kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2005年04月25日

私たちの身の回りにあふれているそれはEngrishである。

現状、私はシニフィアンとシニフィエの狭間でもがき苦しんでいる。だからどうしたというわけではない。というわけで、唐突だがengrish.comだ。

"Engrish"というのは、"English"の変種である。主に東アジアで多く目撃されている。日本も多発地帯のひとつである。というか、engrish.comでは、Engrishのことを、「日本の広告やプロダクト・デザインにおいて見られるおもしろい英語の間違い(the humorous English mistakes that appear in Japanese advertising and product design)」と定義している。

Engrishとは、字面の通り、そもそも「L」と「R」の区別をしない/区別ができないことから発しているのだと思うが(→参考資料としてMonty Python:LとRをすべて逆転させてある)、engrish.comではそれに象徴される、「おもしろい英語の間違い」全般を、"Engrish"である、と定義している。

というわけで……

WE PRODUCE IT FOR WHOLE HUMAN BEINGSなる壮大な文言の印刷されたタグのついた、100均ショップの商品(ウレタンフォームを使った袋)や、各種まったく意味不明の擬似英語、すなわちEngrishの印刷された文房具、および看板など、ただのスペルミス(this is wollying learry... i mean, worrying really)から、なぜそのようなことをいちいち書かねばならないのか理解できない上に変な英語になっているものまで、多様なEngrishが、frickl... flickrにも集積されているのである。すなわち、Engrish groupである。

その魅力に抗うことができず、ネイティヴ・日本語・スピーカーにして、自身も多少のEngrishを生産している身でありながら生意気にも、私もそのグループに参加することにしてみた。

だっておもしろいんだもん。

何がおもしろいのか。

まずひとつには、「言われてみればそれはどう表すのだろう」ということを考えることがおもしろい。例えば、「人生の中で、最も大切な時間を過ごせる場所」は、英語で何と表せばいいのか。(少なくとも、こんなふうに「直訳」したらコロケーションが無茶苦茶ってことはわかるけれど、じゃあ自分で書けと言われたらどうするのか、ということ。)

そして、それよりも大きなおもしろさとして、「言語/ことば」というものを考えること。すなわち、あれらは「言語/ことば」であるのか否か。

Engrishのことを考えはじめると、何も意味しない言語は果たして「言語」なのかどうか、という壮大にしてかつ曖昧模糊、カオティックでファジーな問題にぶち当たる。

「言語/ことば」とは何か――「思想・感情・意志などを互いに伝達し合うための社会的に一定した組織をもつ、音声による記号とその体系。また、それによって伝達し合う行為。」はたまた「意味。理性。ロゴス。」(<極めて西洋的なものを敢えて持ってきた。)

果たしてあれらは「言語/ことば」であるのか。あれらは「思想・感情・意志など」を「伝達」しているのか。「意味」があるのか。

ああいうものがなぜ存在しているかというと――just in my opinion, and I mean no offence――「何となくかっこいいから」であって、何かを伝えることを目的としているわけではない。メッセージはない。つまり空洞。

「英語なら何となくサマになるから」という程度で付け加えられている「メッセージ不在のことば」。

そんなもの、最初から書かなければいいのにと思う一方で、私はネイティヴ・ジャパニーズだから、ああいうものをくっつけたくなる気持ちはわからなくもない。

ただ単に、「日本語で書くわけにはいかない」から、英語。(それがフランス語でもアラビア語でもないのはなぜだろう?)

英語の文字列を並べておけば、「何かそれっぽく」見えるから、という理由。

いやね、原則として、日本語で書いてかっこ悪いことなら、英語で書いてもかっこ悪いよ。少なくとも、内容的には。

内容がないからこそ、ああいう文字列があちこちに印刷されるのであって、ということだから、こうなると何をどうすればどこがどうなるのかもわからなくなるのだけど。カオティック。

しかしね、かっこよくしたいのなら、文法・語法としてマトモな英語を使うことはもちろんのこと、その上で、頭韻を踏ませるとか、クリシェをもじるとか、そういうことは必要じゃないか、みたいなことは考えるわけです。それが「英語」であることを意図するのであれば。

ただ、そういう案出すと、「わかりにくいから」という理由で却下されることとかもあるんだよね。難しい単語を使ってなくても。

そもそもメッセージを持たない、装飾あるいはアイ・キャッチが目的の文字列で、「わかりにくい」ことは、そんなに否定的なことだろうか。

っつかそこにそれらを印刷することによって、結局のところ、何をやりたいんだ、という。

いやね、真面目な話、「英語ペラペラ」の“神話”とか、「ネイティヴみたいに」の“信仰”とか、まあ、いろいろ直面しているわけですよ。その一方で、中途半端な、あってもなくても本質的には何も変わらない何かが生み出されていくことを、黙って見ているしかない。

「言語」ってのは、「表現」のためのツール(<乱暴な言い方)であって、飾りじゃないのよ。

と言いつつ、別に怒っているわけではなく、ニヤニヤしつつ、Engrishを見つめているのです。

■関連書籍:
『英語キャッチコピーのおもしろさ』
この本、非常におもしろいです。1970年代くらいの、英国の広告文を素材として、そのツボを説明。

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転記前コメント:

nat
お久しぶりです。

このengrishのページは以前からちょこちょこ見てましたが、ある意味複雑な気持ちで見ていました。

英語(というかローマ字でしょうか。その中でも英語が一番親しみやすいからか)をアクセサリー、デザインとして使うことの意味はロケさん同様わからなくはないのですが、間違ったままそのまま使うのはなぜだろうといつも思っていました。
ちょっと周りを見渡せば、英語を解する、もしくは文法を正してくれそうな人はお金を払わなくてもごろごろしてそうなもんですが(といっても、企業ならばお金払ってでも正して欲しいものですが)

通達の手段としての言語というのはわからないでもないのですが、最近漢字や日本語をデザインとしたグッズが氾濫するヨーロッパ(イギリスのみならずフランスでもこの傾向ありと聞きました)をみていると、逆もありき、と気づきました。
みていると本当に意味のない漢字、はては存在しない漢字や、反転していたり、横向きだったり、それこそチェックしないのかー?と思ったもんでした。それを思うと、日本のちょっと意味の通じない英語なんてまだましかと思うくらい。

今ちょっと思ったのですが、日本って、書道を飾ったりして文字自体の美しさを楽しむ文化があったからかなあーなんて考えてもみたのですが。叢書なんて、はっきりいって読めたもんじゃないですが、見た目の美しさから言ったら確かに美ですよね。

デザインってそういうものかなあと思ったり。でも文章にするなら基本は押さえて欲しいと思ってしまう私(英語でも漢字でも)。なまじ読めるときになるんですよね。
投稿者: ゲスト at 2005 年 04 月 26 日 00:22:47


nat
連続すみません。

またふといろいろ読んでるうちに思ったのは、デザイン要素が強いものはともかく、マニュアルや説明書きが日本語と並んで英語で書いてあるときがありますが、そこに書いてある英語が時々わけがわからないことがあって、こっちの方がより強く、「どうなってんだーー?」って気になりますね。
例えば、注意書きに「口に入れないでください」とか英語向けに書いてある場合、その英語が中学生なみだったりするとぐったりしますね。
わかればまだしも時々わからないですから(笑)。それは企業としてしっかりしてよ、と思ってしまいます。
投稿者: ゲスト at 2005 年 04 月 26 日 00:30:59


natさん、ご無沙汰してます。

日本以外で見られる「奇妙な日本語」については、実は別に書いている最中だったりします。ちょっとだけですが。

これを書いた裏には、私がネット上に書いていないいくつかのことがあるのですが、engrish.comやflickrのengrish groupに関しては、まーとにかく、テレビのCMで「ネイティブみたいに英語を話す」と言ってる一方で、かばんやノートにはEngrishが印刷されているという場合、それを目の前にしたネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーであり、さらになおかつ英語教員である人は、どんなに(@_@)だろう、とか想像すると、可笑しくて仕方がないのです。

ともあれ、natさんがおっしゃっていることは、大きく、「文字」のことと「言語(メッセージを含むもの)」のことに二分されると思います。

「文字」については、そうですね……書道を楽しむ(<「楽しむ」の定義がちょっと問題になりますが、流させてください)のは、東アジアの漢字文化圏だけに限らないのですが(例えばアラビア語の書道は、宗教的なものであると同時に、“芸術”でもあるといったように)、西洋のキリスト教文化圏における「文字」と東洋の「文字」との最大の違いは、西洋の書道(カリグラフィー)が、日本などでのそれと比べて、格段に「特別なもの」であることだろうと思います。

一方で、西洋では、たとえばフォントの使い方に細かいルールがあります。したがって、「西洋は文字について無頓着である」とは言えません。(flickrには、「フォント」についてのグループもあるのですが、それはまた別の話。)

漢字(をはじめとする日本語の文字)とアルファベットで考えていると、どちらもわかる文字であるがゆえにわけわからなくなるかもしれませんが、仮に「アラビア語の文字がオシャレ」とか「タイ語の文字がかっこいい」として、ただ単に視覚効果をのみ狙って取り入れられた場合、その文字の本来あるべき形を知らずにグラフィック・デザインの一要素として誰かが扱った場合には、やはり「反転」とか「さかさま」とかいう現象が起きるのではないか、とちょびっと思います。

次に「言語」としての面ですが(コメントの2番目)、例えば、「そのまま機械的に語単位で置き換えている」ことがあるのではないかと思います。つまりは機械翻訳ということなのですが、ソーシャル・コンテクストを無視した/考慮に入れない「翻訳」になっているのではないか、と。

校正・校閲といった過程を組み込めば解決されるであろう問題もいろいろあると思います。そういうコストがかけられていない「翻訳された言語」があちこちにあることは、非常に遺憾です。(<笑って。)

かつて東京で放送されていた深夜番組で、「海外の変な日本語」を集めたコーナーがありました。そこで、日本語話者の観光客も多く訪れる米国の超有名テーマパークのメニューの例が紹介されていました。例えばHam Sandwich→「無線技術者のサンドイッチ」とかいう感じ。毎週笑いすぎで頭が痛くなってくるコーナーでした。

なお、このテーマパークのレストランのメニューについては、観光客のひとりが指摘してすぐに修正されたのだそうです。が、これは明らかに、ネイティヴ日本語スピーカーの目を一切通していなかったのだと思われます。(おそらくは機械翻訳だろう。)(あ、この話、多分10年くらい前です。念のため。)

「変な日本語」については、Googleで検索すると、アジア圏を中心に、たくさんのサイトがヒットします。例えばこちらさんとか。。。

こういった「日本語?」について私が好きなのは、私が普段「文字」としてしか意識していないものが、「かたち」としてどう見えるのかを考えさせてくれる点です。

先日も知人とちょっと話したんですが、カタカナの「ン」と「ソ」の区別(特に手書き文字の場合、あるいは一瞬しか見ない看板でなおかつゴシック体の場合)はどうしてつけられるんだろう、とか、自分でもこれは習って身につけたはずなのに、実は不思議です。(自分は子どものときに書道をやっていたので、明朝体でどう区別をつけるのかは、この文字の区別の仕方を知らない人に説明できるくらいにわかっているのですが、ゴシック体になると、説明はできないです。)
投稿者: nofrills at 2005 年 04 月 26 日 02:02:39


参考(「言語」とはなにか)
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/Saussure.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/arch-text/saussure.htm

もっとほかにもあるかもしれませんがとりあえず。
投稿者: nofrills at 2005 年 04 月 26 日 10:46:45
タグ:Engrish 英語

※この記事は

2005年04月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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