kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年10月09日

アンナ・ポリトコフスカヤ殺害、9日の記事

Rest in peaceなどと言う気分にはとてもなれないまま、アンナ・ポリトコフスカヤが殺されたというニュースを知ってから36時間ほどが経過した。その間にいくつか記事などを読んだ。公開された防犯カメラの映像に、野球帽をかぶった男が映っているということも知った。モスクワとヘルシンキの個人からはこの暴力に対する抗議の意思表示をする人々の様子が、写真で伝えられている。

以下、詳細。


■記事1:
防犯カメラの映像はオーストラリアのヘラルド・サンのネット版記事に出ているのを見た。
http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,20546091-663,00.html
記事にはこのような一節がある。
Investigators were examining Politkovskaya's body and a Makarov pistol found at the scene, the Moscow prosecutor's office told RIA Novosti. Prosecutors also removed for examination two boxloads of documents from her office at the Novaya Gazeta, as well as her computer hard-drive and diary.


■記事2:
アンナ最後のインタビュー記事「カディロフはチェチェンの大統領にはなれない」(抜粋)
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20061009/1160344184


■記事3:
ノーヴァヤ・ガゼータ:ポリトコフスカヤ特集
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20061009/1160365705
ロシア語→日本語の文書。少し引用:
ノーヴァヤ・ガゼータの読者でさえ、「彼女はもう充分報道してくれたのだから・・・」などと言って彼女を追悼しようとする。もう充分?彼女はいつだって真実を書いてきた。真実はしばしばおぞましいもので、多くの人はそれを認めようとしなかった。だからこそ、自分の後ろめたさを隠すような反応をする。「もう充分」だと。


■記事4:
英ガーディアン、9日付記事、
Putin silent as fiercest critic is murdered
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1890857,00.html
記事の末尾に、最近のポリトコフスカヤの書いたもの(日記か何かのように見えるがよくわからない)が少し掲載されている。以下、状況を把握していない私がやると「誤訳」する可能性が高いが、一応、日本語で。
2006年9月21日
チェチェンでは自問する人がおそろしい勢いでいなくなっている。人々はほとんどが単細胞のアメーバになっている。彼らにとって、殺すことはお茶を飲むことのようなもの。このようなアメーバにとっては、目の前に敵として示される人間を、理解することなど不可能だ。そもそもチェチェンにおいては「理解する」とは何を意味するのか? 理解するとは、その人の生命を消そうとしないということだ。それが寛容の代償。ほかにはない。そして多くの人々が、(叛乱勢力に対する)特別の恩赦のゲームは、(チェチェンの首相であるラムザン・)カディロフの寛容についてのある種の物語であると、今でも思っている。カディロフが戦士たちを救い、国を保持しているということについての。嘘だ。実際には戦士たちはこれからもまだ血を流すことになっている---戦士たちをカディロフの側につけておくために。

2006年9月11日
カディロフ症候群とは何か? その最も大きな特徴は、勇気と男らしさの皮をかぶった大柄さ、粗暴さ、そして残酷さ。チェチェンにおいてはカディロフ派は必要と判断すればいつでも男も女も殴打する。彼らはワハビ(イスラム武装勢力)と同じように敵の首を切る。そして、これがすべて、しかるべき当局によって許可されている。公式に次のように呼ばれていさえするのだ---「親ロシアのチェチェン人たちによる最終的選択の結果として、国への意識を高めるための特効薬」。

2006年9月11日
世界は、制御されぬ核反応を恐れている。私は憎悪を恐れている。制御されず積み重ねられる憎悪を。世界は、イラクや北朝鮮の指導者たちを制御するメカニズムはどうにか思いついたとしても、個人的な復讐がどのように動くかということについては、誰にも予測などできない。そして世界はそれに対しては無防備である。私たちの国では無責任な愚かさが見られるようになった。意図的に、数百という人が憎悪を溜め込んでおくよう強いられている。いわゆる「テロリズム」の罪で投獄されているチェチェン人たちから、私たちは何を望むというのか? これから長い刑期をつとめねばならないひとたちも何百人といる。彼らは憎悪され、同様に投獄されている人たちにも刑務所の管理者たちにも思いつくような「(拷問の)特殊手段」がすべて、彼らで試されている。

このガーディアン記事では、モスクワ中心部に人々が集まって、ポリトコフスカヤに対するこの暴力に怒りを表明している、ということが伝えられている。


■写真:
そのモスクワの様子を伝えてくれているのが、「英国生まれのオーストラリア人でモスクワ在住」のflickrユーザー、mosdaveさんだ。
http://www.flickr.com/photos/mosdave75/archives/date-posted/2006/10/08/
思想信条や主義主張に基づいたものではない、人間としての「抗議」の顔がそこにある。

mosdaveさんのところにコメントを投稿しているヘルシンキ(フィンランド)の jungle/arctic'sさんは、ヘルシンキでのキャンドルナイトの様子を伝えてくれている。1000人を超える人が集まったそうだ。
http://www.flickr.com/photos/junglearctic/tags/politkovskaja/

同じくヘルシンキのteppoさんも、ヘルシンキのキャンドルナイトの様子を伝えている。teppoさんは20代のジャーナリスト。
http://www.flickr.com/photos/teppo/archives/date-taken/2006/10/08/
この写真につけられたコメントによると、フィンランドではポリトコフスカヤの仕事は広く紹介されており、ポリトコフスカヤは何度かフィンランドに行っている。teppoさんがポリトコフスカヤにインタビューすることになっていたときにモスクワ劇場占拠事件が発生し、インタビューの予定はキャンセルとなったそうだ。また、ヘルシンキで集まった人数はモスクワの2倍と報じられているとのこと。

ほか、ヘルシンキからは、
anna MRさん:
http://www.flickr.com/photos/annamr/archives/date-taken/2006/10/08/
kardeさん:
http://www.flickr.com/photos/karde/archives/date-posted/2006/10/08/
villoksさん:
http://www.flickr.com/photos/villoks/sets/72157594319427180/

同じくフィンランドからは、
MarkvGさん@タンペレ:
http://www.flickr.com/photos/markvg/264053776/

フィンランドのどこかわからないけど(私が言語の壁で挫折しているので)、
Pasi68さん:
http://www.flickr.com/photos/pasi68/264156224/
uninenさん:
http://www.flickr.com/photos/uninen/263995341/

flickrのタグ(上がフルネーム、下が名字だけ。異なる綴りも含めて):
http://www.flickr.com/photos/tags/annapolitkovskaja/
http://www.flickr.com/photos/tags/annapolitkovskaya/
http://www.flickr.com/photos/tags/politkovskaja/
http://www.flickr.com/photos/tags/politkovskaya/

flickrにはグループもできている:
Anna Politkovskaya in Memoriam
http://flickr.com/groups/politkovskaya/



2001年9月28日、「世界」が米国の「9-11」(とその後の「アメリカへの愛」のムード)の衝撃のなかにあったときに、北アイルランド、County Armaghでひとりの男が背後から近づいてきた車の窓から放たれた弾丸で殺された。男は妻といっしょに帰宅する途中だった。

男の名前はMartin O'Hagan。ダブリン(アイルランド共和国)に本拠を置くタブロイド、The Sunday Worldの記者だった。記者になる前はナショナリスト/リパブリカンの活動家で投獄歴もある。その人脈が取材に生きた。
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,560304,00.html

このタブロイドはthe Troublesについてはかなり突っ込んだ取材をしていた。取材活動をする中で、オヘイガンは武装勢力からの脅迫を受けるようになった---リパブリカン側からも、ロイヤリスト側からも。

オヘイガンは、1969年に北アイルランド紛争が始まって以来初めて、殺害されたジャーナリストとなった。
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,561061,00.html

Red Hand Defendersからの犯行声明が出され、警察は事件から数日後には、ロイヤリスト武装勢力LVFの犯行であるとの見方を示していた。
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,560928,00.html

2001年9月のこの事件は、いまだに未解決である。
http://new.pressgazette.co.uk/article/270906/nuij_journalist_northern_ireland_killers_newspaper

警察が犯行を行なったのはこの勢力だと具体的に名前を挙げていた組織、LVFは、昨年10月末に武装活動(テロ)停止を宣言し、現在では組織としてはギャング組織として残っているだけだ。もはや政治的目的は持たない。

ただ、上記のPress Gazetteの記事ではLVFではなくUVFの名前が出ているから、警察がLVFと断定したあとに何か新たなことがわかったのかもしれない。(LVFはUVFからの分派組織で、LVFはRed Hand Defendersを名乗り、UVFはRed Hand Commandoを名乗るなどしていたようだが、正直、ここ、ややこしすぎてよくわからんのです。RHD = RHCという説明もあり、実はUDAだという説明もあり。。。LVFとUVFとUDAは殺し合いをするほどの仲でしたが。)

マーティン・オヘイガン殺害については:
http://media.gn.apc.org/ohagan1.html

北アイルランド紛争で取材活動ゆえに殺されたジャーナリストは、オヘイガン1人に終わった。しかしジャーナリスト以外の職業で、おそらくは「知っている」ことが原因で殺された人たちは多く、中でも法律家が---新聞ではなく法廷で何かを明るみに出すことのできる人たちが---殺されることもあった。最も知られているパット・フィヌケン殺害事件では、実行犯は逮捕・起訴され服役したが、次のようなことになっている。
この事件の焦点は、政府のエージェントが犯行にどこまで関わっているのかということだが、Inquiries Act 2005では、エージェントの行動について独立調査委員会などで政府に対して開示を要求しても、政府が非開示とすれば非開示でOKということになるから、そもそも「法」と「正義」が一致していない。(the Times, 24 May 2006などを参照。)

http://nofrills.seesaa.net/article/21688320.html

「あたくし、民主主義でございますのよ」という顔をした英国でも、都合が悪くなると法律の運用とか、あるいは法律の改定、新法の整備などのことを行なって切り抜ける。フォーサイスの『戦争の犬たち』にもそういう一節があったはずだ。(ちなみに『戦争の犬たち』の主人公、キャット・シャノンは北アイルランド出身のアングロ・アイリッシュである。)(<詳細は本を参照。)



ポリトコフスカヤの殺害(私も「暗殺」と書くべきか?)についてのブログの記事を見ていると、「ロシアでは多くのジャーナリストが殺されている」という記述が多い(その多くは、具体的な数字も示している)。

しかしながら、言うまでもないことだが「取材活動ゆえにジャーナリストが殺される」ということはロシアに特有なことではない。これは「ロシアだから」起きたことではない。(件数が非常に多いことや、事件の多くが未解決かあるいは雇われのヒットマンだけを逮捕・起訴して解決とされるかであるということは、ロシアでなければ話が違ってくるかもしれないが。)

ジャーナリストの生命が脅かされる、または奪われるということについて、またその他の脅迫的なことについて、日本語で記事をいくつか探して読んでみた。

ジャーナリスト被害の多発国発表される(2005/05/06)
http://www.janjan.jp/world/0505/0505066684/1.php
 ニューヨークに拠点を置くメディア監視団体「ジャーナリスト保護委員会(CPJ)」は月曜日(5月2日)、ジャーナリストにとって最も命を失う危険性が高い国々として、フィリピン、イラク、コロンビア、バングラデシュ、ロシアを挙げた。

 CPJは……調査研究(2000年1月から5年間に亘って実施)を結論付けて、「勤務中に死亡したジャーナリスト達の大半(190人中121人)は、銃撃戦や危険な取材活動の最中に命を落としたのではなく、むしろ取材内容に対する報復として追詰められ殺害されている」と語った。

 また、同研究調査報告書は「これらジャーナリスト殺害事件の85%以上のケースで殺害犯は逮捕されていない」と付け加えている。

CPJのドキュメントは
http://www.cpj.org/enemies/worst_places_04/worst_places_04.html

相次ぐジャーナリストの死(メールマガジンPUBLICITY、No.1053、2004/11/17から)
http://takeyama.jugem.cc/?eid=85
▼本誌1048号で「ロシア・相次ぐジャーナリストの殺害」
(制作は仏・独)という番組のお知らせを投稿紹介したが(N
HKのBS1、11月9日放映)、感想をいただいた。

……

ロシアではジャーナリストはいのちの危険が伴う職業です。直接的に殺される、暴行を受ける、刑務所に入れられるというところまでいかなくても、ある領域に踏み込んだ記事を書くと、家賃が急に高くなる!とか、会社が立ち退かされるといった間接的妨害を受け、沈黙させられます。ポリトコフスカヤさんのいるガゼータ紙は、政府が鉄道による新聞輸送の規制を始めたため、地方での販売が苦しくなっています。

「ガゼータ紙を読むまでチェチェンで何が起きているか知らなかったよ」と話していた男性は、以来ガゼータ紙とモスクワ・ニュースしか読まないと言っていました。……


……

▼ブリュッセルに本部がある「国際ジャーナリスト連盟」(IFJ)によると、取材中に殺害されたジャーナリストとメディアスタッフの数が、今年に入って100人を超えたそうだ。02年は70年、03年は92人。今年は現在101人(各種報道から)。

同連盟が1988年に年次報告の発表を始めて以来、1994年の115人が最悪の記録。ルワンダ虐殺のあった年だ。

今年は、フィリピン南部の島やニカラグア、コートジボワールなどで殺されているが、なんといってもイラクである。2003年3月の開戦以来、イラクで殺された報道関係者は62人。そのなかで今年殺された数は42人。

……

※この記事は

2006年10月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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