kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年12月20日

「イラン議会、英国と断交を決議」との速報(メモ)


テヘラン・ビューロー(イランについて信頼できるという定評のある英語ニュースサイト)のTwitterで上記のような情報が流れたのだが、EAによると
1510 GMT: Britain-Bashing. Mohammad Karimi-Rad, a member of Parliament's National Security Commission, says it has voted to cut ties with Britain.

Karimi-Rad said the commission "also condemned recent remarks by the British ambassador to Tehran [Simon Gass] and reviewed other British government's hostile acts throughout history against our country."

また、このEAの記事ではPress TVへのリンクがあり:
Iran commission votes to cut UK ties
http://www.presstv.ir/detail/156182.html

一方、この速報が出てから2時間くらい経過しているのだが、BBCでは何も出ていない。下記のように、イランの話題は複数出ているのに、である。



こういうときは大使よねー、と思って、駐テヘラン英国大使のTwitter(英国は外交官ががんがんTwitterを使っているので、別にこの人が例外的というわけではないが、この人のTweetはけっこうおもしろくてはまる。イラン政府との喧嘩も逐一報告してくれるし、「娘が学校の学芸会で『イラン』役を得たのだが、『アメリカ』と喧嘩した。案の定としか言いようがない」とか、ははは):
http://twitter.com/#!/sgassIran

……大使、16日にクリスマス休暇に入っちゃってる!

ほんとに深刻に「断交」という局面ならそれどころではないだろうし、それに英外務省外相のコメントも出るだろうけど、今は静かなので(日曜というせいもあるかもしれないが)、とりあえず、様子見。

今のイランは、議会内でもひどく激しい権力闘争をふつうにやってる状態だそうなので(先日のモッタキ外相解任もそういうののあらわれ……すでにモッタキが反撃を開始してるみたいだけど)、たぶんときどき、えらく極端なニュースが出てくるんじゃないかなあという気もします。

しかしモッタキ(『トムとジェリー』はユダヤの陰謀、と言い切った。あれはアイリッシュの反英の陰謀です……たぶん)より右って、外相としてどんだけ。。。と思ったけど、イスラエルがすごいからなあ、今。

※この記事は

2010年12月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼