kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年05月04日

『ナイロビの蜂』(小説)/V for Vendettaのガイ・フォークス

映画『ナイロビの蜂』のロードショーがそろそろ始まる。
http://www.nairobi.jp/

映画の原作はジョン・ル・カレの小説。日本では集英社文庫で出ている。(下の表紙画像は映画化前のもの。現在書店に並んでいるものは映画の写真が使われています。)
ナイロビの蜂 上巻 ナイロビの蜂 下巻

英語での原題はThe Constant Gardenerという。このConstant Gardenerというのは、主人公である在ナイロビ英国大使館勤務の地味な外交官ジャスティン・クエイルの人物像。
the constant gardener
(表紙が「映画化されました」仕様だが。)

英国に詳しい人なら、原書(英語)で読んだ方がいいかもしれない。この作品での「英国人」や「英国」の淡々としていて同時に執拗なまでの(読むのがかったるいくらいの)描写は、多分英語で読むととても濃密な類の描写だ。それに安いし。(文庫本上巻の値段で原書なら全部読める。)

私は映画はまだ見ていないが、小説はしばらく前に読んだ。

物語の舞台はケニア(および英国、イタリア、ドイツなど)。ナイロビの英国大使館勤めのジャスティン・クエイルの妻テッサが惨殺死体で見つかった、という知らせが、クエイルの同僚のもとにもたらされるシーンで始まる。葬儀を終えたクエイルはケニアでの勤めを辞し、テッサの行動の跡をたどる。そして浮かび上がった真相は……というストーリーだが、最後の1章の真ん中あたりで、その「真相」ですらどうでもよくなってくるような「英国っぷり」が、数行で描かれる。

いや、その「真相」は重いのだが、最後に「(ちょっと変則的な)後日談」のような形で出てくる「英国っぷり」はその「真相」をもぶっ飛ばす。読後感は最悪。いくらル・カレでも、これはありえない読後感じゃないか。(英国が「たくさんある国の1つ」という人にはここまで読後感悪くないと思う。普通に、ル・カレらしく読後感がよくないという程度で。)

特に日々英国のニュースを読むなどしていると、読むものが何も信用できなくなるという感じで、読後感最悪。映画を見るのは、もうちょっと落ち着かせてからにしたいような気がしている。

※さらにタイミングの悪いことに、この小説を読んでいるときにリアルタイムで起きていたのが、「イラク戦争は違法と言って軍を去ったSAS隊員、イラク戦争は違法と言って軍事法廷にかけられた軍医」のニュースやら、「英国の諜報機関にスカウトされ20年もスパイとしてシン・フェインの上層部で活動していた男が射殺」のニュースやら。特に後者に関しては、初期報道での情報操作(「どうせIRAの処刑でしょ」と思わせる方向)とその後の情報の錯綜具合、さらにはIRAというかシン・フェイン側からの(プロパガンダ的)意見や態度、と、頭が食あたりを起こすほどだった。

私としてはこういう印象を受けた小説なのだが(つまり、表のストーリーよりむしろ、実は「英国」を描いた作品という印象)、メインのストーリー、つまり惨殺されたテッサ・クエイルが追っていたこととは、「欧米拠点の“人道的”な企業やNGOがアフリカで/に、どのようなことをしているのか」である。

もちろんフィクションで、ル・カレ自身もこの小説がフィクションであることをあとがきではっきり示している。が、全体が事実無根というわけではない。あとがきには「現実を知れば、この小説とておとぎ話に過ぎない」とある。

もう1点。

この小説で「個人の名前」を与えられているケニア人は数少ない(ケニアがメインの舞台の小説なのだから、おそらく実際には無数に登場している。でも名前と人格を与えられているのはほんの数人だ。だから小説という形では存在しないか、あるいは存在しても極めて薄く、想像力を働かせなければ、その姿さえほとんど見えない)。その中のひとりにある女性がいる。

彼女の死は物語のキーのひとつなのだが(というか、テッサ・クエイルの行動、もしくは活動の動機のひとつ)、彼女の名前は西側の資料からは消されている。そして、最後の1章を読んだとき、彼女の名前が消されていたことの意味を、小説を超えて考えたくなる。

そのことが何となく頭の中に置きっ放しになった状態で、「どこそこで自動車爆弾、死者○人」とかいうだけのニュースを読むのは、案外きつい。(『ナイロビの蜂』を読んでから、それがきつく感じられるようになったわけではないにせよ。)

町山智浩さんのブログから:
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060501
映画『Vフォー・ヴェンデッタ』のヒロイン、ナタリー・ポートマンにインタビューした時、彼女はこう言った。
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「ニュースや新聞で『死者二名』と読んでも、みんな『そういうものか』と思うだけです。その死者数が二百人に増えても、二十万人になっても、二百万人になっても、自分とかかわりがなければ、人は『そういうものか』と思うだけです。そういう数字にもマヒして、何も感じなくなります。でも、その二百とか二百万という数はただの数字ではありません。ひとつひとつが私たちみんなと同じように、それぞれの人生を生き、人を愛し、愛されていた人たちなんです。映画や物語の使命は、ひとつひとつの数字に想像力で血肉を与えて、ひとつひとつの人生として感じられるようにすることです。私はそうしていきたいと思っています」 


V for Vendettaも見に行くことにはしている。
http://wwws.warnerbros.co.jp/vforvendetta/

V for Vendettaのアナキストの「V」は、17世紀初頭の謀反人、今流に言えば「カトリックのテロリスト」であるガイ・フォークスをモデルにしている。

ウォシャウスキー作品だし、基本、エンタメだと思ってはいるけど、『V・フォー・ヴェンデッタ』は、自分としては、映画を見る前にガイ・フォークスについてもうちょっと予備知識を入れておきたい――せめて平均的英国人、というかイングランド人がイメージできる程度、また学校の社会科の授業で習う程度には。(イングランドにおけるガイ・フォークスは、日本で言えば「織田信長」とか「徳川家康」といった人物と同じくらいに、「誰でもある程度のことは知っている歴史上の人物」である。)

http://en.wikipedia.org/wiki/Guy_Fawkes
He (=Edward Fawkes, Guy's father) is believed to have been strongly Protestant, and it is certain that Fawkes did not get his Catholic leanings from his father. Fawkes converted to Catholicism around the age of 16, according to his admission of recusancy at his preliminary interrogation following his capture.


何か「親戚の結婚式のためにパキスタンに行ってから過激な思想にはまったパキスタン系英国人」とか、「ロンドニスタン(=ロンドン)でラディカル・イスラムに触れて感化された、虚言癖のある男」とかいう“図式”と重なって見えるのは、多分私の気のせいだ。

昨年2005年は、ガイ・フォークスのガンパウダー・プロットから400周年ということで、いろいろな記事が出ていた。


中でも印象に残っているのは
The flames of hate
Justin Champion
Friday November 4, 2005
http://www.guardian.co.uk/britain/article/0,,1627543,00.html
Guy Fawkes' night is a celebration of torture and execution. It might also be remembered that Roman Catholic communities, both in Ireland and the mainland, have borne the brunt of paramilitary and judicial punishment. By placing the memory of such atrocity at the forefront of our mind's eye, it may be possible to recognise that Fawkes' end is a strange act to remember. In our pluralist age we are encouraged to exercise tolerance to other faiths; there are, however, moments when the bare bones of earlier ages puncture the fabric of modernity.


これよりももっと読み応えのある(つまり当事者意識でゴリゴリの)ものを、アイルランドのメディアで読んだ。

BBCは「もしもガイ・フォークスの計画が成功していたら」という記事を出していた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/4398844.stm

「ガイ・フォークス・ナイト」が、風物詩的に描かれていた映画(とても好きな映画のひとつです):
Wonderland

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どうでもいいんだけどジョン・ル・カレの『ナイロビの蜂』を買ったときのこと:

書店で探したときに「ル・カレだからハヤカワ文庫だろう」と決め込んでいてなかなか見つけられず、店員さんに「集英社文庫」である旨教えてもらい、今度は集英社の棚で「ジョン・ル・カレ」の文字列を求めて棚を高速スキャンしたのだが、見つからない。結局は店員さんを引っ張り出して見つけてもらったのだが、「ル・カレ」の文字列が見つからなかったのも道理、本には前年の夏の出版社のフェアのオビがかけられていて、棚にさした状態では著者名が見えないようになっていたのだった。orz... 最初から本の一部としてデザインされたオビならこういうことにはならないのだが。

※この記事は

2006年05月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼