kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年06月03日

Penny for Guy, but not 1,800 yen for this film (V for Vendetta)

※RSSでご覧の方、すみません。のっけっからネタバレです。(ブログでは、伏せるべきところは背景色と同色にしてあります。)

つい先日やっと、V for Vendettaを見てきたんですが、はっはっは。乾いた笑いしか出んわ。展開がダルいとか途中で飽きるとかは個人の好みだから言わないけど(<言ってるって)、何で最後が「ピープルパワーはいつでも本物です」+「彼はお星さまになりました」的ゆるゆるなハッピーエンドになるかね。はっはっは。

全体主義社会のアウトローは宅配便で全国民に一気に荷物を発送できるのか。はっはっは。全体主義社会のアウトローはIRAより多い量の肥料爆弾を作って保管しておけるんだから、よほど立派な庭と納屋を持ったコンスタント・ガーデナーなんだろう。のわりに庭のシークエンスはなかったが。はっはっは。ホワイトホールからパーラメント・スクエアにかけて大群集が集まっているのに、さすがは復讐の鬼にハートをゲットされ、現実には求め得ない父親を求めてしまった反体制娘、群集の犠牲などまったく考えないで議事堂爆破(200メートル以内に何人いたよ)。はっはっは。

つーか、何で2005年になってから(<当初公開予定は2005年夏)、80年代的類型ディストピア with ヒトラー的類型独裁者を、新作として見なければならんのかね。現実はもっと先に行ってるというのに。

▼以下はネタバレしそうでも、文字色を変えるなどの加工はしていません。ご注意ください。

おそらく映画制作者(アメリカ人たち)は、現在のアメリカについて言いたいことがあってあの映画を作ったんだろう。でも残念ながら、あんなわかりやすい「抑圧的政治指導者」像は、もはや牧歌的な何かにしか見えないんだよね。2005年の新作なら、ああいうのを『サウンド・オブ・ミュージック』みたいなのどかなものとして見せろよ。マジでやるんじゃなくて。(例えばデレク・ジャーマンは90年にはすでにそういうのをやりこなしているし、もっと古いところではパゾリーニの遺作、あれを見ればV for Vendettaに描かれる「権力」など、砂場のままごと遊びである。)

というか、サトラー議長が国民に見せているはずの「慈愛に満ちた父親」「頼れるリーダー」の顔を、一瞬でいいから、はっきりと、描くべきではなかったかね。そんなのは観客が想像すべき(サダム・フセインだって「お父様」的自己演出してたんだから)とでも? そういうところを観客に投げてたら、表現にならんだろう。

現実は、こんな浅くてヌルい映画がきれいに盛り付けて出してくれる『全体主義』像より、もっとおそろしい。

全世界に対し、you are with us, or you are with terroristsと迫り、爆弾を落としまくっているのは、「慈愛に満ちた私たちのお父様」ですらない。字が読めなかったり、自転車でこけたりする、「一緒に酒を飲んだらけっこう楽しそう」な中年男だ。

んで、そいつの参謀がまたどうしようもなくオチャメだ。別の参謀もクソがつくほどインテリで何でもできるわりには、なかなかオチャメだ。(softly-softly than heavy-handed.)

さらに参謀たちの部下もオチャメさんで、一部のオチャメさんたちはどうやら数もまともに数えられないらしい……例えば大規模な災害で「数百人が犠牲に」というときに、それが400人なのか500人なのか、あるいは604人なのか611人なのかがなかなか確定できないというなら、無理もないな、と思う。

しかし、てめぇらがinvadeした国で、invasionと「戦争」が終わったずっとずっとあとになって、てめぇらが狙って落とした爆弾で死んだのが「4人」か「11人」か、はたまた「9人」かってこともはっきりとはわからないってのは、また、いつの間にか「15人」が「24人」になったりし、「武装勢力」だったはずの男が実はふつーの人だったり子供だったりってのは、あれか、nobody expects ...ってやつか?

Our chief weapon is surprise...surprise and fear...fear and surprise.... Our two weapons are fear and surprise...and ruthless efficiency.... Our *three* weapons are fear, surprise, and ruthless efficiency...and an almost fanatical devotion to the Pope.... Our *four*...no... *Amongst* our weapons.... Amongst our weaponry...are such elements as fear, surprise.... [source]


げはははは。(悪魔めいた笑い。)

好むと好まざるとにかかわらず、うちらはそういう現実を生きてる。

そこにサトラー議長のような「独裁者」はいない。あのような極端な類型は、人の想像力を奪うばかりである。ましてやあの映画のラークヒルの場面が示唆するナチスの大犯罪の記憶が共有されている社会では、あのような描き方は、まったくプラスにならない。

ジョージ・W・ブッシュのyou are with us, or you are with terroristsは、2度にわたって民主的に選ばれた指導者による、The Spanish Inquisitionだ。言語処理能力が不自由なところまでモンティ・パイソンに似てらぁ。

……というわけで、予期せずして、「英国におけるカトリックに対するパロディ」を出しちゃったけど、映画のことに戻ると、一番腹立たしいのは、「V」が「カトリックの反逆者」たるガイ・フォークスである必然性が、ヴィジュアル(仮面)と議事堂爆破以外には、カケラもない、ってことだ。あれなら「反逆者」なら誰だっていいじゃん。ロビン・フッドでもいいし、ワット・タイラーでもいい。19世紀のチャーチスト運動の指導者でも問題ないくらいだ。いっそオスカー・ワイルドってどうよ?(あ、それはスティーヴン・フライ=ゴードンがやってるか。)

つか、映画ではモンテ・クリスト伯(個人的復讐、あだ討ち)をメインに据えているんだから、モンテ・クリスト伯だけでいいじゃん。

原作者のアラン・ムーアは脚本を読んで激怒したそうだけど、そりゃあまりに当然だという、あのひどい「ガイ・フォークス」像。頼むから、その「文化」を共有していないのに、形だけで描こうなんて思わないでくれ。それが「傲慢」なんだって、学校で教わらないのか?(げはははは。)

映画のタイトルのV for Vendettaが、実はA for Anarchyであるならば、The Future is Oursは、もう1つ展開して、ものすごく陰惨なところに到達しなければならない。特にそれが、「復讐」に燃えるガイ・フォークスであるならば。ラークヒルでよみがえったガイ・フォークスが破壊したいものは、「体制」を超えた「社会」そのものであるはずだ(I am your future的な)。そこで初めて、本当の「テロリズム」(lawではなくoutlawの、terrorの統治)が可能になる。あの「復讐」は「テロリズム」ではない。「復讐者」のモンテ・クリスト伯は、「テロリスト」ではない。

……って、この映画についてはもっとグチグチとツッコミを書きたいこともなくもないんだけど、今はやめておく。そのうち断片的に書くかも。まあ、娯楽映画としてはいいんじゃないでしょうか。テンポが悪すぎるしアラが多すぎるけど、何も考えず、ポップコーン食いつつツッコミ入れつつ見られるし。セットで作ったロンドンの映像はおもしろいし、あんな類型をやらされているのに、英国&アイルランドの役者は渋いし(特に名前も知らない女医役の人、類型も類型なのにかっちょええ)。なお、私はアクションのシーンにはほとんど関心ありません。

あ、そうだ。「V」のギャラリーの品目に興味があります。ウィリアム・ブレイクと、ウォーターハウス(『レディ・オヴ・シャロット』)とファン・アイク(『アルフィノニ肖像』)とカラヴァッジオ(『病めるバッカス』)とティツィアーノ(『バッカスとアリアドネ』)と、ムンク(『思春期』)らしきものは認識できたんだけど、ほかがわからないので(特に風景画:コローがあったよーななかったよーな)、知ってる方、教えてください。

あと、ウォーターハウスの上にかかってた歴史画、ギャラリーのシーンになるたびに、あれは誰の何だっけとずっと考えてたんですが、思い出せませんでした(ネルソンの死みたいな感じの、19世紀浪漫ナショナリズムの絵)。ターナーは「ターナーである」としかわからなかったので(笑)作品名を教えてください。これじゃなかったよね?

あのコレクションは、物語上、ロンドンの美術館からサルベージした作品のはずで、ウォーターハウスはテイトだし、ほかはだいたいロンドンのナショナル・ギャラリーなのだけど、カラヴァッジオは、ちょっと似たように見えなくもないこれはロンドンだけど、『病めるバッカス』はローマにある。ムンクも、別の絵はテイトにあるけど、あれはロンドンにはないはず。ムンクじゃなかったのかなあ。(版権が難しかったのか、画面上で視認できそうな作品を無理やり選んだのか。。。あれらが「頽廃芸術」なら、英国絵画のロセッティとバーン・ジョーンズがないのは奇妙だし、王室が禁じられているんならチャールズ2世肖像とかあの辺がないのも奇妙。そして何より、一番わかりやすいビアズリーはどこ行った。サルベージされる前に燃やされてんだろうか。笑)

あ、ベラスケスもあったね。

あと何か、「そういえばあれもあった」と思い出しかけたものがあるのですが、何だったか忘れました。

あの暗い部屋で非常に目立つ『レディー・オブ・シャロット』は、多分イヴィーのことだと思います。(図としては、ホルマン・ハントのほうがわかりやすいけど、暗くて見えづらいか。)
http://charon.sfsu.edu/TENNYSON/TENNLADY.HTML
There she weaves by night and day
A magic web with colours gay.
She has heard a whisper say,
A curse is on her if she stay
To look down to Camelot.
She knows not what the curse may be,
And so she weaveth steadily,
And little other care hath she,
The Lady of Shalott.
....
She left the web, she left the loom,
She made three paces through the room,
She saw the water-lily bloom,
She saw the helmet and the plume,
She look'd down to Camelot.
Out flew the web and floated wide;
The mirror crack'd from side to side;
"The curse is come upon me," cried
The Lady of Shalott.
...
And down the river's dim expanse
Like some bold seer in a trance,
Seeing all his own mischance -
With a glassy countenance
Did she look to Camelot.
And at the closing of the day
She loosed the chain, and down she lay;
The broad stream bore her far away,
The Lady of Shalott.
...


『レディ・オブ・シャロット』の上にかかっていた絵(ネルソンの死みたいなの)は、題材はナポレオン戦争かなあ。だとすれば「V」の登場シーンの音楽、チャイコフスキーの『1812』とつながる。

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あと、この映画を歓迎している、特にいわゆる左翼系の人には、よく見直してほしい点がある。このアメリカ映画が否定しているのは何か、というと、究極的には「独裁」(サトラー政権)だ。これを近年の「独裁政権」敵視の流れに当てはめてもらいたい。そして、例えばウクライナのオレンジ革命という茶番でアメリカが何をしたかを思い出してもらいたい。そして、ベラルーシやトルクメニスタンにアメリカが何をしていないかを。コソヴォで何をしているかを。ラストの群集にごまかされちゃいけない。この映画のラストは、「やっぱり独裁者は倒れ、古いものは滅びる」というカタルシスだ。製作者は、多分ほんとに素直に自国の今を批判しているつもりなのだろうけれども、見事にトラップにはまっている。そしてそれを自覚していない。それがアメリカの厄介なところだ。

バグダードで爆死したマーラ・ルジカをご記憶だろうか。彼女は最終的に、爆弾を落とすことをやめさせようとする代わりに、イラクの人々に対し、「うちの軍隊が爆弾を落としたらごめんなさい、でももし爆弾であなたの家族が死んだら、あなたが補償を必ず受け取れるようにするから」と行動し、議会を動かした。アメリカの、主に「リベラル」と呼ばれる人たちは、彼女が死んだときに、彼女のことを「彼女はほんとうに天使だった」と讃えた。爆弾とカネを落としに来る天使は、中東では「死の天使」と呼ばれるだろう。

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転記前コメント:

taka
はじめまして。こんにちは。
結構、好意的に観ていた者なんですが、説得力のあるこちらの文章を読ませていただき、ちょっと考えを改めようと思いました。

>この映画のラストは、「やっぱり独裁者は倒れ、古いものは滅びる」というカタルシスだ。

ほんとうに、その通りですね。
逆になってしまっている…。
「アメリカ資本でこういう事を描いて平気になったんだなー」
なんて楽天的に観ている場合じゃありませんでした。
自分の考えの及ばなさが悔しいです。
むしろ、アメリカバン万歳だったなんて…。

ショックを受けるとともに、また訪れたいと思います。
興味深い文章をありがとうございました。
投稿者:ゲスト
at 2006 年 06 月 06 日 19:48:42

※ものすごいネタバレですので映画見てない人は読まないでください。
>takaさん
はじめまして。コメントありがとうございます。

「むしろアメリカばんばんざい」であるというより、ああいうメジャーな場で、自分の足元を疑うことがいかに難しいことかという気がします。

権力者がヒーローの活躍や民衆の怒りで滅んだのではなく、とことん自滅したという点では、「独裁者は倒れ、古いものは滅びる」というカタルシスをひねって見せてるのかなという印象だったのですが。

ラストの群集のシーンで、群集に仮面をつけさせたことは、かなりの皮肉であったと思います。「自由」のつもりで結局また何らかのシンボルを欲している、という点で。

であるがゆえに、「V」が死んで、議事堂が派手に破壊され、イヴィーがすがすがしい表情で「彼はエドモン・ダンテス、云々」と言って終わる、というラストが、もう何といいますか、脱力の極みでした。何であんな表情なのか、「?」と思っていたところに流れた音楽が、ストーンズのあれですから。。。(^^;) the Clashだったらまだよかったのに。

アメリカ資本で作られたことについては、ああいうことをするならアメリカを舞台にしていたらよかったのにと思います。

シークエンスごとに見れば、非常に深く心を動かされたところもありました。なのでよけいに、最後の落とし方が。。。と思う次第です。

というところで、ここは基本的に書き殴りばかりですが、またいらしてください。(^^)
投稿者:nofrills
at 2006 年 06 月 07 日 08:56:32

あの「仮面」のクリエイティヴな使い方
しばらく前にYouTubeでスターになってた人です。全部で12本(プラス最後に総集編1本)のビデオがありますが、全部30秒くらいなので、ぜひ。とてもおもしろいです。あと音楽のセンスがたまらん!
http://www.youtube.com/profile?user=MadV
投稿者:nofrills
at 2006 年 06 月 07 日 09:03:08

taka
返信ありがとうございます!
また来てしまいました。

紹介していただいた
映像を1本だけですが
見させていただきました。

まず、あの仮面って
市販されてるものだったんですか!
ってところに驚きです。
てっきり映画のために
作られたもんだと思ってました。

ラストシーンで鳴る音楽については
あんまり記憶に残ってないんですが
ストーンズはアメリカで
クラッシュがイギリスのバンドだから、
という理解でよろしいでしょうかね?

エドモン・ダンテス、
恥ずかしながらわかりません。
気になるので調べます!

シークエンスごとに、
ってことで言うと、個人的には
最後の多勢を次々と
切り倒していくシーンが
最も印象深かったです。

でも、そのすぐ後に発せられる
「正義は死なない」って
セリフにはちょっとひっかかりましたが。

「皮肉がこめられている」という視点も、面白いですね。
僕ももう少し考えてみたくなりました。


では、また参上いたします。
投稿者:ゲスト
at 2006 年 06 月 08 日 22:24:53

最後の音楽について(※ものすごいネタバレですので映画見てない人は読まないでください。)
>takaさん、こんにちは。

仮面は原作のコミック(wikipediaで画像を参照:コミックは日本語版あり)の絵を映画のために立体化したものだと思いますが、映画グッズというか、レプリカが市販されているようです。
http://search.ebay.com/search/search.dll?from=R40&satitle=guy+fawkes+mask

> ストーンズはアメリカで
> クラッシュがイギリスのバンドだから、
> という理解でよろしいでしょうかね?

「ストーンズがアメリカ」とお考えになることには何か理由がおありかと思いますが、第一にストーンズはアメリカではなくイングランドの出身です。第二に、ここはアメリカだからとかイギリスだからとかで考えるべきところでもありません。ともあれ、アメリカかイギリスかで考えると、いっそデッケネがよかったんじゃないかとか、想像がふくらみますが。(それはそれでおもしろいですね。)

私がthe Clashに言及したのは、どうせなら、例えばLondon's burning with boredom nowで落としてくれれば、この映画は一種のパロディなんだと納得できたのに、ということです。絵的に「ロンドンは燃えている」なのでぴったり。(冗談ですので、あんまり真に受けないでくださいね。)

話を元に戻して、映画のエンディングで流れた曲については、あれが何の曲かがわかるかどうかが前提です。私はあの曲が収録されているアルバムを「無人島ディスク」にしているんで、イントロでわかったんですが。(^^)

というところで、まずは歌詞なんですが、同時に、あの曲が書かれた背景が1960年代末の大衆運動にあるというのがキーです。つまり、約40年前の「ピープル・パワー」の曲。40年近くが経過しているからといってその曲の価値には何ら影響しないとは思うのですが、あの映画では(そして現実でも)「パワー」を持つ「ピープル」が操作された情報次第であったこと(サトラー政権を樹立させてしまった過程において)こそが問題なのに、ああいう終わり方をしたあとであの曲を使うことは、一体何なのか、と。ただの懐古趣味や「60年代へのオマージュ」であるとすれば、ガイ・フォークスにもエドモン・ダンテス(モンテ・クリスト伯)にも失礼すぎる。

映画の中の「V」という人物が、個人的復讐に「正義」のレッテルをくっつけた人物以上であれば、あの曲を使っていたにしても、また違っていただろうとは思います。が、残念ながらあの「V」は自分のことをガイ・フォークス(「思想・信仰ゆえに国家に弾圧された者」の象徴)であると思い込んだ個人的復讐者でしかない。自分をこんなにした権力に復讐してやる、ということを、弾圧された民衆は革命を起こさねばならない、と言い換えている。それに動かされる「ピープル」って何よ、という問いが出てきて当然であるべきところで、あまりにナイーヴな「ピープルパワーばんざい」が出てきて、しかもそれがジョークでもなんでもなく真面目なものとしか思えない形で映画の締めになってるので、ずっこけるのです。

一方で、権力者はピープルパワーとは関係なく、単に自滅していくのに(「V」が触媒にはなっているにせよ、また「V」がいたことで党内のナンバー2が昇格して「第二の独裁者」が誕生するといった事態は阻止されたにせよ、あれは自滅)。あの終わり方では、権力者が自滅したことを、人々は「ピープルパワーの勝利」だと解釈するでしょう。翌日くらいに。この時点で決定的にずれてしまうんですが、映画はそれを放置して「めでたしめでたし」と結ぶ。

つまり「社会」や「民主主義」について突き詰めた脚本だとは、ちょっと思えないんですよね。独裁社会になってしまった英国(民主社会)というのをストーリーの出発点としているのに、「人々の選択に任せておけば最良の選択がなされる」という神話を疑うことをしていない。映画の中では、英国が「独裁」に至ったのは、独裁者となった人物が自作自演の細菌テロをしかけたからで(フィンチ警部によるその謎解きがストーリーの軸の1本)、人々は騙されていたのだということになっています。騙した奴はそりゃ「悪」に決まっている。しかし騙された側に責任はないのか(「騙された責任」ってのも乱用されすぎの面もありますが)、ということをこの映画はまったくスルーし、ラストではまた大衆がみんなで一斉に同じ仮面をつけて街頭に繰り出す。それを「同じことの繰り返しだ」と皮肉に笑って示すのではなく、なぜか「希望に満ちたハッピーエンド」として提示する。そこまではまだ「皮肉のつもりだよね」とかろうじて思っていられるのに、エンディングの音楽(「ピープルパワー」の象徴)で、映画を作ってる側は大真面目なんだということが明らかになる。ゆえに、乾いた笑いしか出てこない。Still, you made me president(<デッケネの歌詞から)が問われない限りほとんど意味がないのに。

「エドモン・ダンテス」は19世紀フランスの大衆文学の巨匠、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の主人公。この小説は日本では『岩窟王』としても紹介されています。
投稿者:nofrills
at 2006 年 06 月 11 日 04:46:31

※この記事は

2006年06月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼