kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年03月15日

本日のメガリーク: バシャール・アサド夫妻のメール、3,000件

3月15日だ。

1年前の3月15日、まだまだ大きめの余震が続いていた。関東地方はガソリンが供給できない状態が続き、物流がストップしていた。東京は「パニック買い」でスーパーやコンビニの棚が空っぽになり、「節電」に加え「不要な買い溜め・買い占めはやめよう」というキャンペーンが広がりつつあった。私はオンラインで普段の「海外ニュース」チェックと同時並行で、地震に関する翻訳ボランティアをしていた(ハッシュタグ #honyaquake で数多くの言語で「今必要とされる情報」がやり取りされた)。エドワード・ノートンのメッセージに関連して、スティーヴン・セガールに関する考察もおこなわれた。朝、福島第一原発の二号機で爆発。午前11時ごろ、福島第一原発の20キロ圏は避難、30キロ圏は屋内退避。地震発生後次々と福島の浜通りに入っていた国際メディアも福島から撤退。夜10時半ごろ、静岡県東部を震源とする大きな地震

その地震についてのやり取りがひとしきりおさまったあと。




「アラブの春」のハッシュタグ・キャンペーンでこの日予告されていたのは、パレスチナのUnity運動だった(イスラエルによって分断されているヨルダン川西岸地区とガザ地区の間のunityを訴えるデモ)。バーレーンのデモへの弾圧がより深刻になりつつあった。リビアは反カダフィ側が軍事的に劣勢に立たされていた。しかし、「シリア」は突然だった。

思い返せば、レバノン、ヨルダンなどでの改革要求運動(メインではなかったが、わりと大きく報じられていた)と一緒に、「シリアでも」という記述はあったかもしれない。11日の震災発生前には「シリアがどうのこうのという話」があり、不気味であると私はメモっている(その程度の「小さな話」は、震災で意識から飛んでしまった)。しかし、バーレーンの #feb14, リビアの #feb17, アルジェリアの #feb19, モロッコの #feb20 ... と続いた組織的な抗議行動の「カレンダー」の文脈では「シリア」は目にしなかった。だから「えっ」としか反応できなかったのである。

それから1年となる日、ガーディアン見たら「くはーー」としか反応できないじゃないの。



誰も予想していなかった、メガリーク。バシャール・アサドとアスマ・アサドの私的なメール、3,000通。

Exclusive: secret Assad emails lift lid on life of leader's inner circle
http://www.guardian.co.uk/world/2012/mar/14/assad-emails-lift-lid-inner-circle

いわく、この大量のメールをインターセプトしたのは、シリアの反政権側の the Supreme Council of the Revolution (以下、SCRとするが、これが「正式」な略称かどうかは未確認) である。日本語では「最高革命評議会」(日経新聞)、または「革命最高評議会」という表記もあるかもしれない。この日経記事では「自由シリア軍」(FSA, 離反軍人の武装組織)の関連組織として今年2月に設立されたと報じているが、名前自体はもっと前から見ていたと思う(ただし、シリアは「反政府集団」が多いし、名称がこんがらがることも多いだろうし、単に「ニュースのひとつ」としてしか接していない身では、何が何やらわからないというのが正直なところ)。なお、the Supreme Council of the Revolution といえばイラクのSCIRIが真っ先に念頭に浮かぶが、それとは関係はないと考えるのが妥当だろう。

(要するに、「反政権側」といっても、最初に平和的民主化要求デモを行った人たちと同じグループかどうかはわからない、ということが言いたいのだが、文が着地してくれない。)

SCRが傍受した3,000通のメールは、昨年6月から今年2月のもの。これが、ガーディアンの記事の書き方(すごい煽り)のせいもあるんだけど、夫婦そろって「どこのマリー・アントワネットですか」状態のようで、となると、いまだに続いている「アスマ・アサドは悪い子じゃない」っていうPR(「彼女自身はアラブには珍しい開明的な女性で、たまたま結婚相手が独裁政権の二世だっただけだ」という論が、ほんとに今でも――「ホムス」がああなったあとの今年3月5日の段階でもある)は、あれは一体何なのか、と。「アサド政権の盟友たるロシアやイラン」がああいうPRをやっているとは思えない……。

(アスマ・アサドはロンドンで生まれ育ち、英国の大学を出て投資銀行で勤務していた「キャリアウーマン」系の女性。お父さんがロンドンで医師として名高い人だが、ホムス出身。お母さんもホムスの人かも。)

※書きかけ

※この記事は

2012年03月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:10 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼