kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2004年10月01日

「ケン・ビグリーさんを解放せよ」戦線にジェリー・アダムズが!

イラクで何者かに拉致され拘束されている英国人(「復興支援事業」関係者)のケン(ケネス)・ビグリーさん。勇退前の一仕事でイラクに行った,という人で,英国のメディアのサイトには連日ビグリーさん関連の記事が出ている。

で,私はちょっと忙しいので,明らかな進展があるまでは記事立てることはできん,と思っていたのだが,ジェリー・アダムズとなると特記事項としか言いようがないので,書いておくことにしました。

Adams plea for Bigley release
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/
3704394.stm


シン・フェインのジェリー・アダムズがアルジャジーラのインタビューに応えてビグリーさん解放を呼びかけたそうです。

ううむ,これはアンチIRAのメディア(テレグラフ,タイムズ,サン)がどう報じているか,とても見たいなぁ。土曜日あたり時間が取れるかもしれないので,できれば見てみます。

ちなみにアダムズ氏は「私はIRAのメンバーでした」とは言ったことはないはず。。。「深い関係があるとされる」でずーっと来てるんじゃなかったかしら。

アダムズ氏自身が「英国政府公認テロリスト」から「政治家」になった人だし,ごにょごにょ。。。

なお,ビグリーさんはお母さんがアイルランド人です。(これは拘束されて数日後にどっかの記事で読みました。)

■追記(トラバ)
トラックバック from today's_news_from_uk+
10月1日にIndependentのextractを訳出したケネス・ビグリーさんの言葉,改訂版です。ビグリーさんについての情報アップデートつき。
2004 年 10 月 06 日 07:59:15

※この記事は

2004年10月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼