kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年01月14日

デリー、倒壊の危険性のある元シャツ工場は取り壊しへ(付:北アイルランドの建築物の「文化財」指定)

12日に一部(内部)が崩落したデリーの元「ハミルトン・シャツ工場」の建物は、取り壊しがほぼ決まったようだ。

DOE approve shirt factory demolition
Friday, 13 January 2012
http://www.u.tv/News/DOE-approve-shirt-factory-demolition/33890ba0-18b1-4858-8742-8a55a2c1e352

Factory had to close
Friday 13 January 2012
http://www.derryjournal.com/news/local/factory_had_to_close_1_3414683

三信ビルのようにランドマークであり、しかも文化的に価値が高いと見なされる建築物であっても、取り壊されるのが当たり前の東京(九段下ビルもついに……だし)の感覚では、街中と呼べる地域であんなに廃墟化するまであの大きさの建物が放置され、取り壊されていないのは不思議かもしれないが、、非常に大雑把にいうと景観はなるべく後世に受け継いでいくのが当然というのが(少なくとも20世紀以降の)英国の思想で(ここで「英国の」と書かざるを得ない自分の知識のなさに愕然とする……アイルランドについてはそういう面を全然知らない)、そのように制度もつくられている。

そうして作られた制度がListed buildings (建築物の「登録・指定」) だ。この制度そのものについては、以前イングランド&ウェールズの事例について書いたときに参照先をリンクなどしてある。下記2件参照。

2008年09月04日 ロンドンで文化財登録されている「ライヴハウス」
http://nofrills.seesaa.net/article/106029286.html

2011年12月21日 バタシー発電所再開発計画がまた頓挫。
http://nofrills.seesaa.net/article/241823771.html

北アイルランド(とスコットランド)は、イングランド&ウェールズとは別の基準を有しているが、基本的には同じ制度である。NIの「登録」については下記。
http://en.wikipedia.org/wiki/Listed_building#Northern_Ireland

で、件のかつてシャツ工場だった建物だが、これらの登録物件のリストには見当たらない。それでも、冒頭にリンクしたUTVの記事が配信されたときのTwitter上での文言を見るに、いわば「勝手に」取り壊すことはできず、(自治政府の)DoEの許可が必要だそうだ。

それはなぜかと記事を見てみると……

It is one of the city's oldest buildings, but there have been health and safety concerns after three internal floors of the premises collapsed at the weekend - prompting nearby roads to be closed to traffic.

Environment Minister Alex Attwood said he has "no real choice" but to demolish it.

He said: "No-one likes to see an old building, especially one which was part of the fabric and rich heritage of Derry go - but we have no real choice here.

"While I recognise that this is a building in a conservation area, the safety of the public and the ability of the public to go about their business is paramount.

"I therefore endorse this decision on health and safety grounds. ...

環境大臣の説明にあるように、「保全区域」に属しているということで調べてみると……
http://www.planningni.gov.uk/index/policy/dev_plans/devplans_az/derry_2011/derry_benvironment/derry_benv_policies/derry_benv_policies2.htm

ここにある "Map BE 1: Conservation Area" を見てみるが、このマップのいう「保全区域」(赤い枠)は城壁内とそれを取り巻くエリアで、例の元工場があるフォイル河畔は入っていない。

John Streetの北側というか西側は「考古学的重要性がある可能性のあるエリア」(紫の細い線)の指定にかかっているが、元工場のある南側というか東側は外れている。道路一本隔てているだけだが。(ロンドンだったら、その条件なら遠慮なく取り壊しているはず。以前、80年代の再開発について調べたときにそういう事例があった。)

地図の版が違う(指定が改められた)可能性もあるが、DoEが大元なのでこれ以上は調べることができず、よくわからない。

まあ、"It is one of the city's oldest buildings" という時点で「?」だし(建築様式から見て19世紀のような……デリーの基準ではさほど「古く」ないはず)、おそらくは単に「誰もが知っているランドマークを取り壊さなければならないという苦渋の選択」について語る言葉であって、書類的な言葉ではなのだろう。

で、この記事でようやくわかったのだが(昨日の記事では単に「過去形」だけで、時期が書かれていなかったので……英語の報道記事ではよくあること)、この建物の内部が崩落したとDoEに連絡が行ったのは例の「謎の爆発」の後ではなく前、それも何日も前の今月6日のことだったそうだ。
The DOE was advised on 6 January that an internal wall had collapsed, causing the factory to become destabilised.


その後、建物が持ちこたえられるかどうかわからない(全面的に倒壊し、通行車両や通行人を巻き込む危険性がある)ということで、昨日のアラートと通行止めになったそうだ。



Flickr見てみた。

フォイル川のほうからの1枚(いい写真):
http://www.flickr.com/photos/shelfman/4297865962/

反対側、John Streetから見たところ:
http://www.flickr.com/photos/allengleave/2300250317/

フォイル川方面から。際立つのはTo Let / For Saleの看板 (^^;):
http://www.flickr.com/photos/46023135@N06/4603136247/

そもそもあんな「一等地」のようなところであの大きさの建物が誰も入居せずああなっていたのは、「紛争」と無関係とは思えない。放置されていたこの何十年かの間に、あの土地に工場や倉庫を構えようという人がいれば、きっと廃墟化はしていなかっただろう。

このシャツ工場のHamilton and Sonsについて検索してみたが、何もわからなかった。北アイルランドはかつてリネン産業が栄えていたので、そのころの工場だとは用意に推測できるが。

検索したときにこんなの出てきた。ちょっとおもしろい。
http://www.libraryireland.com/UlsterDirectory1910/Londonderry.php

※この記事は

2012年01月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼