kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月26日

だらだらと、「今回リークされた米外交文書について」書こうとして書けないということを書く。

さっき、今回のウィキリークスによる米外交文書公開について、「あのニュースの背景はこれ」的なことは確認できるという話、ちゃんと書こうと思ってるんだけど…とtweetしたんですが……。実際、これは嘘ではないんですが……先日の「パット・フィヌケン殺害事件のインクワイアリについてのマニンガム・ブラーの発言」についてがガーディアン記事になったダブリン大使館からの公電が、時期的に大変に興味深いもので――つまり、Provisional IRAの活動停止宣言の直前で、いろいろと読める、とかね……。

でも自分でわかってることをいちいち文章化するモチベーションがない、ってのが問題なんです。メモはもうたっぷり、オンラインにつけているわけで、自分の中ではもうそれで終わっている。ああ、あとリアルの世界で私の本棚にあるアダムズの著書でフセン貼ってあるところ。

まあでもそんなこと言ってても、自分の外には伝わっていかないし、自己陶酔的な「俺の話」(あるいは「俺の思い入れの話」)とかいうクソの役にも立たないことをするつもりはないので、何となく目にしたニュースを例に、説明を試みようと思う。

例:
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101226/plc1012261639003-n1.htm
「危険情報」扱いに苦慮 朝鮮半島情勢で外務省
2010.12.26 16:37

 北朝鮮による韓国・延坪島砲撃で朝鮮半島有事が現実味を帯びる中、外務省が韓国への渡航について「危険情報」の扱いに頭を悩ませている。……

仮に、こう想像してみてほしい――産経新聞のこの記事の情報源となったのは、2010年12月XX日に、ソウルの大使館から東京の外務省に送られた文書である。そして、2011年XX月XX日についに外務省は「渡航延期勧告」を出すことを検討したが、見送った。

※「仮に」の話、フィクションですよ。

さて、数ヶ月後にその、「渡航延期勧告」を見送ったことが決定的に重要な意味を持つ何かが起きたと仮定しよう。

その場合、さらに後の検証の対象となるのは、「渡航延期勧告」が出されなかったことであろう。そこで参照されるのは、一連の経緯と状況を記した書類だ。そこで、そもそも軍事的情勢が緊迫してきて日本の外務省も対応を考え始めた、という時期(つまり「問題が始まった時期」)が2010年12月。そのときに外務省がどう考えていたかを明らかにする必要がある場合、、上記の産経新聞の記事も、まあそこそこかたい情報ではあるが情報源ははっきりしないし、一次情報(ソウルの大使館から東京の外務省への通信)からはかなり離れている。

今回、ウィキリークスによって公開された米国の文書は、上記の仮定の話でいうと「ソウルの大使館から東京の外務省への通信」にあたる。

それがあるとないとでは、検証の信頼度がかなり異なってくる――そういう文書だ。

特に新しい情報が含まれているとは、最初から期待されてはいない。新しい情報が含まれているとしたらディテールだ。

例えば今日、BBCが報じている(NYTを元にしている)下記の件などは、パナマとかパラグアイの親米の人たちが「アメリカ」を傘にきて何をしようとしていたか、という点を細かく具体的に明らかにしている(そして、米国がそれに対してどのような態度を取っていたか、も)。そこで報じられているようなこと自体には、さして大きな意外性はなく、「ああ、やっぱり」程度のことであったとしても、そのディテールは「新しい」はずなのだ。(「新しい」と同時に、米外交にとって、embarrassingである。見られたくはないところを見られてる状態なので。)

Wikileaks: Governments 'sought US wiretapping help'
http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-12079794

エントリの上のほうでふれた(リンクはしてないけど)ダブリン大使館からの公電は、まさにそういう点で「新しい」のだが、それについて「うひょー、そのとき歴史は動いた!」とか言ってるのは研究者かよほどのマニアで、こんなブログで他人にわかるように説明しようと思うと、えらい労力をかけんとならんので(そして見返りは少ない、というかほとんどない、むしろ時間を費やす分だけ私の持ち出し)、モチベーションが上がらんのです。

※この記事は

2010年12月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:33 | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼