kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2006年09月17日

ベネディクト16世の発言、BBCが省略した部分も読んでみた。

ベネディクト16世の発言について、もう少し。

前のエントリに引用したような日本での報道が、おそらくは伝言ゲームを経てちょっとおかしくなってしまったものであったことは、それはそれで「問題」かもしれないが、ここでは注目しない。

が、「メディアの伝え方」という点では以下に書くこととちょっと共通しているかもしれない。

前のエントリで私が参照したBBCの抜粋も、「kom's log」さんの16日記事、『誤謬』を拝読するに、コンテクストを見るためには、十分なものとは言えないようである。(「とりあえずBBC(で間に合わせる)」ということをしていると、こういうことが時々ある。)

「kom's log」さんはヴァチカンのサイトを参照されているが、私もそうすべきであった。あるいはガーディアンが全文を紹介している(ヴァチカンからの転載と思われる)ので、それを見るべきであった。深く反省。BBCがばっさり削っている部分が案外重要だった。

「kom's log」さんから引用させていただくが、ベネディクト16世のこの「演説の中心にある問い」は、「”非理性的に行動することは神のあり方とは矛盾する、という考え方は、単にギリシャ的な思想なのか、それともそれは本質的に正しいのか”という問いである」。BBCの抜粋紹介、およびガーディアンの全文紹介によると、講話は、Faith, reason and the university: memories and reflections(「信仰と理性と大学:思い出を語り追想する」)と題されている。

すなわち、「理性」と「信仰」の問題を、欧州のキリスト教社会は苦労して考えてきた(つまり、キリスト教以前の「異教世界」であるギリシアの遺産を、キリスト教、というかカトリック教会がいかに全否定せずにきたか、その過程では激しい論争があった・・・はず)が、現代では「科学」についてもおおいに考えなければならない、そのような中で大学の神学部はどうあるべきか、という話だ。

で、私には「そういう主題で話をするときに、なぜわざわざマヌエル2世がイスラム教について述べている言葉を引用したのか」、というか「引用しなければならなかったのか」がわからなかった。「理性」と「信仰」の問題を語りたいのなら、引用すべき言葉はいくらでもあるはずだ。イスラム教について触れていない言葉は、探すまでもないくらいにごろごろ転がっていそうなものじゃないか? なのになぜ、マヌエル2世のあの言葉だったのか。

その手がかりらしきものは、BBCが省略していた部分に隠されていた。(大袈裟な・・・)

前の記事で引用したBBCによる抜粋
I was reminded of all this recently, when I read... of part of the dialogue (この後はここでは重要ではないので略)

となっている部分は、ガーディアンの全文紹介によると、
I was reminded of all this recently, when I read the edition by Professor Theodore Khoury (Münster) of part of the dialogue

で、the edition by Professor Theodore Khoury (Münster)、つまり「ミュンスター大学のTheodore Khoury教授がまとめた版」が、BBCでは省略されている。(こんな短い部分、省略する意味があるんだろうか。)

また、別の箇所で、BBCで次のように省略されている箇所:
In the seventh conversation... the emperor touches on the theme of the holy war.

は省略を補うと
In the seventh conversation [text unclear] edited by Professor Khoury, the emperor touches on the theme of the holy war.

であり、上の省略と同じように、ベネディクト16世が読んだ版の編者についての言及が省略されている。

この編者(Professor Khoury)の版というものは、ガーディアンのCiFに上がっているBatesの文章によると
It took old Manuel's words a mere 600-odd years to spread abroad, thanks to a recently edited edition by Professor Theodore Khoury of Munster, ...

とのことで、つまり、最近出たもののようだ。

というわけで、要するに、ドイツのミュンスター大学の教授が最近まとめた本のことを、ドイツの別の大学(the University of Regensburg)で学生たちに話をする際に引用した、と。

つまり、言うなれば、「先日○○先生が『ほにゃらら』を上梓なさいましたが、そこには『ふにゃふにゃふにゃ』とあります。わたくし、その中の一節を拝読して、それは私たちにも深く関わる問題提起だと思ったんですね。○○先生のご著書には『なんとかかんとか』とありますのですが・・・」という話だったんじゃないか。

そのときに、「○○先生の『ほにゃらら』という本」がその分野であまりマイナーではない書物であれば、学生たちは何らかの形で接しているだろうし、そういう書物をちょっと引き合いに出しつつ自分の話を展開していくというのは、話をする場合に有効な方法だ。

さて、あまりに長くなるから詳細を書くためには別の記事を立てるが、ベネディクト16世は「問題」とされた/なった箇所に言及するときに「引用ですが」と強調している。逆にいえば、「引用ですが」と強調せずに述べたらどういうことになるかを意識していたということになる。そしてその箇所は、「信仰と理性」という主題とは関係ないように見える。

あんまり関係ない話を、下手すれば大問題になるとわかっていながら、なぜ引き合いに出したのか、いや、出さねばならなかったのか。

ということについても、BBCがカットしている部分を見れば、一応はわかる。以下はガーディアンの全文紹介(ヴァチカンのと同じ)から。
・・・長いので略・・・ "God", he says, "is not pleased by blood - and not acting reasonably ... is contrary to God's nature. Faith is born of the soul, not the body. Whoever would lead someone to faith needs the ability to speak well and to reason properly, without violence and threats... [BBCの引用はここまで] To convince a reasonable soul, one does not need a strong arm, or weapons of any kind, or any other means of threatening a person with death...".

The decisive statement in this argument against violent conversion is this: not to act in accordance with reason is contrary to God's nature. The editor, Theodore Khoury, observes: For the emperor, as a Byzantine shaped by Greek philosophy, this statement is self-evident.

"To convince a reasonable soul, one does not need a strong arm, or weapons of any kind, or any other means of threatening a person with death..."の部分は、それまでの内容を別な表現で繰り返しているだけなので、省略してもいいのかもしれない。

しかしその次のパラグラフをカットしてしまったことは、ベネディクト16世のこの講話における「問題の箇所」の意味を、まったくわからなくさせる。

省略されたパラグラフは、「この議論における、暴力を用いた改宗にはっきりと反対する宣言は次です----理性に従って行動しないことは、神の本質に反する。この本の編者のTheodore Khoury教授は、ギリシア哲学によって形作られているビザンティン人として、皇帝にとっては、この宣言は自明のことであった、と結論しています」という内容だ。

ひとつ。やっぱり、これって要するに、この教授の本の紹介じゃないのか。素で読むと、まるで「私が読んだこの1冊」じゃん。この直後の部分でもまた編者の名前が出てくるし。紹介じゃなければ、編者が友達だとかで、ご祝儀的な言及の可能性もある。(<裏取ってませんよ。)

ふたつ。ここでの議論は、「暴力を用いた改宗」=「理性に従って行動しないこと」=「非理性的な行動」ということである。で、この後で話が展開して、「この本の編者は、ギリシア哲学を受け継いだビザンティン人にとって、非理性的な行動は神の理(ことわり)に合わないというのは自明のことだった、と結論している」から、「非理性的な行動は神の理とはあわないものだというマヌエル2世の考えは、ギリシアの思想でしかないのか、それとも普遍的なものなのか」という方向に行く。そういう展開において、マヌエル2世のエピソードは具体例として必要、という主張は、成り立つと思う。(ただし代替不可能とは思わない。)

しかし、だからといって「邪悪」だの「非人間的」だのといった言葉を含む部分、しかもマヌエル2世が相手のペルシャ人に論戦を挑んだときの挑発的な言辞を、わざわざ引用するか。。。ちょっとやっぱりわけわかんない。

紀元前のギリシアが14世紀の人であるマヌエル2世にそんなに大きく影響していると前提すること自体、私にはわかりづらすぎるし(この人が影響されているんなら、当時のイタリアとかドイツとかの人も同様に影響されてただろうし)、引用されているエピソードにおいて、マヌエル2世が決然と「そんなものは神の理に合わない」と否定した「暴力を用いた改宗」が、キリスト教のものではなくイスラム教のものであるという点、というか、それを「私の言葉じゃありませんよ」と言いつつ2006年に引用しちゃう教皇の考えが、私には本気でわかりません。つか、こういう人たちって、十字軍、というか「神」の名において正当化される暴力についてはなんと考えているんだろう。

というか、この人たちの頭の中に、「旧約聖書」と「ヨーロッパ」以外のものは存在しているのか、ということがちょっと心配になってきた。(^^;)


----------------------------
★当ブログ内でのこの件の関連記事は「マヌエル2世引用」のタグをつけてあります。

※この記事は

2006年09月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼