kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年08月12日

「ベッカム現象」とデイヴィッド・ベッカム

「今週、スティーヴ・マクラレン監督と話をしました。新監督が自分のチームを作りたいということ、次のワールドカップに向けてチームを固めていきたいということは、完全に理解することができます。自分は10年間イングランドのためにプレイしてきたことは胸を張って言えるし、国を代表することへの気持ちは、いまもこれまで以上に強く持っています。」

McClaren ends Beckham England era
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/4782613.stm


イングランド前主将が、16日の新監督初試合のメンバーに選ばれなかったことについて、こんなステートメントを出しました。

原文がやけに難しいというかかっちり書かれているんですが、I can fully understand that a new manager should want to make his mark on the team のshouldって、どう翻訳すりゃいいんでしょ?(そもそも「翻訳」できないよとばかりに投げちゃいましたが。)

BBCでは、イングランド元キャプテンのジミー・アームフィールド(現BBC Radio 5 Liveなどでのサッカー解説者)が「ベッカムという存在」について長々と語っています。
Verdicts on Beckham
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/4783467.stm

概要:

デイヴィッド・ベッカムといえば彼をめぐる種々のものだが、忘れてはならないのは、彼は第一に、何よりも、フットボーラーである、ということである。そして彼はフットボーラーとして優れている、ということだ。

エセックス州(ロンドンのすぐ東)で子供のころ、彼はフットボーラーになりたいと思い、それが発端となった。それは決して変わることなく、それ以外のものごとはすべて、後からついてきたのだ。彼は常に脚光を浴びてきたし、それから逃げるわけにもいかない。ただしそういったことはすべて、彼がフットボーラーだったからこそ出てきたものなのだ。

プレイヤーとしての彼は、死んだボールを扱うには、イングランドではこれまでの誰より優れた技量を有していた。少なくとも私が生まれてから以降は、彼がベストだ。彼以上に上手いプレイヤーを見たことは私はない。私が対戦したペレやガリンシャ、フェレンツ・プスカシュといったFKの名手を含めて考えても、ベッカムを超える者はいない。それこそが彼の強みだが、また彼はマンUで、走りこんでくるライアン・ギグズに対してパスを出すという点でも常に優れていた。

ベッカムがいたからイングランド・チームも脚光を浴びた。あのように話題を集めたイングランドのプレイヤーを、私は見たことがない。まさに「ベッカム現象」だった。特に東アジアではポップスターのように扱われた。しかしそれでも彼は家族を重視し、多くの人々がけなしたけれどもそれに耐え抜き、彼のイメージはイングランドにとってよいものとなった。

むろん、イングランド・チームでのキャリアの後半は、彼はエリクソン監督のお気に入りとしてこの先もずっと記憶されるだろうが、それでも彼は、監督のお気に入り以上のものだった。ふたりの関係は、片方がもう一方を必要としていたというものではなく、うまくいった結婚だったのではないかと思う。

ベッカムはもう時間が来たと思ったのかもしれない。主将としてはもう終わった、と自分で言うときは、自分でその判断をしているのだ。通例、主将の座は取り上げられるものだ。私が主将から下りたのは、怪我をしてボビー・ムーアに譲ったときのことだった。ベッカムは下ろされる前に下りたのだが、私は自分から退いたイングランドの主将をほかには知らない。

スティーヴ・マクラレン(新監督)は、エリクソン体制からはある種決別したがっているが、自身がエリクソン監督の右腕を長くつとめてきた以上、それは難しいだろう。だが、ベッカムを外したことがマクラレン体制の宣言とはならない。(次の試合は)親善試合に過ぎないのだから。

サッカーにおいては、絶対にないということは絶対に言えない。だからベッカムの国際舞台はまだ終わっていないかもしれない。

(親善試合ではなく)Euroの予選で厳しい試合をしていく中で、マクラレンのチームをしっかり見ていこう。


なお、16日のギリシア戦のメンバーは次の通り:
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/4784203.stm
Goalkeepers:
Robinson (Tottenham), Kirkland (Liverpool), Foster (Man Utd).

Defenders:
Bridge (Chelsea), Brown (Man Utd), Carragher (Liverpool), A Cole (Arsenal), Dawson (Tottenham), Ferdinand (Man Utd), G Neville (Man Utd), P Neville (Everton), Terry (capt, Chelsea), Young (Charlton).

Midfielders:
Downing (Middlesbrough), Gerrard (Liverpool), Hargreaves (Bayern Munich), Jenas (Tottenham), Lampard (Chelsea), Lennon (Tottenham), Richardson (Man Utd), Wright-Phillips (Chelsea).

Strikers:
Ashton (West Ham), Bent (Charlton), Crouch (Liverpool), Defoe (Tottenham).


オーウェンとジョー・コールとキャリックは怪我、ルーニーはレッドカードの後の出場停止のため、メンバーの中にいません。ベッカムの位置にくるのはアーロン・レノンですね。1987年生まれで、1975年生まれのベッカムより、12歳も若い。

私自身、特に2002年ごろの「ベッカム現象」なるものについては、あまりのばかばかしさというか何も考えてなさというか、なんつーか、ほんとにサッカーが好きな人には耐えられんだろうな、この大騒ぎっぷりは、と思っていたんですが、「日本人で女でイングランドの試合を都内のパブに見に来ている、イコール、パブ内のイングランドおよびイングランド系の人たちからの『またベッカムかよ』的な目線」というのがなくはなかったりして、いわゆるひとつの「社会現象」なるものについて、ちょっとは考えさせられました。「いまここで私が、普通のTシャツじゃなくて、イングランドのユニのレプリカで、例えば『アシュリー・コール』とか『ソル・キャンベル』とか『ヘスキー』とか『バット』とか着てたら、ちょ〜一目置かれそう」とか。(こらそこ、考えたより飲んでた方が多いとか言わない。)

■この記事については、「ベッカム」というワードでseesaaショッピングにリンクするように広告を設定してみました(本文の初出箇所だけにリンク)。「ベッカム」という名前の利用のされかたというか、「ベッカム現象」の一端、ということで。でもそろそろ終わると思いますけどね、ほんとに。

※この記事は

2006年08月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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