kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年11月20日

「科学的精神は尤も日本的現実を、いきなり日本文化や日本人精神として掴みはしない。」

科学的精神は尤も日本的現実を、いきなり日本文化日本人精神として掴みはしない。日本の現実は根本的にはそういうもので動いているのではないからだ。日本的現実は正に、日本の社会機構・生産機構を通して政治的に動いているのだ。分析をここから始めない限り、日本的現実の把握は歴史的でもなく又技術的でもない、つまり科学的でないのだ、ということを銘記すべきである。というのは、そうしないと、一切の日本論議が、恰も今日見るように、論理的にもならぬし、実践的にもならぬ、というのであり、筋も通らなければ物の役にも立たぬ、というのだ。
 さて之が科学的精神の要求する処である。之によって日本的現実のもつ日本固有の独特な特色も初めて正確に検出出来る。


――戸坂潤,『科学的精神とは何か――日本文化論に及ぶ――』


いつ書かれたものなのかなあ。戸坂潤という人は1945年に没しているのでそれ以前であることだけは間違いない。

戸坂潤という人を知ったのは今年のこと。著作権の切れた文章をピックアップする作業をしていて,図書館で「日本の名著」みたいなのを端から順番に見ていたのだが,「どーせ思想関連はみんな『古く』なっちゃってるし」と先入観を抱いていたのが覆されてしまった。内容の話ではなく,言葉づかいが。

言葉づかいというものは,書き言葉においては,思考の枠組みに規定されるものなのだけど。

何か不思議。
タグ:日本

※この記事は

2003年11月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼