kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2006年07月25日

抉り取られた建物は路上の死体と同じほど雄弁である

「爆弾で家の側面が吹き飛ばされています」、とウルフは一枚の写真を説明する。確かに都市は肉体で成り立ってはいない。だが抉り取られた建物は路上の死体と同じほど雄弁である(カブール、サラエヴォ、東モスター、グロズヌイ、二〇〇一年九月十一日のあとのロアーマンハッタンの一六エイカー、ジェニンの難民キャンプ)。ごらんなさい、と写真は言う。こんなふうなのですよ。戦争はこういうことをするのですよ。それにあの写真の、ああいうことも、あれも戦争がすることです。戦争は引き裂き、引きちぎる。戦争は抉りとる。戦争は焼き、解体し、滅ぼし尽くす
_
――スーザン・ソンタグ,『他者の苦痛へのまなざし』,みすず書房,2003年(北條文緒訳)

※引用部の太字は,原文では傍点。

2004年10月15日のエントリに引用したスーザン・ソンタグの文を、再度、引用した。

そしてある写真家が撮影してきた写真を、引用する。(画像クリックでその写真家のflickrサイトに飛びます。なお、これらの写真はCreative Commonsのライセンスで公開されているものです。)









PHOTO CREDIT:
Originally uploaded at Flickr by Gail Orenstein.


写真は上から:
Bombed train station-Vukovar
Vukovar-War torn Slavonia, Croatia
Bombed flats-Lebanon
Bombed church-Lebanon

レバノンの写真は、現在の戦争ではなく、つい最近まで続いていた内戦の時期のもの。

ヴコヴァル(ブコバル)については、記憶にない、または知らない方も多いかもしれない。1991年、クロアチアがユーゴから独立する前、ものすごい激戦になった場所だ。ウィキペディアから引用する。
The city has been gravely impacted by the Yugoslav wars when the Serbian troops laid siege to it for three months and the shelling destroyed the majority of buildings in the city.
セルビア軍によるおよそ3ヶ月の包囲戦で、街は砲撃を受け、大半の建物が破壊された。


これらの写真を撮影したGail Orensteinさんはアメリカ人で、フォトジャーナリストとしての20年以上の経験を有する女性。ロンドン在住。

---------------------------

Flickrでは、彼女がこれまで撮影してきた写真の数々が、カオティックに、並べられています。そのカオスが彼女の意図で、北アイルランドのユニオニスト/ロイヤリストから、ロンドンのストリッパーたちから、シカゴの青年たちから、ハイチのエイズ病院の子供から、インドの売春窟の少女から、モスクワの老人たちから、グアテマラの囚人たちから、アルバニアの活動家から、シリアのロマから、スペインの司祭たちから、IDS(失笑)から、とにかくさまざまな場所のさまざまな「人間」たちが、並べられています。

特にストリッパーの写真の数が多いので、18禁といえば18禁なのですが(でも日本のコンビニの雑誌棚に見られる図像よりも「18禁」度は低いと思います)、5〜6ページ(100〜120点くらい)、ブラウズしてみてください。

なぜそれらが同じ場所に集められているのか(しかも同じ人が撮影したものである)ということを、ほんのちょっとだけ考えながらブラウズすると、「世界」が少し変わって見えてくるかもしれません。というか私はそうでした。

なお、彼女のflickrサイトでは、すべての言語でのコメントを歓迎しています。flickrのアカウントをお持ちの方はぜひ彼女の写真を見て、何か思うところがあったら、日本語でコメントを投稿してください。日本語・英語の二言語表記にすると閲覧者にも容易に読めるのですが、まあそのへんは適当に。

写真撮影のコツみたいなことは、Gailさんのブログに書かれています。

※この記事は

2006年07月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼