kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年08月26日

トラックバックについて

最近、当方の記事に関係あるのかないのか判断がつきかねるトラックバックを頂くことが、以前に比べて増えています。

「判断がつきかねる」というのは、別な表現でいえば、「スパムではないということが確信できない」ということです。

内容的に、当方の記事に関連したものとも思えず、さりとてスパムというわけでもなさそうだが、よくわからない、という感じだったり。

そもそもトラバを送信してきてくれているそのブログの文章が、そのブログの運営者さんの書いたものなのかどうかもわからない、という感じだったり(どっかから持ってきたものではない、botが勝手に投稿しているものではない、という確信が持てない事例)。

具体的には、例えば『英国紅茶の話』のような書籍の紹介のブログから、当方の、有名陶磁器メーカーの経営破綻についてのエントリ(お茶の話は特に書いていない)にトラバ、とか……書籍の紹介のところにその陶磁器メーカーの話が出てきているわけでもなく(書籍の本文では当然言及されてるでしょうけれどね)、必然性がわかりません。

それらについては、原則として、トラックバックの削除はしないつもりですが、そういうブログからのトラバだけで「新着」の5分の3が埋まってしまうほどに増えてきたら適当に間引きし、なおかつそのブログさんのURLを禁止指定に加えます。

ここまで書いてきた件について、何かおありのかたは、このポストではコメント欄をつけておきますので、そちらにどうぞ。

なお、私がこれを書いているときに念頭においているブログさんのURLで検索したところ、FC2ブログで「迷惑トラバ」として届出があるし、トラフィック・エクスチェンジとか出てくるし(ていうか何それ)、まあ、おそらくはスパムなんでしょうけどね。

で、念を押しますけど、私はとにかくスパムが嫌いです。ここで念頭においているブログさんがスパミングをしているつもりがないのなら申し訳ないのですが、スパム嫌いの私には、あなたのやっていることはスパムのように思えます。そうでないという場合は、お手数ですが、一言コメント欄にてご説明ください。

※この記事は

2009年08月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 事務的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼