kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2006年06月26日

暴れ隊のテーマソング(?)

I was in Cologne along with an estimated 70 to 80,000 English, I have been to many away games with England and the vast majority of our fans are fine, but there is a hardcore group - you can spot them just by looking at them. They have two songs, one is 'No Surrender', the other is '10 German Bombers.' When these songs start, these people get together and the decent people drift away, this is when the trouble starts. In Cologne, when these songs started some young Germans naturally took offence about these references to the war, a few of us managed to talk to them and make them realise that it was not worth getting into trouble over. If the English police out there nipped these incidents in the bud, there would be no trouble they know the signs, I do and it's not my job, they monitor these situations let them grow and then act. ...

_
ケルンに観戦に訪れたとき、イングランドのファンは7〜8万人はいたと思う。自分はイングランドの試合はよく観戦している。ファンの大部分は暴れたりしないのだけれども、ハードコアの集団がいる。彼らは見ただけで区別できる。2曲の歌がトレードマーク。"No Surrender"と"10 German Bomber"だ。この歌が始まったら彼らが集まり、まともな人間は離れていく。こうなったときがトラブルの始まりだ。ケルンではこの歌が始まったときに何人かの若いドイツ人が何だこの野郎という反応を見せたのだが、自分たち(イングランド・サポ)の幾人かがそのドイツ人たちと何とか話をして、連中と関わりあいになっても意味はないと気づかせることができた。現地入りしているイギリスの警察がトラブルが芽のうちに摘み取っていればトラブルは起こらない。警察は兆候を知っているのだし。でも実際にはイギリス警察は監視をしつつトラブルの芽が大きくなってから行動する。……


これは、イングランド対エクアドル戦の前の晩、つまりドイツ対スウェーデン戦の終わった夜に、シュツットガルトで「イングランドのファン150人が椅子やボトルを投げるなどして逮捕された」件についてのBBC記事によせられた読者投稿のひとつ。

England fans held by riot police
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/5112364.stm

解説記事(騒動のあとで同じ広場でボブ・ゲルドフのコンサートがあったそうで):
Unsurprising location for stand-off
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/5113978.stm

お歌がNo Surrenderと10 German Bombersということは、つまり・・・

ガチですな。

その辺の図像は、イングランド・ファースト党というそっち系の団体のサイトで一覧できます。(下記はバッジの通販のページ。)
www.efp.org.uk/_pages/merchbadges.html

いろんなお歌の一覧は(下記はサポさんのグループのサイト):
army.bigblagger.co.uk/chants.htm

サッカーが好きで、イングランド・ナショナル・チームをサポートしてて、ざぶざぶビールを飲んで、聖ジョージ・クロスを身に着けて「しゃんしゃんしゃしゃしゃん、いんがらんど」のシャントをしながら観戦する、という人たちの中に、ほんの少数であるにせよ、「サッカーは暴れるための口実」という人々がいて、彼らが「例のアレ」を始めると、そうでない人たちはさーっと避難する、というのが、冒頭に引用したコメントの内容です。で、今回シュツットガルトで「暴れるための口実」派がどっさりしょっぴかれた、というのがBBCの報道。

記事へのコメントには、「んなに騒ぐほどのことか」といった反応もあるし、「言うほどすごい状況ではなかった」という反応もあります。こういった反応は、そっち系の研究をしている人には、極めて興味深いものではないかと思います。

シュツットガルトは大変な騒ぎになったので大きく取り上げられていますが、イングランドの初戦が行われたフランクフルトもかなり大変だったようです。デイリー・メイルの9日記事:
http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/sport/sport.html?
in_article_id=389830&in_page_id=1771


とてもメジャーなイングランド応援歌のひとつ、映画『大脱走』のテーマが「許容範囲」と判断された、という記述は、何ともいえないものがあります。(『大脱走』はナチスの捕虜収容所から脱走する連合軍捕虜のお話。)

さて、問題のお歌、No Surrenderと10 German Bombersについて。

10 German Bombersってのが第二次大戦のことをテーマにしているのは名称を見ただけですぐにわかると思います。第二次大戦のときに学校で歌われた替え歌なのだそうです。元の曲は19世紀北米のフォークソングで、メロディは聞けばすぐにわかるくらいに有名。トランス・ミックス(?)ですが、YouTubeにあります(1分くらいでメインのメロディーが出てきます)。もっとちゃんと探せば普通の音源もあるはずですが、サボります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ten_German_Bombers

No Surrenderは検索するとブルース・スプリングスティーンとかパールジャムとかも出てきちゃうんですが、イングランド・サポが歌うのは次のような歌詞です。前回大会のときのガーディアンの記事から(太字は引用者による):
http://football.guardian.co.uk/worldcup2002/countries/
story/0,11936,739436,00.html

It is known as the battle cry of the hooligans, the song that the right-wing violent element and those who get sucked into their grasp call their own national anthem, and it goes like this:
_
There's a George in my heart, keep me English,
There's a George in my heart, I pray,
There's a George in my heart, keep me English,
Keep me English till my dying day.
No surrender, no surrender, no surrender to the IRA . . . scum


簡単に説明すると、IRAがイングランドを標的として「武装闘争」あるいは「テロ攻撃」を展開してたときの「テロには屈することなく我々は毅然として立ち向かう」ソング、ということになるのですが、元をたどれば北アイルランドのロイヤリストの歌だと思います(ロイヤリストはEnglishではなくBritishと言うけれども)。ただこの曲の歴史について調べようとしても、資料がネット上に見当たらないんで(見当たるのは「ストーム何とか」やそれの北アイルランド支部とかのフォーラムの勇ましい投稿だったりで、あまり参考にならない)、どういうきっかけでこれが「イングランドの(一部の)サポの歌」になったのかはわかりません。

いずれにせよ、「IRAには屈することなく」が社会的コンテクストをまったく失った2006年でもまだ、このお歌が「イングランドのために」歌われることについては、さすがは古いものを大切にする歴史と伝統のイングランドだとしか言いようがありません。

(……フザけているだけです。念のため。)

Spikedの2001年の過去記事(このSpikedの記事は読む価値あります。書いた人は多分アラブ系)にあるように、フーリガニズムと出場資格剥奪の苦い歴史のあとに、政府とFA主導の「イングランドのサッカー イメージ一新作戦」が行われた。法律を整備するほどの徹底振りで、具体的には、観客席の立見席が廃止されたり。(立見席は「暴力の温床」だった。)そのときにイングランドのサポの組織も改編されて、フットボールのファン層は「なんか物騒なイメージがあったしバカみたいと思って敬遠していたけど、試合を見てみるとおもしろい」という方面にまで広がったし、女性がサッカーを見ることも「珍しいこと」ではなくなった。(「女が見に来るフットボール」が現実になったのは、ここ10年くらいの動きでしかないわけです。)

それを「冗談じゃねぇ」とする昔ながらのマッチョイズム(いやなフレーズですが「ジョン・ブル魂」)ってのは、確かにものすごいはしっこに追いやられはしたけれども、消えたわけではなかったということが、いまだに「IRAには屈することなく」とか「ドイツの爆撃機ぜんぶ撃墜」とかいうお歌を歌うことでカタルシスを覚える人たちがいる、ということに現れている、ということだと思います。

スウェーデン人のエリクソンが監督になったときに、「イングランド人でない者がイングランドの監督をするとは!」とものすごい抵抗を示したのが、このNo Surrender系の人たちでした。より正確に言えば、そういう人たちにウケることを狙ったタブロイド。The Sunとかthe Daily Mailとかね。(先日のNHKの解説委員の「監督の母国スウェーデン相手に勝ちにいけるのか」っていう朝のニュースでのコメントが、私には「異常」もしくは「異様」に感じられた理由は、こういうことです。)

エリクソン就任時のIHTの記事(2001年1月)。最後から2パラグラフ目にNo Surrenderについて記述があります。
http://www.iht.com/articles/2001/01/17/soccer.t_0.php

それから、「ナショナリズム」についてかなり熱い議論となっていた、スウェーデン在住の英語話者のフォーラム:
http://www.thelocal.se/discuss/viewtopic.php?
t=3824&postdays=0&postorder=asc&highlight=trinidad+tobago&start=25

2ページ目(↑のURL)でパディさんとリトルフェアさんとでフレームになっていて、3ページ目で他の人たちが入ってきてお歌問題の話になっています。Fri Jun 16, 2006 1:42 pm のビーフさんのコメントが核かな。同日2:44 pmにパディさんが「結局パトリオティズムに価値を感じているかどうかでしょ。自分としてはナショナル・チームのフットボールにはあまり熱心になれないのだけども、それは単に自分と同じ国に生まれたからというだけで誰かをサポートするってのにイマイチ乗り切れないからなんだよね」とコメントしていたり。

■参考記事:
<サッカーW杯>英独のサポーターが衝突、378人拘束(→魚拓
 【ベルリン支局】サッカー・ワールドカップ(W杯)のイングランド対エクアドル戦をひかえたドイツ南部シュツットガルト市中心部で24日夕、英国とドイツのサポーターが衝突、ドイツ公共テレビなどによると、378人が拘束される騒動に発展した。
 衝突は、決勝トーナメント初戦のドイツ対スウェーデン戦(ミュンヘン開催)の終了後に起きた。警察によると、広場に集まっていた約500人の英国人サポーターの近くを、対スウェーデン戦勝利を喜ぶドイツ人サポーターが通りかかり、にらみ合いに発展、双方が殴りかかって乱闘になった。拘束者の大半は英国人で、24日夜にはほとんどが釈放されたという。……
(毎日新聞) - 6月25日21時0分更新


(「英国人サポーター」という表記がされているのは、こういうものは国籍ベースで書くことになっているからで、正確には「イングランドのサポーター」。)

-------------------------
※追記:
マンチェスターの地域紙、the Manchester Evening Newsのblogにとても興味深い記事が。

シュツットガルトではなくニュルンベルクについてですが:
(I don't wanna go to) Nuremberg... on June 15, 2006 01:13 AM
http://blogs.manchestereveningnews.co.uk/worldcup/2006/06/i_dont_wanna_go_to_nuremburg.html

それからケルン、スウェーデン対イングランドというカードでどちらからもサポご一行様が大挙して押し寄せるのがわかっているのに、組織委員会は一番小さいスタジアムで試合日程を組んでいて、現場はかなり混乱していた模様。ひどい暴動にならなくてよかったです:
Boiling point in Cologne June 21, 2006 01:07 AM
http://blogs.manchestereveningnews.co.uk/worldcup/2006/06/boiling_point_in_cologne.html

-------------------------------
転記前コメント:

nmf
こんばんは!
トラバさせていただいたnmfです。
スウェーデン×イングランド戦の日にケルンにいたのですが、大聖堂前の異様な雰囲気に圧倒され、♀であることをわきまえて、PV観戦を断念しました。
ドイツとイングランドの関係について、ホテルの窓から目にしたことをそのまま書いたのですが、その後、こちらの記事で10 German Bombersという歌のことを知り、イングランド・サポ(というよりフーリガンでしょうか)の根の深さを目の当たりにしました。
勉強になりました。ありがとうございます。

投稿者:ゲスト
at 2006 年 07 月 01 日 21:43:36
http://nmf.seesaa.net/article/20118578.html

>nmf さん
トラバ&コメントありがとうございます。当方の記事がお役に立てたようで、嬉しいです。しかし、ケルン大聖堂だけでもド迫力なのに(実際にこの目で見たことはありませんが)、ははは、あのイングランド・サポの数。(^^;) スウェーデンとの試合も「因縁の対決」でしたし(38年勝ってない)、決勝トーナメント進出が決まってましたから、サポさんたちの盛り上がりもすごかったのでしょうね。しかしあの人数。(^^;)

「サポ」と「フーリガン」の境目は、実際には素人目にはわかるかわからないかが微妙だということなのですが、「フットボールが好きで観戦に来ている」のがサポ、「フットボールに便乗して自分たちの示威行為をするために来ている」のがフーリガン、と考えてよいと思います。

広場ではそれ専門の警察が「試合開始7時間前で既に厳戒態勢」(nmfさんの記事から)だったそうですが、人が集まり過ぎないうちに広場の警備網をがっつり整えるといったノウハウがあるのでしょうね。
投稿者:nofrills
at 2006 年 07 月 02 日 10:59:17

YouTubeで見つかった映像
エクアドル戦のときのシュツットガルトの模様:
http://youtube.com/watch?v=gpLtl2q-Wf0

スウェーデン戦前日のケルンの模様:
http://youtube.com/watch?v=SbHp0MOvVuc
http://youtube.com/watch?v=sFx5oumlozI

当日のケルンの模様:
http://youtube.com/watch?v=dOOm7qqC6RU

いずれも、居合わせた人が撮影したもの。
投稿者:nofrills
at 2006 年 07 月 03 日 08:14:00

※注意
↑に追記しといて何なんですが、まかりまちがって全部一気に見たりすると、後でこのメロディが頭をぐるぐるしてけっこう大変です。↑を投稿してから1時間経ちますが、現在、私の頭は大変です。収まるのを待っていたんですが、いいかげんにあきらめて、うっとおしい頭ぐるぐるを強制終了させることのできる曲の入っているCDをこれから聴きます。(これはこれで頭ぐるぐるするんですが、ケルンの大騒ぎのお歌よりまし。)
投稿者:nofrills
at 2006 年 07 月 03 日 09:19:12

※この記事は

2006年06月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼