2006年08月14日

「停戦」のその日、レバノンでは。

ウェブログ、Lebanon Updatesの8月14日記事から、「停戦」当日の出来事のログ。

Source: Tayyar, New TV and other news sources

00:25
アルジャジーラ記者:ベカアのブリタル(Brital)へのイスラエルによる空爆で25人が死傷。
00:42
イスラエル軍、バアルベックの西のアヤアト平原に上陸/侵入(landing)を試みる
00:50
ベカアのブリタルに対する今夜のイスラエルの空爆で、40人が死傷
01:02
レバノンにいる国連事務総長の代理、Geir Pedersonが、レバノンのシニオラ首相と会談したあとで、レバノンは月曜日の午前8時(現地時間:GMTでは5時)からの停戦を守ると確定。
01:40
停戦まで数時間という段階になって、イスラエル軍とヒズボラが衝突、最も激しい戦闘に。
03:27
イスラエル軍の推定では、ヒズボラの戦士の死者数は530。
04:15
新聞報道:オルメルト首相、イスラエル軍に対し、レバノンでの停戦履行を命令。
06:45
停戦発効前に、イスラエルがレバノン東部を攻撃。
07:00
ハビエ・ソラーナ(EU上級代表)の意向では、国連部隊のレバノン派遣は早急に。
07:10
バアルベックのアイン・ブルダイに対し、イスラエル空爆。
07:23
Sidiqeenに対しイスラエルの空爆。Ras al-Ainに対しイスラエルの砲撃。
07:24
Jouwaya、al-Ramadhiyeh、Sharrour-Arzoun三角地帯に対し、イスラエルの空爆。
07:25
イスラエル北部のいくつかの入植地(?:settlements)で警戒警報。
07:30
Sour (Tyre)南部に、イスラエルによる激しい砲撃。
07:43
レバノン山のKayfoun丘陵に対し、イスラエルの空爆。
07:45
Kfar Shoubaに対し、イスラエルの激しい砲撃。
07:51
Sour (Tyre)南部に対するイスラエルの空爆。
08:00
公式に停戦発効。
09:25
イスラエルが、レバノン南部に入っていたいくつかの地域から撤退することを宣言。
09:30
国連の停戦決議の発効にもかかわらず、イスラエル陸軍、空および海の封鎖を継続すると宣言。
09:42
ロイター報道:停戦発効で数千人単位でレバノン人が南部に帰還。
09:53
レバノン南部に帰還する人々が数千人単位で、Zahrani付近では大渋滞。
09:57
Yohmorで時限爆弾が爆発、1人負傷。
10:15
見慣れない物体には手を触れないようにと、レバノン南部の村の住民たちに警告。
11:42
Ansarでクラスター爆弾(の不発子爆弾?)が爆発、1人死亡。
13:30
イスラエル、戦闘で116人の兵士が死亡し、750人以上が負傷したことを認める。
13:32
ベイルート南郊の住民たちが一気に居住地に帰還。
13:37
イスラエル、発効から5時間もしないうちに停戦に違反。


※日本語にしたときに辞書とか見てないので、著しく間違ってる箇所があるかもしれません。その場合、コメント欄でご指摘をください。あと、地名はカタカナにしてたりしてなかったりしますが、それもご容赦のほど。
今日はさすがにテレビのニュースを見ていたのだけど(東京大停電もあったし)、この停戦に関しては、「イスラエル軍はこんなふうに停戦してます」のメディアに対するアピール(レバノンの杉の旗とヒズボラの旗を持ったイスラエル兵が歩いていたり、イスラエル兵がなんかまったりくつろいでいたり)のフィルムと、南部に帰還する人々の大渋滞の映像があって、「状況は予断を許しません」的な現地からのレポートがかぶる、という形で、私は、パレスチナ自治区と国際的に定められている地域にイスラエルが無理やり、非合法に建設した「入植地」から、住民たちを撤退させたときの「ドラマ」の見せ方と同じようなものを感じた。。。てのはひねくれすぎですか。
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レバノン 戦争 クラスター爆弾
posted by nofrills at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(1) | lives in war/Lebanon
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【重大発表 エジンバラ国際映画祭が、ボイコット計画に呼応してイスラエル出資金を返却】Scottish Palestine Solidarity Campaign
Excerpt: 友の憂いに吾は泣く
Weblog: 反戦翻訳団−Antiwar Translation Brigade−
Tracked: 2006-08-18 13:02





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む

EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。