kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年02月09日

「エクストリーム交渉」、北アイルランドが金メダル間違いなし(という発言)

2月5日、DUPとシン・フェインとが警察・司法権の移譲について合意した後の当事者4人(DUPとシン・フェインの両党首=北アイルランド自治政府のツートップと、英国首相、アイルランド共和国首相)での記者会見は、実に和気藹々としたムードだった。いまだに「政治」を否定し、武力・暴力でしか事態を打開することはできないという主義主張の人々(彼らはその主義主張のために事実をゆがめ、曲げている)の活動が恒常的に伝えられる中、DUPのピーター・ロビンソンとシン・フェインのマーティン・マクギネスという、北アイルランド紛争の時代には「ロイヤリスト武闘派の主要人物」と「Provisional IRAの幹部」であった二人の政治家が、わざとらしくない程度ににこにこと笑みを浮かべて肩を並べている光景は、ワタシ的には「紛争は終わった」というよりむしろ、「(プロテスタントの)独裁」の時代は終わったということで非常に感慨深いものがある。

かつてのDUPのイアン・ペイズリーの "Never, never, never" の演説を知っていて、今のDUPのピーター・ロビンソンの記者会見(彼は何度も、「過去のような状態に戻ることはない」と語る)を見れば、その「感慨」を感じていただけるものと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=acnIyzNFDdg

※ピーター・ロビンソンの英語は北アイルランド訛りというよりスコットランド訛りで、それもかなり聞き取りやすいアクセントです。

ロビンソンは基本的に「原稿を読んでいる」のだけれど(宗教家のイアン・ペイズリーのすごみはこの人にはない)、アイリス騒動で痩せてしまったところにものすごい議論の日々でやつれて、元々のポーカーフェイスぶりが薄れて表情が出るようになったのかもしれないが、非常に「人間」っぽさが感じられる。特に3:30くらいから「今回の議論においては、結論を急がなかった」と述べるところで、一瞬目がキラリと輝くあたりが。

3:40〜3:50で "I'm grateful for the role that the (British) prime minister and SoS have played in recent weeks, and I'm also grateful for the Taoiseach and the Irish foreign minister have played." と述べたロビンソンは、3:51で画面の左に顔を向け、ゴードン・ブラウン英首相に語りかける。

Gordon, I know that you are looking forward to the London Olympics in 2012.
ゴードン、2012年のロンドン五輪を楽しみにしておられることかと思いますが。

ここで画面の左の方からブラウン首相の相槌が聞こえる。

スピーチの最中でいきなりこういうふうに方向を変えてくるときは「来る」と思っていたほうがいいのだが、案の定……

If we can agree that 'negotiating' would be included as one of the sports, ...
もしもですね、「交渉」を五輪のスポーツ種目として入れるということで話がまとまれば……

ここでロビンソンは相当ニヤニヤしているのだが、カメラが引いて、ブラウン首相が「来る」と思ってにやにやしている表情が画面に。記者会見の記者席からも笑いが漏れる。

we will enter a team, we will lift the gold medal ...
我々が出場しますよね、それで金メダルを獲得する。……

部屋の中のくすくす笑いがどんどん盛り上がる。ブラウンもなんかくねくねして笑ってるし、ロビンソンのニヤニヤが止まらない。私もここでお茶ふいて、「エクストリーム交渉」とかって言って膝を叩く。そして、ロビンソンの身体言語が「まだ先がある」と言うことを物語り、わくわくしながら先を見ると:

... and then we'll enter into negotiations about what flag and national anthem we use.

椅子から落ちた。

「……それから、ではわがチームはどのような旗とどのような国歌を使うかという点についての交渉に取り掛かるわけです」。

カメラが引いて、ロビンソンの右側にいるマクギネスが破顔一笑しているところが映る。右端のアイルランドのカウエン首相もにやにやしている。

記者も爆笑。

ロビンソンは前の晩にこのジョークを思いついたとき、どんな顔をしていたのだろう。

こういう「自虐」の笑いがあのDUPから出てくるということは、北アイルランドは変わった、ということを何よりも雄弁に物語る。

私はシン・フェインはウソばっかりと思っているけれども、それでもジェリー・アダムズらの「強気」と「粘り」がなければ、DUPのこの変化を可能にする状況の変化というのはなかっただろう、と思っている。

ところでロビンソンのいう「我々」は「英国」だよね。サッカーなら「北アイルランド」だけど。その点でこのジョークもまた、「政治的」というか「セクタリアン」なものではある。

でもあの10日間の「ゴド待ち」は、単にそれだけでもすごいものだったと思う。まったくメドが立たずに10日とかいうのはザラにあるかもしれないが(クルディスタンとかパレスチナとか)、一度近づいてまた膠着、というのが繰り返されるのは……。



なお、この日のジョークはマーティン・マクギネスのも面白かった。前の日にピーター・ロビンソンに、「明日はあなたが緑、私がオレンジのネクタイにしましょう」と提案したのだそうだ。さすがにそれはやりすぎだっていうことで「ハハハ」で終わるのが当然なのだけど、当日案の定中立的な色(えんじとか紺とか)でやんの、あのチキン野郎、と言ってる自分も中立的な色……というひねりの利いた自虐。

やっぱり笑いは自分のことをネタに笑う、それが基本。



で、実は私は10日間もあの退屈な「ゴド待ち」をフォローしていたのに、肝心の最終日のその瞬間はモニタの前にいなかったので、上記のおもしろい場面をリアルタイムでは見逃した。くやしいです。



そしてこの「お祝いムード」もおさまった8日、9日あたりは、「エクストリーム交渉」の第二段階、つまり「どのような旗を使い、どのような国歌を使うか」みたいな話をする段階が始まりつつ、同時にINLA, OIRA, UDA East Antrimの武装解除が確認された。UDAでは(ただの犯罪ギャングなのではないかという気がしてならない)シュクリ兄弟の派閥も武器を差し出しているそうだ。(1年以上前、シュクリ兄がオーバードーズで急死したときにすでに一部武器を提出しているらしい。)

そのへんの話ははてブに。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20100209

※この記事は

2010年02月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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北アイルランド、「国技」大会開催のお知らせ(または、リチャード・ハース到着でエクストリーム交渉がスタート)
Excerpt: あれは3年前、2010年2月のことでございました。北アイルランド自治政府の首相(ファースト・ミニスター)、ピーター・ロビンソンは、妻アイリスが19歳のカフェ経営者(超絶美男)を、いわゆる「口利き」と引..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2013-09-17 19:07





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼