kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2005年06月08日

「メタリカ」の文字とメロイックサインと2人の20 something


シャギーとスクービー(写真:ジョー・カー)

彼らが誰でここがどこで……といったことは,こちらのページを読んでください

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転記前、コメント欄での追記:
Enter Sandmanのカバー


Nine Inch Nailsのライヴが入っているので(あまりにもデスorドゥームの様式の音は飛ばして)聞いていたBBC Radio OneのRock Showという番組(6月22日分)の最後で
Richard Cheese- 'Enter Sandman'
を聞きました。

メタリカのこの曲でいい感じにスウィングしちゃってます。歌い手(<という表現をしたくなる)のRichard Cheeseさん,すごい美声の持ち主ですね。これでメタリカやられても(笑)。

公式サイトのディスコグラフィー,かなり笑えると思います。

で,アルバム情報を確認したら,Been Caught Stealing (Jane's Addiction)も入ってるし,あろうことか,Sunday Bloody Sunday まで入ってやがる。俺に買えってか,Aperitif for Destruction(<爆笑)を?

大まかなコンセプト的には,えーと,名前忘れた,何て人でしたっけ,"Who's Fat?"とか"Eat it"とかNirvanaのパロディ(涅槃の香り)とかやってた人……とにかくこの人を彷彿とさせる部分もあるのですが,むしろ,日本のスーパーマーケットでかかっているような,間抜け音のインストにアレンジされたNirvanaとかみたいな感じでしょうか。

いずれにしても,ラウンジ具合というかスウィング具合というかのせいで,このEnter Sandmanなら音響拷問には使えなくて,とっても平和的だと思います。

投稿者:
nofrills
at 2005 年 06 月 24 日 02:31:09
タグ:音楽 イラク

※この記事は

2005年06月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼