kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月20日

【22日目】Wikileaks米外交文書大公開〜「核物質」 #WL_JP

今日の公開分のメインテーマは「核物質」、というか「テロリストもアクセス可能な核物質」。場所はイエメンとか。その話題は、下記のキャプチャを取った時点ではキャプチャ画面内の左下に押しやられてしまった(今日最初にオンラインになったときにはトップニュースだった)。ほかのニュースが多かったからね、今日は(朝鮮半島情勢、というか米国を後ろ盾とした韓国の軍事演習、英国の悪天候による空港閉鎖、ベラルーシの選挙など)。


WikiLeaks cables: Yemen radioactive stocks 'were easy al-Qaida target'
Karen McVeigh
guardian.co.uk, Sunday 19 December 2010 21.30 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2010/dec/19/wikileaks-cables-yemen-al-qaida

今回出てきたこのケーブルに書かれているのは、「イエメンのお役人がこんな話をしていた」ということのようで(ケーブルそのものをまだ見ていないので、伝聞ですみません)、まあ、過剰に深刻に受け取る必要はまったくないのではないかと思う。ついでに、2002年にこういう「内部に通じた者がこんな話をしていた」という情報がどういう具合に膨らまされたかということ(→Curve Ball)を思い出すなどする。

それと、何日か前にもイエメンではない場所について、同様のことがガーディアンで報じられていた記憶があるが、それがWikileaks関連なのか、それ以外の報道なのか、もはや自力で思い出すことはできない。そのくらいの量の情報を、頭の中を通過させている。(だからメモをしておかないと困るんである。)

「核物質」のほかは、キャプチャ画面のウィキリークス特設のコーナーのトップにある「タンザニア」。これはまだ、中を見ていません。

※この記事は

2010年12月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:27 | TrackBack(0) | Wikileaks | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼