kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2003年08月03日

ブレアと信仰。

情報が少ないこの件についての記事,見つけ次第コレクション。

2月か3月か4月(←幅ありすぎ)に,いくつか,「ブレアは熱心な英国国教徒」という記述は見つけてあったが,それは「妻と子供はローマ・カトリック」という文脈でのものだった。

Campbell bans Blair from talking about his religion
(The Telegraph, 05/05/2003)

ブレアと信仰について,なーるほど,道理で情報が少ないわけだ。キャンベル補佐官が「宗教の話はNGです」という戦略を96年から貫いていたとのこと。特に最近は,あんまり宗教じみてくるとブッシュみたいでやばいから,と厳しくストップかけてるそうですが,ブレアの日常語彙にはGodがいっぱい出てきて,演説の最後をGod Bless Youで締めくくりたがったこともあったとか。

……「日本は神の国」の騒動を思い出す。でも英国では「政教分離」はないはずだから,騒動の質が違う。

Beware of religious links, PM is warned
(The Guardian, 26/03/2001)

おやおやこれは9-11の半年くらい前,ブッシュ就任の2カ月後ですね。
A year ago, Labour attacked the Conservatives for exploring ideas adopted by "compassionate Conservatives" in the US, which would see faith-based groups taking over some social services roles from the state, such as education and unemployment programmes.

労働党は「宗教団体に社会サーヴィスを担当させるなんて,米保守の『思いやりのある保守主義』と同じことを考えている」として英保守党を非難しておきながら,その1年後にはChristian Socialist Movementに向けて「もっと力を貸してほしい」という演説を書いた。

批判のための批判。

しかし「キリスト者にして社会主義者」というのもややこしいな。

Anglicanism and establishment in Britain
(ABC Radio, Australia, 30/1/2002)

ブレアとはあまり関係ないですが,前のカンタベリ大司教が退任(←日本語違うかも)されたときの論争について。英国におけるアングリカンの位置付けが具体的にわかる記事。
タグ:信仰 ブレア

※この記事は

2003年08月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/about blair | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼