kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年07月25日

うぎゃあ、これは言葉遊びが過ぎる。(でも爆笑)

zidtshirt.gif

UKのフットボール情報サイト、football365.comのTシャツ部門から、£14.99だそうです。

football365のTシャツは、着たいとは思わないのだけど、見てるといろいろ勉強になる(?)部分もあります。たとえば、「馬面のことはイングランドでもやはり馬の面ととらえるのだなあ」など。(すいません、すいません。)

カワイイ顔をした悪役の彼については、事件(?)直後は何種類か出ていたのですが、すっかり熱もさめてます。スコットランドじゃ人気者ってのはまだ売られていますが。(使われている色に注目。スコットランドの色です。)需要の見込みが多すぎたんでしょうか。

さて、Tシャツとは別に、Zid Viciousほどきつくはないけど、デイリー・メール(<「新聞」とは呼ばんぞ)も言葉遊び。

zid-noun.png

Zidaneを一般名詞化しようという陰謀の存在が明らかになりましたね。(笑) このまま進めば動詞化もします(活用はzidane - zidaned - zidaned - zidanning)。(英語は活用形が少なくて楽だなぁ。フランス語だとzidanerが原形で・・・。)

ともあれ、デイリー・メールの記事は、競馬のジョッキーが馬に立腹して頭突きを食らわした、というもので、このジョッキー氏が謝罪した、というものです。懲罰(出場停止)も下されているそうです。

なお、ジョッキー氏は
"It was a stupid mistake and I apologise to the public," said O'Neill.

と謝罪していますが、これ、日本語に“翻訳”するとしたら、アレですかね、「世間をお騒がせし、ご迷惑をおかけいたしましてまことに申し訳ありません」ですかね(<I apologise to publicだけで)。

あと、先日映画館で見かけた映画『ジダン』のチラシの写真、ぶれてますが:
film flyer - Zidane

チラシの下にぺろっと出ている紙に注目してください。(元々あったものです。私が用意したんではありません。)

※この記事は

2006年07月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼