kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2011年07月14日

「原発ジプシー」(英ガーディアンの記事)

福島第一原発の現場で働いておられる作業員の方々に英ガーディアンのジャスティン・マカリー記者が話を聞いた記事が、先ほど、ガーディアンのオンライン版にアップされた。



Fukushima cleanup recruits 'nuclear gypsies' from across Japan
Justin McCurry in Iwaki-Yumoto
Wednesday 13 July 2011 19.42 BST
http://www.guardian.co.uk/environment/2011/jul/13/fukushima-nuclear-gypsies-engineers-labourers

記事タイトルの中で引用符でくくられている「原発ジプシー」は、堀江邦夫さんの著作(1979年)から取られている。堀江さんの『原発ジプシー』は27年ほど絶版になっていたが、この5月に講談社文庫から加筆などして復刊された。
4062770008原発労働記 (講談社文庫)
堀江 邦夫
講談社 2011-05-13

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この本について、「チーグル」さんという方が書かれたレビューによると:
『原発労働記』とタイトルを変更した理由について、著者は「跋にかえて」で、「『原発ジプシー』と『原発労働記』とではやや似て非なる作品であることをお断りしておかなければなりません。(中略)例えば仲間の労働者たちの詳細であるとか、彼らがいだくさまざまな心情といったものについては、『原発労働記』ではかなりの部分削除しております」と書いている。

一方、現代書館から出ている単行本は「1979年刊行の旧版本文を完全収録した上で、新たな書下ろし『跋文』を収録するなど加筆修正を施しており、文庫版で消された事実も全収録」とのこと(こういう仕事はこの版元さんらしい……)。
4768456596原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録
堀江 邦夫
現代書館 2011-05-25

by G-Tools


さて。ガーディアンの記事。順序が逆になるが、まず、「原発ジプシー」について。この記事のすごいところは、日本の原子力発電事業が始まった1970年代から、「ジプシー」と呼ばれるような労働力(臨時雇用で転々とする)を当てにしてきたということをはっきり書いている点。そしてそのような労働者たちが、昔も今も、研修(訓練)も経験もほとんどなく、人体に有害な環境で、多いわけでもない賃金のために働く最底辺の労働者たちであることを述べている点。

マカリー記者は福島県いわき市のいわき湯本温泉に取材に訪れている。ここは、福島第一原発で作業に当たる、全国各地から集まった方々およそ2000人の拠点となっている(と記事に書いてある)。

記事は、この温泉地のエアコンの効いた部屋から、日本のこの蒸し暑さの中、Tシャツに作業ズボンで福島第一に向かう作業員の描写から始まる。

いわき湯本を拠点とする彼らのうち最も新参なのは、長年の経験を有するテクニシャンやエンジニア。それらの人々の下支えとなっているのが、より高い賃金をもらえるだろうと日本各地から集まった数百人の現場労働者たち。マカリー記者はそのひとり、47歳の「るね」さんにインタビューしている。るねさんは九州のトラック運転手。信奉するジョー・ストラマー(!)よろしく、オールバック。



雑誌の労働者募集の広告を見て6月上旬に福島にやってきたというるねさんは、「原発での仕事をすることになるとは思ってなかったですね」と語る。日給は12,000円。「仕事の内容に見合った金額だと思います。トラックの運転よりはいいなって」。73歳のお母さんは、息子が福島の方で仕事をしていることは知っているが、まさか原発で一日の半分を過ごしているとは思っていない。

仕事は週休2日。オフの日は茨城に行って子供たちの顔を見て過ごす。「最初に仕事のことを話したときは、子供らから『被爆しないでね』と。それと同時にお父さんかっこいいとも思ってるらしいですね」。

ここでの仕事を始めて1ヶ月と少しで、るねさんは5ミリシーベルト被曝している。全世界でのバックグラウンド被曝の平均が、年間2.4ミリシーベルトなので、既にその倍。TEPCOのリアクター内作業員は最大で250ミリシーベルトまで許可されているが、るねさんの所属する会社は社員には30ミリ、臨時雇いには15ミリの閾値を定めている。るねさんはあと2ヶ月ほどで限界に達してしまうが、「例外を認めて、もっと長くここで働かせてくれるといいんですが」と語る。

温泉の宿舎から、作業拠点のJヴィレッジまではバスで45分。ここで防護服やマスク、手袋などに着替える。

……こんな風に(いや、これ以上に)、この記事はとても細かい。休憩のときの着替えの決まりごとや手袋の着脱のルールなども書いてある。作業員の被曝量の管理についても。

毎日場所を移動するときに、こんなめんどくさい手順を踏むのか、と私は読み進める。ジョー・ストラマー風の「るね」さんは、リアルな描写の記事の中にしっかり存在している。きっとこの人にとってはべたべたした夏の暑さのほうが、放射性物質よりもさらに厄介な存在だろう。

るねさんは「今の問題は暑さです」と語る。作業が進展していることは確かだとしながら、「休憩を何度も取らないとならないので、(TEPCOが示した)1月という作業の期限は無理なんじゃないかと思います」。


東京で普通にしていても暑い。6月1日の朝は寒かったのに(「クールビズ」で無理やりアロハ、とかいうニュースを嘲笑していた)、6月下旬からぶっ通しで暑い。西日が当たるうちの窓の辺りなどは体温より気温のほうが高い。あまりに暑かった夜に全国気象情報を見たら、夜の気温が名古屋より東京が暑かったんで、気圧の配置とかの関係だろう。福島も、東京とは暑くなり始める時期が違うのかもしれないが、いったん暑くなったら暑い。今月は連日30度以上、東京より高温の35.6度などという日もある

そういう環境で、防護服に防塵マスクにゴーグルで肌を外にさらさず、袖口や足首もテープで巻いてあるという服装で、現場仕事をする。その過酷さは想像するに余りある。

マカリー記者のインタビューを受けているるねさんは、1号炉から4号炉の外に脱ぎ捨てられている消防士の作業着23,000着(!)を回収する25人のチームのひとりとして作業している。

「僕らは東京電力の技師の人とは一切接触はないですね」と彼は言う。「うちの会社は、下請けのその下請け……という具合で6つ目の段階なので」。


たまたま見たのだが、今出てる週刊ポストにこんな記事がある。ライターの鈴木智彦さんが実際に福島第一原発の作業員として働いて、書いた記事だ。

福島原発作業員 平均約12時間拘束で日当は2〜4万円
2011.07.13 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20110713_25547.html
……日当2万〜4万円辺りが相場で、平均、約12時間拘束される。毎日現場に出れば、最高で月給120万円になる計算だが、若くてスタミナのある熟練工であっても月に20日が限度という。

「担当部署によって違うし、天気やその日の作業内容にもよるけど、どこ(の協力企業)も毎日6時間から8時間は作業しているだろう。酷暑の中、防護服に防塵マスクだから、ただ座っているだけでも疲労する。狭い場所では不自然なポーズのまま長時間作業しなきゃならないので体がもたない」(30代の作業員)

 にもかかわらず、会社によっては交代要員がいないため休日がとれない。……

ガーディアンの記事はこのあと、作業工程表関連の状況を短く報告し(コールド・シャットダウンまでどのくらいかかるか、など)、菅首相が「事故処理には最終的に数十年単位の時間がかかる」と述べたことなどに触れて、福島第一原発での現場仕事についての具体的な報告に戻る。

3月11日の大震災のあと、東京電力は大手建設・設備管理会社に助力を仰いだ。これらの会社は各分野の請負会社(協力会社)600社のネットワークから、作業員を臨時で雇う。

いわき湯本には3種類のまったく別々のコミュニティがある。住民たち(3万人)、原発作業員(2000人)と、福島第一原発の近くから避難してきた人々(1000人)だ。

作業員の数が多いこと、特に男ばかりがこんなに大勢いることで、作業員の全員が必ずしも保安基準を守っていないのではないかという懸念が生じている。

ある飲食店主は、夕方戻ってくる作業員が作業時の服装のままだとこぼす。原発敷地内に入った靴も履き替えていないのだ、と。

地震の直後、停電して信号も機能していなかった北関東から、人力で交通整理をしているが、幹線道路を優先させるため、それと交差する地域の生活道路が大渋滞で機能しなくなっている、という現場からの報告を直接聞いて、「えっ、そんなところに影響が出るんですか!」と思わず声をあげてしまったが、この「大勢の作業員」をめぐる小さなエピソードを読んで、まさにそういう気分がしている。

一度に2000人も滞在しているこの「作業員のグループ」は、地元の人たちとあまり交流がない、と記事でインタビューされているいわき市役所職員の高橋さんは言う。

「旅館はこの先何ヶ月もずっと満室なので、経営者の方々は喜んでおられますが、いつまで続くかわかりません。避難してこられた方もいらっしゃいますし、(県外から)のんびり温泉旅行に来よう、という人はまずいないでしょう」

「いわき湯本」を検索したら、この温泉地の温泉旅館協同組合のサイトがトップに出てきた。
http://www.iwakiyumoto.or.jp/
いわき湯本の温泉街はほとんどの商店、飲食店、旅館が営業を再開しました。
人々も震災前とほぼ同様に生活をし温泉街には活気が戻ってきています。10月には、スパリゾートハワイアンズも営業を再開予定です。

ご心配の放射線量ですが いわき湯本温泉地内は低く0.2マイクロシーベルト前後で推移しています。

■旅館組合ホームページ左側に、温泉街に設置した30分毎の線量計測値を公開中

温泉旅館協同組合のサイトはそう書いたあとに、「今は満室である」と説明している。(なお、引用にあたって改行を改めた)

記事はこの後、北海道から来ている佐々木さんという作業員の方の話に移る。建設会社社員の佐々木さんの仕事は、るねさんの仕事より危険性が高い。重機を使っての3号炉の外側にある破片(爆発した建屋)の撤去作業だ。その分、賃金はよい。(建屋の外側を掃除しおわったところで、建屋を囲う構造物の設置作業が始まる。)

「私自身は建屋の中に入る許可は出ていません。1日の作業時間は1時間か2時間です。計測値が年間40ミリシーベルトに達したら、もうこの仕事はできなくなります」

そういいつつ、佐々木さん(原発の建設の仕事をしてきた)は、被曝の許容量を超えるまで福島で仕事をするという。
「気をつけてますから。一度のシフトの間に計測器があるレベルに達したら作業をストップして立ち去らねばならないのですが、まだそういうことは起きていません」

佐々木さんはのんびり構えているが、彼の所属する会社の社員半数ほどは、家族に懇願されて、福島第一原発での仕事を断ったという。

そして記事は、現場作業のリアルな声を伝える。
All of the men who spoke to the Guardian said they believed the most immediate threat to their health came not from radiation but from hours spent wrapped in masks, goggles and protective suits sealed tight with tape at the ankles, wrists and neck. "Radiation doesn't bother me, but I am worried about falling ill because of the heat," says a 34-year-old man from Osaka who declined to give his name. "It is unbelievably hot inside those suits. I know of several people who have been taken ill on the job."

ガーディアンの取材に応じてくれた人たちは全員、自身の健康に直接影響を及ぼすものとして最も大きいのは放射線ではなく、マスクとゴーグルと、足首・手首・頸部を密封した状態の防護服を着用して過ごす時間である、と考えていると語っていた。名前を言うのは勘弁してほしいとしていた34歳の大阪の男性は、「放射能はね、別に気になりません。熱射病になるのが心配ですね」と言う。「服がああいうふうでしょ、えらい暑いんですわ、中は。作業中に具合悪くなった人も、何人か、いてますし」

こうなると心配なのが、食事だ。記事もこのあとすぐに食事について説明している。震災直後は福島第一の作業の内幕についてはほとんど報道されていなかったが、数週間して毎日など大新聞や各週刊誌が現場の人たちにインタビューするようになった頃には、食事があまりに貧相だということが大きく報じられていた。Twitterでは「東電はこれでも日本を代表する企業なのか。はずかしくないのか」といった声が世界のあちこちから上がっていた(日本語で)。マカリー記者はそのころのこと(「東電と政府は、作業員に十分な食物・飲み物を供給していないとして批判された」)と比較し、「改善された」と述べている。具体的には、「昼食はレトルトのカレーライスにペットボトルの水とお茶、ジェリー状のビタミン・サプリと甘いもの」。確かに、初期があまりにひどすぎたとはいえ、改善はされている。あとは現場仕事には欠かせない塩飴的なものも支給されているのだろうか……。

食事以外の基本的な生活環境についても、前よりはましになっているようだ。ジョー・ストラマーが好きな「るね」さんは、「休憩時間に横になれるスペースはないけれど、トイレの数は増えたし、飲み物も、ゆっくりできるスペースも増えています」と述べている。

そして最後に、次のように観測している。
When the Fukushima crisis is finally over, accolades will deservedly go to the Tepco engineers, soldiers and emergency workers who battled serious radiation leaks and exploding reactor buildings in the days after the tsunami.

But Rune expects there will be little praise, at least in public, for the men who cleaned up the devastation the waves left in their wake.

"People like me came here partly out of a sense of duty, but mainly to make more money," he says. "Some came because they were unemployed. And others are here because they have never been able to hold down a regular job. Until now, no one has ever wanted to give them a chance."

福島第一原発の危機が最終的に終わったとき、津波直後の数日間に深刻な放射能漏れや建屋の爆発とたたかった東電の技術者や自衛隊員、救急隊員らに賛辞が向けられることになるだろう。しかし、波の後に残された破壊のあとを片付けた人々に対しては、賞賛は、少なくとも公然には、ほとんど向けられないだろう、とるねさんは考えている。「僕のような者は、確かに俺がやらねばという気持ちもなくはないですが、基本的には、お金のためにここに来ているわけです。失業中だからという理由でここに来た人もいるし、仕事がどうしても長続きしないからっていう人もいる。作業員としてここにいる人たちにはこれまで、チャンスというものが与えられてこなかったんです」




この記事とほぼ同時に、こういう「人間ドラマ」的な記事とは別に、同じトピックについて、もっと乾いた感触の報道記事も出ている。

Fukushima workers brave radiation and heat for £80 a day
Justin McCurry in Iwaki-Yumoto
guardian.co.uk, Wednesday 13 July 2011 19.20 BST
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jul/13/fukushima-nuclear-workers-inexperienced

この記事は、暑さの中、被曝の危険をおかして作業に当たっている人々が「経験のない請負業者 inexperienced contractors」であること、日給が「わずか1万円 as little as 10,000 yen (£80) a day」であることに焦点を当てた記事だ。

まず、この4ヶ月間、福島第一原発を安定化させるための作業をした人の人数(これまでに9,000人)を明示したあとで、東京電力の社員9人が被曝の限度(年間250ミリシーベルト)を超えていることを説明し、「危機が長引くほど、東電が何百という小規模な下請け業者に頼る度合いは増す」と指摘、この「地球上で最も危険な産業施設のひとつでの最も汚い/過酷な仕事」をするのが、東電の下請け(や孫請け)に雇われる「経験のない肉体労働者」であることを述べ、上で紹介した記事でインタビューした作業員について説明している。いわく「作業員は日給12000円で放射能に汚染された瓦礫を撤去している。一方で東電社員は平均で年収760万円」。

そして、夏の到来でますます作業環境が厳しくなっていることを述べた上で、作業員の健康と安全という点について、これまでどうだったかを説明。いわく「6月までは内部被曝のスクリーニングを受けていなかった」、「線量計が1人1台行き渡らず、何人かで使っていた」など。そして5月に60歳の作業員の方が亡くなったケースを挙げ(「公式の死因は心臓発作。12時間シフトが続いたことによって引き起こされたのだろう」)、その上で、現在現場で防護服にマスクにゴーグルという重装備で1度に90分までのシフトで作業をしている2,500人の作業員について記述し、東京電力のスポークスマン(ナガイ・ヨシカズさん)の「現場の作業員の健康については非常に気を使っており、暑さから守るため適切な手段は講じてある」とのコメントを紹介している。

そして:
Of the 2,902 people working at the site, only 373 are Tepco employees. The remainder perform myriad tasks, from removing rubble and debris to monitoring radiation levels and decontaminating uniforms and equipment.

現場で働いている2,902人のうち、東電社員はわずかに373人。残りは瓦礫除去、放射線量のモニタリング、作業服や機材の除洗といった作業を行う(「協力業者」の人々である)。

また東電が批判や東電の医療顧問のタニガワ・タケシ氏(愛媛大学公衆衛生学教授)の助言に答えて、福島第一での作業環境を改善していること(休憩場所の増設、冷水機の増設、冷感ベストや首の周りに巻く冷却バンドの支給)に触れ、細野原発担当相が、初期においては作業員を守るための政府の対策が不十分だったと認めたことを述べて、東電が現在、作業員の健康管理をどのように行っているかを説明している。

その上で、福島の作業が下請け頼みであること、大阪の釜が崎で求人広告を見て「東北でトラック運転手、日給12,000円」の仕事に応募したはずが、実際には福島第一での作業をさせられている、という2人のケース(このような「日雇い」の仕事と裏社会とのつながりについても短く言及)について述べ、日本での報道を引いている。
Japanese media reported that the daily rate for labourers is three times higher than usual for people willing to work inside the plant's grounds, and 1.5 times higher for jobs in the wider nuclear exclusion zone.

But, according to one report, some ads for plant workers offer 10,000 yen a day for truck drivers, with jobs as security guards paying as little as half that.


※この記事は

2011年07月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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