kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年09月11日

9-11

ニュースいくつか。

おっと日付が9-11だ。12時を回ったので当然だ。

昨年はテレビでもあちこちで特集番組をやっていたが,2年目ともなると静かだ。

いや,きっと2年目だからではなく,去年と今年の間に大きな違いがあるからだと思う。

「こんなに非人道的なテロリスト攻撃がありました」ということを2003年の9月にメディアがこぞって取り上げる意味がないと,メディアが考えている(少なくとも日本では),ということだろう。もっと言えば,それをやったところでスポンサーが喜ばないのだろう。というわけで,お笑いバラエティーとかドラマとか,通常モードな感じ。

というところでニュースいくつか。

■米国の核開発の先頭に立ってきた科学者が死去。95歳。
'Father of the H-bomb' dies

■「世界が2年前より安全になったと思っているのはバカとネオコンだけ」
Only fools and Republican neo-cons believe the world today is a safer place than two years ago
The lessons we failed to learn from September 11
Independentの有料記事なので,読めてません。Yasmin Alibhai-Brownさんの記事。

■もうひとつの「9-11」
The other 9/11
ZnetにあったPaul Streetさん記事Remembering Chile's 9/11

英国の映画監督ケン・ローチは,映画『セプテンバー11』で与えられた11分9秒1フレームを1973年9月11日を描くことに使った。

数年前に欧州で身柄拘束されたピノチェトは,1973年9月11日に軍事クーデターを起こし,そして政権を掌握した――“反共”の旗を掲げる米国の支援を受けて。チリのアジェンデ政権は転覆,アジェンデは死に,以後チリでは社会主義者の弾圧が続いた――ものすごくたくさんの人々が,国際協力の名の元にやってきた米軍とチリ政府軍によって惨殺された。男は暴行を受けた上で体をバラバラにされ,女は犬とまぐわらされた上で裂かれた。

「9-11」であると同時に「イラク」でもあり「アフガニスタン」でもある。

■ムシャラフ将軍に訊け
President Pervez Musharraf answers your questions
BBC,要人を招いてのインタビュー番組に一般視聴者からの質問を受け付け。

ムシャラフ将軍もまた,軍事クーデターで政権を掌握し,
自ら大統領となった。そしてパキスタンは核を持っている。核保有に対して科せられていた経済制裁は,「9-11」以降の対米協力の見かえりとして解除された。

■バグダッドのbloggerの生出演@ガーディアン・トーク。
Baghdad blogger: Salam Pax live online on September 12
Salam PaxさんはWhere is Raed?の方です。

■イラクで「銃撃戦に巻き込まれて」死亡した英国のジャーナリスト,テリー・ロイドの死の真相(Mirrorのスクープ)
ITN'S TERRY: SHOCK NEW EVIDENCE
AN Iraqi businessman told yesterday how ITN reporter Terry Lloyd was shot dead by a US helicopter gunship which blasted his civilian minibus.
ということで,「イラク軍と米軍の銃撃戦に巻き込まれて死亡」したはずのジャーナリストは,実は,肩を負傷して病院へ搬送される途中,乗っていた民間の車(ミニバス,イラク軍兵士も乗っていたそうですが)が米軍ヘリに攻撃されて,頭に致命傷を負って死亡した,との証言です。証言者のイラク人ビジネスマンは,仕事でそのミニバスに乗り合わせ,テリー・ロイドと話をしています。

ITNのジャーナリストだったテリー・ロイドはこのイラクの人に「私はロシアのジャーナリスト」と自己紹介したそうです。彼が取材をしていた南部(バスラ)は,英軍が侵攻していました。英国人だとはとても言えなかったのだろうと,証言者は語っています。

ヘリから民間の車を攻撃した個人が特定されれば,戦争犯罪に問われるそうです。

※この記事は

2003年09月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼