共和国」を宣言。
 すぐさま英軍に鎮圧され、蜂起指導者は射殺。
 1970年ごろから後、IRAを名乗る各組織の「武装闘争」の根幹は、
 このときの「共和国」(南北に分断されていない)の実現というか回復である。

- マイケル・コリンズ Michael Collins
 この人もコーク出身。イースター蜂起にもアングロ・アイリッシュ条約にも深く関わった。
 詳細は映画(DVDは700円もしない)でどうぞ。かなりフィクショナルな部分もあるけど。
B000GDIAQCマイケル・コリンズ 特別版
リーアム・ニーソン ニール・ジョーダン アイダン・クイン
ワーナー・ホーム・ビデオ 2006-08-04

by G-Tools

 ※amazon.co.jpだと今は「在庫切れ」になっちゃってますが、
 他のオンラインショップや普通の店舗にはあると思います。

- イギリス・アイルランド条約 Anglo - Irish Treaty
 「アイルランド独立戦争」(アイルランド対英国)の「講和条約」。
 英国は譲れる限り譲ったと主張したが、北6州は英国に残留という内容。
 これを飲むことは南北分断を認めることになるので、
 条約受け入れ派と条約反対派に分かれて、アイルランド内部で内戦になる。
 19世紀の日本とか清(現在の中国)もいろいろと不平等条約を結ばされてますが、
 たぶん基本的には同じようなものなんだよね。
 「ここで講和しないともっとひどい目にあわすぞ」という恫喝を秘めた外交手法。

- フォー・コーツ The Four Courts
 ダブリンにある裁判所の建物の名称。
 映画でどういうふうに出てくるんだろう。。。

- 北アイルランド問題 The Troubles
 これは「麦の穂」のサイトから引用させていただく。まったくその通りなので。
 「日本での報道では、プロテスタントとカトリックの宗教対立の構図で伝えられがちだが、
 歴史的に見れば、確かに宗教的な対立もあったが、
 もともとは植民地問題、占領問題から始まっている。
 現在も、ユニオニストとナショナリストの対立、とする方が正しい。」

この用語リストを見ると、この映画では、アイルランド独立運動の「社会主義」的な面を描くことにかなり重点が置かれているのかな、という気がする(実際、マルキシズムの役割は非常に大きかった)。ちなみに監督のケン・ローチ自身、ガチの社会主義。下記はパルムドール受賞後、英国での封切り前のソーシャリスト・ワーカーのインタビュー。(ネタバレしすぎのような気がするんで、途中までしか読んでません。)
http://www.socialistworker.co.uk/article.php?article_id=8973

というところで、これらの用語のひとつ、「ブラック&タンズ」について。映画の物語の発端がこの「死の部隊」の残忍な行為にあるということだし。

むろん、「ブラック&タンズ」とは何かを知らなくても、街を丸ごと包囲して攻撃とか、動くものは何でも撃つとか、男はとりあえず連行して拷問するとか、よその国の兵士が少女をレイプして家族もろとも殺したなどということが、いま、現実に起きているのだから、主人公が「占領者」の横暴と、それに抵抗する「同胞」の前に、自身が医師になる道を捨てて独立の闘士として銃を手にするというストーリーを、生々しいものとして、「作り事」でない何かとして感じることは、可能なはずだ。

でも80年以上を経過した今でも、アイルランドで「ブラック&タンズ」ということばの響きが持つ何かは、残っている。そのことだけでも。

なお、以下は今年4月に下書きを書いて、何となく投稿しないまま11月まできてしまった文章である。リンクなど切れてるものもあるかもしれないし、記事が更新されているものもあるかもしれない。最小限の修正だけ加えてあるが、基本的には4月に書いたまま上げる。





アメリカのアイスクリーム会社、ベン&ジェリーズ(ユニリーバ=英国+オランダの傘下)が2006年4月に出した新商品の名前が、アイルランドで不評であるという。何ともマルチナショナルな話だ。

スラオさんでコメント60件以上とかなり盛り上がっている。

Black and Tan ice cream causes a chill in Ireland
By Tom Peterkin, Ireland Correspondent
(Filed: 21/04/2006)
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/04/21/wice21.xml

"Black and Tan"でGoogleで「日本語のページを検索」したら、最初に出てきたのが「ブラック&タン・クーン・ハウンド」という犬種についての説明のページなのだが、その写真を見ればわかるとおり、"Black and Tan"は「黒と褐色」という意味である。

これがなぜアイルランドで不評なのか。

「黒と褐色」は、アイルランド独立戦争のときに英国からアイルランドに派遣された警察の特殊部隊(のようなもの)の俗称である。名称の由来は、彼らの制服。

1920年ごろのことでカラー写真はないのだが、下記にイラストがある。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/events/northern_ireland/history/64204.stm

彼らの名称は、正確には、"Black and Tans"という(複数形)。

Wikipediaによると、英国が「アイルランドの反乱を鎮圧するため、勇気ある諸君の応募を待つ」と人員を募集したところ、第一次大戦から帰還した兵士たちなどが大勢応募して、用意していた制服では足らなくなり、上着は黒、ズボンは茶色などというちぐはぐな服装になった。だから「黒と茶色の人々」つまり"Black and Tans"。

彼らが「アイルランドの反乱を鎮圧するため」に行なった行為の残虐さは、「IRB/IRAへの支持の増大」という結果に結びついた。(一部の歴史学者らは、「1916年のイースター蜂起当時のIRB/IRAはマイナーな武装集団であり、アイルランドの人々の間で広い支持を得ていたわけではなかった」という。これに対し「修正主義的な見方」という意見もある。いずれにせよ、Irish VolunteersやIRAといった組織的武装抵抗運動は、1916年にいたるまでの間よりもその後の方がより広汎であったし、また、"Black and Tans"の前と後とを比較しても、その後の方が広汎であった。)

"Black and Tans"は町をひとつ焼き払いもした。

1920年、アイルランドの「反乱者」たちは勢いを増していた。南部の都市コーク(Cork)は反英武装勢力を強く支持するシン・フェイン党に「牛耳られて」いた。英国は「反乱者の拠点」であるこの不安定な都市のコントロールを取り戻し、「安全」にしなければならなかった。

1920年3月、警察はシン・フェイン党員であるコーク市のロード・メイヤー(名誉職としての市長:行政権はない)を自宅で射殺した。その後任のロード・メイヤーは8月に逮捕され、刑務所内でハンストを行い、10月に死亡した。

同年11月、ダブリンでサッカーの試合の観客に向けて、ブラック&タンズが発砲、観客12人が死亡した。秘密任務に当たっていた警官14人がIRAによって殺害されたことに対する報復であった。

IRAはこれに対し報復、ブラック&タンズの分隊を、コーク州の町で襲撃し、18人を殺した。

同年12月11日、同僚を殺されたブラック&タンズは、コーク市中心部を焼き討ちした。

焼けた都市を、彼らはパレードした。制帽に「燃えたコルク(cork:コーク)」をつけて。

翌1921年7月に停戦合意がなされるまで、コークでの戦闘は続いた。

――以上、下記ページを参考にまとめた。また、イラクのファルージャおよびラマディについてのここ2年半ほどの報道も参考とした。

- http://www.historylearningsite.co.uk/black_and_tans.htm
- http://en.wikipedia.org/wiki/Black_and_Tans
- http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Cork

なお、この時期の英国が「安定させるべき」「武装勢力の拠点」があったのは、もちろんアイルランドだけでない。世界中の「大英帝国の領土」で同じようなことが起きていた。

このことは、「歴史認識」という問題を後世に残している。

「ブラック&タンズ」がどのようなことを行なったのか、それをいかに解釈しようとも、事実は事実である。しかしその解釈についてはいまだに「論争」がある。

ウィキペディアの記事を読んでみればわかる。

ウィキペディアのBlack_and_Tansの記事には、「中立性に問題あり」の表示がない。けれども次のような記述がある。

The Black and Tans' campaign was little more than state-sponsored terrorism, with very little pretence being made at promoting law and order and great emphasis on crushing Irish separatism, whether violent or peaceful. On the other hand, some British politicians (including Oswald Mosley) and the King made no secret of their horror at the behaviour of Crown forces which made international headlines, damaging British credibility. There is no doubt as to the ferocity of the fighting and that atrocities were committed, and feelings continue to run high regarding their actions. "Black and Tan" or "Tan" remains a pejorative term for Englishmen in Ireland. One of the most famous Irish Republican songs is Dominic Behan's Come Out Ye Black And Tans. The Anglo-Irish War is often referred to by modern Irish republicans as the "Tan War" or "Black-and-Tan War".


この回りくどさ。

例えば、わざわざカッコ書きで"(including Oswald Mosley)"と書いた人がどのような立場の誰であれ、どうしてよりによってオズワルド・モーズレーの名前を出すのか。

オズワルド・モーズレーは英国のファシスト。IRAの「反英主義」は、「反英」つながりで、のちにナチス・ドイツと結びつく。これは歴史的事実であり、解釈の余地などない。その一方で、「ファシズム」「ナチズム」「ナチス・ドイツ」が絶対悪であるとする見地から「ナチスと結んだIRA」がどう語られるか、ないし語られているかは、簡単に想像がつくだろう。

(誤解を避けるために余計なことを書いておくと、私自身はナチスについて肯定的な考え方はまったくしていない。)

それを語られたくない側、その名前を聞きたくもない側。Wikipediaという場で両者が互いの主義主張を言葉にしている。その両者がごっちゃまぜになったものは「集合知」とは程遠い、単に「複数の人間が書いて、ろくに推敲されていない、わかりにくい記述」である。

でもその「わかりにくい記述」から見えてくるものもある。

ちなみに、スラオさんのコメント欄でのアイリッシュ・アメリカンの人たちの書き込みによると、
- Black and Tanは、ビターとスタウトのカクテルの名称として、アメリカのパブではよくある(英国ではHalf and Halfと呼ぶ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Black_and_tan
- (Irish) Car Bombというカクテルもある(ウイスキーとギネス)(<ちょっと興味あるなあ、この組み合わせは。名称じゃなくて)

日本ではBlack and Tanはあんまり見ないけど、ラガーと黒ビール(スタウト)で「ハーフ&ハーフ」はよくありますね。都内のアイリッシュ・パブならアメリカ人が多いからこの「カクテルの名称」は知られていて、カウンターで頼めばさっと作ってくれるかもしれない。私はアイリッシュ・パブでその名前を口にする気にはならないけれども。



「麦の穂」のサイトの「アイルランドについて」のページと、そこからリンクされているアイルランド大使館のサイトで、アイルランドの地図を見比べてほしい。

http://www.muginoho.jp/ireland.html
http://www.irishembassy.jp/ireland/index.html

アイルランド共和国が北6州(北アイルランド)をどう位置付けているか、はっきりわかるだろう。「北アイルランド紛争」において、ユニオニスト(英国残留派)が共和国政府を蛇蝎のごとく嫌ってきたのは、このためである。

※この記事は

2006年11月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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