kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2003年07月30日

海外からの意見のひとつ。

英エコノミストの24日付け論説記事,To arms
http://www.economist.com/opinion/displayStory.cfm?story_id=1940655Japan is starting to take its security responsibilities seriously. High time too
「日本は安全保障上の責任を真剣に受け取り始めている。そうすべき時である」

ということです。

記事を書いた人の視点はともかく,英語圏の人に「自衛隊」という“ミリタリーフォース”のことを説明する際にはかなり参考になりそうな記事です。

エコノミストは英国の保守(親米)系を代表するメディアのひとつ。

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転記前URL:
http://ch.kitaguni.tv/u/917/todays_news_from_uk/0000010215.html

コメント&トラバ:
英国メディアは
保守派の勢いが強くなっているそうですね。労働党政権だからBBCが勢いづいているかといえばそうでもないようですね。
「英国は米国の属国になりつつある」との声も一部にある昨今ですが…。
投稿者:
はなゆー
at 2003 年 07 月 30 日 04:42:18

はなゆーさん,はじめまして。

BBCはドクター・ケリーの件で政府と真っ向から対立してます。調査委員会が8月1日に動き出すとのことで,それまではちょっと落ち着いていますが。

この労働党政府(所謂「ニュー・レイバー」)は,この前の労働党政府(サッチャーの前)とは政策も全然違っていて(マニフェストも大幅に改訂されている),単純に「労働党だから」とは言えないんですが,特に最近は“保守”のメディアが遺伝子組換食品輸入に反対する論陣を張っていたりしてます。一方でユーロに関しては,“保守”は昔と同じく「ユーロ反対,ポンドを守れ」の姿勢。軸が変わってきていることを感じます。一度整理しないと。

米国と英国,どちらが「主」でどちらが「従」かはちょっとわかりません。
投稿者:
nofrills
at 2003 年 07 月 30 日 18:43:29

トラックバック from today's_news_from_uk+
スピードが速いね。時にはちょっと昔を見直すのもよいだろう。別に「昭和レトロ」とか『映像の世紀』じゃなくてね。今年の7月を。 ■トラックバック DoXさん,12月23日 ※読んでから反応するのに1週間が必要で・・・
2003 年 12 月 29 日 05:33:56



※この記事は

2003年07月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 00:50 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼