kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2019年04月30日

ロンドン、SOHOパブ爆破テロから20年 #AdmiralDuncan

あれからもう20年にもなる……1999年4月30日、ロンドン中心部の繁華街SOHOのオールド・コンプトン・ストリートにある「アドミラル・ダンカン」というパブに対する爆破テロがあり、何十人もが負傷し、3人の尊い命が奪われた。うち1人は妊娠中の女性だった。

このパブは「ゲイ・パブ」として知られていたが、パブの客はさまざまで、要は「LGBTコミュニティに理解がある不特定多数の人々」がネイルボムの標的にされるというテロ事件だった。

爆弾犯はその前の2週間にわたって攻撃をしかけていたネオナチ活動家だった。この男は、まずは17日の土曜日に黒人街であるブリクストンのエレクトリック・アヴェニュー(19世紀に最初に街頭が電化された通りだが、現代では庶民の商店街に鍋釜たわしの類や衣類を扱う露店が立ち並ぶ通りとして人々を集めている)を標的とし、翌週、24日の土曜日にはバングラデシュからの移民が多く住むイーストエンドのブリック・レイン(ここも露店市で有名)を標的として爆弾テロを行なっていた。ブリクストンでは48人、ブリック・レインでは13人が負傷した。

いずれも、「IRAではない」ことは最初から明白で(1999年はまだ英国、いやイングランドは「爆弾テロといえばIRA」の時代だった)、ブリクストンのボムの後、18日(月)には戦闘的極右(ネオナチ)集団C18から犯行声明の電話があったにもかかわらず、警察はぼーっとしていたらしい。「極右テロ」が警察でさえ深刻に受け取られていなかった時代だ。

当時のBBC記事 (via wikipedia):

Combat 18 'claims nail bomb attack'
Monday, April 19, 1999 Published at 18:47 GMT 19:47 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/323295.stm
A man claiming to be from the extreme right-wing group Combat 18 has told police that the organisation was behind Saturday's Brixton nail bomb attack.

The 999 telephone call was made at 0606 BST from a telephone box on Well Hall Road, south-east London - near where Stephen Lawrence was murdered in April 1993.

But Scotland Yard detectives said they were keeping an open mind about the motive behind Saturday afternoon's attack which injured dozens of people and have not ruled out the phone call being a hoax.

The head of the Metropolitan Police's anti-terrorist branch, Deputy Assistant Commissioner Alan Fry, said: "This call should be taken with extreme caution.

"This line of inquiry is being taken very seriously but there is absolutely no evidence and there is no intelligence at this time to support this claim, and I can only reiterate to the public that no motive has been ruled out at this time of the investigation....


こうして警察が「犯行声明はあったが証拠がない」と言ってる間に次の爆弾が準備され、ブリック・レインで13人を負傷させ、さらにその次の爆弾はSOHOで79人を負傷させ3人を殺した。

そうなってからようやく逮捕された容疑者はナチズムを信奉する男で、当時22歳。数年前に極右政党BNPに入って「ターナー日記」に触発され、BNPではヌルいということで離党して、より小規模で過激な「ナショナル・ソーシャリスト・ムーヴメント」(この集団はC18の分派である)に加わっていた。

裁判の結果、男は有罪となり、少なくとも2049年までは仮釈放なしということで収監されている。

以上、概要などはウィキペディアにまとまっている。
https://en.wikipedia.org/wiki/1999_London_nail_bombings

事件当時、私は既に自宅でインターネットを使っていたが、情報環境は今とは比べ物にならないほど貧弱で(SNSどころか、YouTube以前、それどころかGoogle以前の時代である)、1日に1度配信されてくるガーディアンのニューズレターやいくつかのメーリング・リストのほかは、自分でBBC Newsやガーディアンのサイトを見ていたのだったと思う。入ってくる情報はとても少なかったが(何しろ映像なんか流れてこない時代。BBCのニュースも部分的にRealPlayerで提供されていれば御の字だった)、極右の爆弾テロであることはすぐにわかった。

その後、有罪となった男はその界隈で崇拝される存在となり、いくつかの(彼らにとってこれほど「成功」しなかった)極右の爆弾事件に関連してその名が言及されている。「学校での銃乱射」におけるコロンバイン高校銃撃事件の2人(これも今年4月で20周年だった)ほどではないにせよ、同種の「崇拝」の事例だ。

さて、この連続爆弾テロから20年となる今年4月、英国では「事件を振り返る」動きがよく見られた。例年4月17日も24日も30日も、関係団体でなければ特に何も行われていないのだが、今年は大手でも特集が組まれていたようだ。BBC Newsnightがまず、4月16日に一連の事件をまとめた映像を出した――犯人の名前に言及せずに。

映像では、当時の警察の記者会見の様子などがわかる。記者に対して警官が示している「物証」の釘(爆発物の中に仕込まれていたもの)を見るだけでぞっとする。こんなものを大量に詰め込んだ爆発物が、間口が狭く人が密集したパブという空間で爆発したのだ。そして同様のネイル・ボム事件は(どの程度報道されているかということはさておき)その後も起き続けている。例えば2010年にはウエスト・ヨークシャーで火器やらネイルボムやらが大量に押収され、BNPのメンバーだったことのある男が逮捕・起訴の末、有罪となっている(がこのときは「テロリズム」として扱われもしなかったはずだ)。それから、2013年にはウエスト・ミッドランズでモスクに対してネイルボムが仕掛けられたが、たまたまラマダン中で礼拝の時刻がずれていたため、死傷者を出さずに終わった。このボムの犯人は礼拝帰りのイスラム教徒の老人を刺し殺して有罪となったウクライナ人の男で、この男はほかにも複数件のボム攻撃を行なっている。







tt30april2019.pngそしてアドミラル・ダンカン・パブが爆破された4月30日は、Twitter上にもたくさんの言葉が流れてきた(が、右に示すように、現地午後2時近くになって、Trendsに入るほどではない)。普通にAdmiral Duncanというワードでのツイートもあるし、ハッシュタグの#AdmiralDuncanもある。

爆破されたアドミラル・ダンカンはその後もずっと、事件前と同じように営業を続けており(それが「テロに屈しない」ということ)、セクシュアル・マイノリティの人々(LGBTQ+の人々)のレジリエンスのシンボル的な存在となってきた。

夕方の5時には、現地で追悼のヴィジルが予定されており、Twitterでは参加が呼びかけられている。


admiralduncantwitter.png

























この日、たまたまのタイミングで、バーミンガム・メイル (BM) で下記の記事を見た。全国レベルではおそらくちょっとしか扱われないが、BMよりもさらに詳しい地域メディアの記事も見つかったので、それもリンクしておこう。計画性・実行性では20年前のロンドン連続爆弾事件とはおそらく比べ物にならないのではないかという感じだが、とても不気味である。1999年、ネットはあったがユーザーは少なく、憎悪の増幅や拡散のスピードは限られ、そのパワーは微々たるものだった。今はそうではない。












※この記事は

2019年04月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:16 | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼