kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2005年09月25日

9月最後の週はまた「歴史的」という形容詞で語られるのか?

IRA arms statement 'within days'
Last Updated: Saturday, 24 September 2005, 17:10 GMT 18:10 UK
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4277090.stm
An announcement on IRA decommissioning is believed to be just days away and could come at the beginning of next week, the BBC has learned.


現段階でもまだDUPがごちゃごちゃ言ってるらしい(武装解除の証人となる宗教界代表者について)のだが,動き出した歴史の歯車は止められんよ。。。とか言うとブレア支持者かガチのシン・フェイン支持のナショナリストみたいだなあ。

「武装闘争やめます」宣言以後,IRAの武装解除は,John de Chastelain(カナダ軍の元将軍で,元国防大臣だったと思う。90年代のバルカンでも名前が出てくる)の監督の下で,進められてきている。

それが終わったという宣言が,9月最後の週にも出されるであろう,というのがBBCの記事の内容。

しかし,記事読んだ感じ,DUP側の要求ははねつけた形だし(写真なし,DUP推薦の宗教者を証人として承認せず),いくら8月から9月にかけてのロイヤリストの紛争と暴動の前に決められていた方法だからとはいえ,先行きが明るく感じられないよなあと思うのは気のせいか?

ところで土曜日はシン・フェインの成立から100周年だったそうです。そうか,1905年だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sinn_Fein

100周年記念のrally for Irish Unityがダブリンで行なわれたそうです。RTE記事:
http://www.rte.ie/news/2005/0924/rally.html

こういうタイミングなのかぁ。。。計算してるよね。

党大会は22日にSouth Armaghで行なわれました。ジェリー・アダムズの演説の一部(とおもしろいツッコミ)。
http://www.sluggerotoole.com/archives/2005/09/a_problem_with.php
→演説全文はhttp://sinnfein.ie/news/detail/11234
(まるでニュー・レイバーのような演説。)

検索してたら,阿修羅さんの投稿で2002年10月18日のものが見つかったので,“歴史的”(historicではなくhistorical)資料としてコピペ:
ブレア政権 北アイルランドで「IRA壊滅作戦」発動か [BBCニュース]
投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 18 日 02:38:19:

本深夜の「BBCニュース」は、ブレア首相がベルファストで行った北アイルランド問題に関する演説を生中継した。

(注:今回の“騒動”は、IRAが北アイルランド警察に対してスパイ活動をしていたとして、警察がシンフェイン党の事務所を捜索し4名を逮捕したことが発端である。これを受けて、ユニオニスト(一般的にはプロテスタントと呼ぶ)がシンフェイン党と一緒に政府を形成することはできないと離脱し、ブレア政権がそれを認めたことで重大化したもの)

演説の要点は、
● IRA及びシンフェリン党の和平合意違反が自治政府の機能停止を招いた。
● プロテスタント(ユニオニスト)が自治政府から離脱したのは理解できる。
● 北アイルランドの和平問題は重大な岐路に立っている。
● IRAが武装放棄をしたからといって修復できる状況ではない。
● 9・11以降、世界は変わった。
● 武力で政治を変えようとする勢力の存在は認められない。
● IRAは組織として消滅しなければならない。
● 英国政府は、アイルランド和平を実現するために決然とした行動をとる。
といったものである。

※ 曖昧なブレア演説を勝手に言い換えれば、「対テロ戦争」を北アイルランドに適用し、その標的をIRA・シンフェインに定めたということになる。

組織解体を迫られたIRAがそれを素直に受け入れるとは考えにくいので、北アイルランド情勢が泥沼に戻る可能性もあると予測する。


3年近く経過して,現在,「あっしら」さんの予測は幸いにも外れたけれども(つまり,シン・フェイン/IRAが原因でNI情勢が泥沼になることはなかった),逆側(プロテスタント側)が怨念渦巻いて泥沼になってる。

BBC記事にあるような形でのIRAの武装解除なんか,彼らの怨念をとくのに寄与するわけがない。現に,プロテスタント側の煽り屋,イアン・ペイズリー・ジュニア(息子)はanother act of phoney decommissioning takes place と鼻息の荒いことを言っている。

一方この間,シン・フェインはものすごい勢いであれこれカードを切ってきた(まさにポリティカルなゲーム)。ブレア演説の「武力で政治を変えようとする勢力の存在は認められない」をシン・フェイン/IRAは受け入れたが(それが「武装闘争やめます」宣言と,数日の間にも予想される「武装解除完了」の宣言),「IRAが武装放棄をしたからといって修復できる状況ではない」と「IRAは組織として消滅しなければならない」についてはブレアが譲った形だろう。

むしろ,現在「和平プロセスの妨げ」として糾弾されているのは,IRAではなくUVF(およびUDAなど)だ。

今もまた,ジェリー・アダムズは,1996年にCo Limerick(アイルランド共和国)での警官殺害事件で有罪となった4人の釈放を,グッドフライデー合意に基づいて求めるということをやっている。(これについてものすごく怒っているアイリッシュのブロガーさんももちろんいる。)

少なくとも政治的にはものすごい駆け引きがなされてるんだろうと思う。そういう中での「武装解除完了宣言」が,もうすぐ出るっていうことだ。

「儀式」だろう。2004年6月の「イラクの主権移譲」と同じような「儀式」だろう。

どこに行こうとしてるんだか。。。

少なくとも,英国政府の軸足はユニオニスト政党の側にはなく,しかし選挙結果では,ユニオニスト政党DUPが第一党だ。

2004年4月のファルージャ攻撃のとき,ジャック・ストロー英外相は「圧力釜のふたが外れた」と述べた。(「圧力釜 pressure cooker」= [usu, adj.] Very intense and demanding; stressful)

※なお,26日から数日はものすごく忙しくなると思うので,「歴史的宣言」が出てもすぐにはここに書けないかもしれません。

※この記事は

2005年09月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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